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ナノ原形質ユニット:究極の生命単位②AIH前章譚
一応は前回の続編。
だが本稿は歴史的背景の話なので、興味のある人向けの内容になる。歴史の話を引き延ばしても仕方ないので一記事に纏めた。お陰でかなり膨大な量になった。心してお読み頂きたい。
論文リンク⇩
Ling, G. (2007). Nano-protoplasm: The ultimate unit of life. Physiological Chemistry and Physics and Medical NMR, 39(2), 111–234. https://gilbertling.org/pdf/PCP39-2_ling.pdf
1. 「原形質 の旧名」
シュワンが細胞理論を発表する4年前、フランスの動物学者フェリックス・デュジャルダンが既に、破砕した原生生物(当時インフソリアと呼ばれた)から水に不溶性のゲル状物質が滲出する様子を記述している[1]。この物質はシュワンが記述したような透明な水性の液体ではなく、彼(シュワン)が多くの動物細胞や植物細胞で目にしたことがあるような印象を与えるものであった。
[1]Dujardin, F. (1835) Annales des science naturelles: partie zoologique,2nd Sér., 4: 364.
更に、このゼリー(ゲル状物質)の発見が自分が初ではなく、ただサルコード (ギリシャ語のsarkodes:「肉質」)という(特異的な)命名をしただけだとデュジャルダンは指摘している。ここで彼は生きたゼリーを先に観察した人物:アブラハム・トランブレー、カスパー・ヴォルフ、オットー・ミュラー、ローレンツ・オーケンらを引用している[2][3]。
[2]Baker, J.R. (1949). The Cell-Theory: A Restatement, History, and Critique : PART II. Journal of Cell Science, s3-90(9), 87–108. https://doi.org/10.1242/jcs.s3-90.9.87
[3]Hall, T.S. (1969) Ideas of Life and Matter; Studies in the History of General Phyiology 600 B.C. to 1900 A.D., Vol. 2, The Univ. of Chicago Press, Chicago. ; pp.172-175
デュジャルダンが動物細胞の「生きたゼリー」にサルコードの命名をした11年後、ドイツの植物学者ヒューゴ・モウルが、植物細胞の細胞壁の直下にある物質にプロトプラズム の命名をした[4]。ブレスラウ大学の植物学教授フェルディナント・コーンが、デュジャルダンのサルコードとモウルのプロトプラズムは本質的に同一のものと結論を出した[5]。1852年、ロベルト・レーマクが、サルコードとプロトプラズムをプロトプラズム(原形質)へ統一することを提案した[6]。この提案は広く採用され、定着するに至った。
[4]Mohl, H. von (1846) Botanische Zeitung. 4: 73, 84.
[5]Cohn, F. (1847) Nova Acta Akademiae Cesareae Leopoldino-Carolinae [of Halle] 22: 605. For partial English transl., see Huxley T.H. (1872) The Contemporary Review 19: 34.
[6]Remak, R. (1852) Müllers Archiv fur Anatomie, Physiologie und Wissenschaftliche Medicin. (Berlin) p. 49.
モウルは明らかに気付いていなかったが、モウルの6年前にチェコの微細解剖学者ジャン・E・プルキンエが既に、動植物の細胞にある生物質を指すのにプロトプラズマ の用語を使用している[7]。プロトプラズムの名の方が魅力的で恐らくはサルコードよりも正確であることは忘れてはならないが、公平を期するなら、サルコードからプロトプラズムへの代替で以て、その導入に貢献したデュジャルダンの歴史的役割を曖昧にすべきではない。
[7]Purkinje, J. (1840) Über Arb. Veränd. schles. Ges. vat. Kult. 16: 81.
生細胞とその物質構成の理解が急速に進んだこの時期のクライマックスにはその後20年以内に起こった2つのエピソードがある。1861年、ボン大学植物学教授マックス・シュルツェ(1825–1874)が自身の原形質説を発表し、それによると、生細胞は核を含む膜のない原形質の塊である[8]。1868年、トマス・ハクスリー(1825–1895)は、かつて原形質説の反対論者[9]であり、エディンバラの教会で有名な日曜夜の平信徒向けの説教を行った。以前の見解に反して急速に集まる新たな証拠に確信を深めたハクスリーは、早速原形質の概念を受け入れ、その熱意に見合う雄弁さで以て、原形質こそ生命の物理的基盤だと主張した[10]。
[8]Schultze, M. (1861) Arch. Anat. Physiuol. wiss. Med. 1861: 1. English transl. of part of this article found in Hall, 1951, pp. 449-455.
[9]Huxley, T. (1853) British and foreign medico chirurgical review 12: 285.
[10]Huxley, T.H. (1869) Fortnightly Review 5: 129.
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その功績と、生涯を真実の探究に捧げたことによって、トマス・ハクスリーは、19世紀の英国で最も偉大な科学者として称えられた~別の実直で恐れを知らぬ魂、米国のジャーナリスト、ヘンリー・メンケン(1880–1956)によって~
1.1. ロシーの予測
1908年、アメリカで数々の画期的な出来事があった。ノースカロライナ州キティホークでウィルバー・ライトが1,000フィートの飛行に成功、ヘンリー・フォードのT型モデルの大量製造などがそれである。未来への絶対の自信に満ちた高揚感の中、米国イリノイ州のノースウェスタン大学の生物学教授ウィリアム・A・ロシーが『生物学とその創造者達 』[11]の初版を出版した。以下の引用文は同書の第三版[12]からである。
1840年から1860年が近代生物学における最重要の期間であったことは、回顧的に見ても容易に理解できる。多くの新奇的なアイデアが誕生したが、この期間を通じて、生物の生物質たる原形質が、植物動物問わず実質的に同一であるという構想へと徐々に段階を経て切迫する痕跡を明確に辿ることができる。このアイデアが受容された結果を描写してみよう。ここで漸く生理学は実際的に生きる物質へと注目し始めたのである。そして初めて、この先の進展が、生命活動の根源たるこの生物質の研究で得られようことが明確に理解されたのである。これぞ近代生物学の萌芽である。
William A. Locy(1923); p. 274
1.2. 100年後
ロシーの先見的な予測から丸1世紀が過ぎた。そしてそれは異常な~人類史上最も血生臭い~世紀であった。その遺物の中には、科学に対する嘗ての熱狂と心底からの信頼があった。
我々はまた暗黒時代に突入していると考える者もいる。私自身も含め、過激な部族のような過去を捨て去り、次世代の為の包括的で温和な倫理的ガイドラインへの交代が遅れを取っているだけだと考える者もいる。とはいえ、嘗ては夢にも思わなかった重要な進歩が成し遂げられたことは、我々に希望を与えてくれた。
2つの巨大な水域により戦争の惨禍から免れた一部のアメリカ人は、こうして過去の科学的偉業を継続するに十分な楽観主義と資源、エネルギーを取り戻した。月面に着陸し、ヒトゲノムを解読し、コンピュータサイエンスと産業を発明したのである。
残念ながら(少なくとも表面的には)それは、我々の種に最も重要な進歩の方向性とは全く異なるストーリーであった。つまり、原形質構想に象徴される最も基本的な次元での生命の理解である。
1.2.1. 誰もが忘却したテーマ
この問題に解答したがる(できる)大半の人々は、原形質研究には何の進歩もなかった為だと答えるだろう。原形質構想は誤りだからだと。
Encyclopedia Britannica Online がその理由を述べている[13]。
細胞がその構成要素へと分画されるようになり、原形質は用語として、もはや意味をもたなくなった。
現状、標準的な生物学の教科書には原形質という言葉すら登場しない。一方、全ての高等学校や大学用の生物学の教科書では、膜(ポンプ)理論が確立された事実だと教えられている。完全に忘却されているが、この理論は40年以上前に徹底的かつ疑問の余地なく反証されている[14-17]。
[14]Ling, G. (1962). A Physical Theory of the Living State: The Association-Induction Hypothesis (G. Paul R, Ed.). Blaisdell Publishing Co.; Chapter 8
[15]Ling, G.N. (1997) Debunking the alleged resurrection of the sodium pump hypothesis. Physiol. Chem. Phys & Med. NMR 29: 123.
PDFリンク:
・[Physiological Chemistry and Physics and Medical NMR]
・[Gilbert Ling Legacy Site →Other Scientific Articles 1].
[16]Ling, G.N. (2006) In response to an open invitation for comments on AAAS Project 2061’s Benchmark Books on Science. Part 1. Documentation of serious errors in cell biology. Physiol. Chem. Phys. & Med. NMR 38:55.
PDFリンク:
・[Physiological Chemistry and Physics and Medical NMR]
・[Gilbert Ling Legacy Site →Other Scientific Articles 13]
[17]Ling, G.N. (2007) History of the membrane (pump) theory of the living cell from its beginning in mid-19th century to its disproof 45 years ago — though still taught worldwide today as established truth. Physiol. Chem. Phys. & Med. NMR 39:1.
PDFリンク:
・[Physiological Chemistry and Physics and Medical NMR]
・[Gilbert Ling Legacy Site →Other Scientific Articles 10]
その傍らで、基礎科学全般や、特に生物科学は領域細分化が進んでいる。ウィル・ダラントの『哲学史』の言葉を借用すれば
我々は整合性のない事実に窒息しており、総合的かつ統合的哲学に欠ける思想的混沌を育み増殖する科学を前に、我々の精神は圧倒されているのだ。
The Story of Philosophy,
Pocket Books, a Division of Simon & Schuster, New York.; p.102
(ここで、この引用文に注目頂きたい。また後程触れることにする。)
領域細分化が進むに連れ、科学者は限られた知識から多くを得ようとしている。例として、現在の我々は円周率πの値を1兆2,400億桁まで把握している[19]。だが同時に、世界有数の聡明な知識人達が「生命とは何か」を答えられないようである。
[19]Kanada Y(2002).Japanese researchers set record on value of pi
確かに、物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが嘗て『生命とは何か』という高い人気を博した冊子を執筆した[20]。少なくとも18回は増刷された。だがシュレーディンガーはタイトルの問いに解答していない[21]。DNA二重螺旋構造の発見で著名なフランシス・クリックは著書『(※邦訳)生命、この宇宙なるもの』[22]で以下のように認めている。
「生命」や「生きている」状態を簡潔に定義することは容易ではない。
私見では、クリックが直面した困難は、生細胞の膜(ポンプ)理論をほぼ普遍的に確立された事実と採用した点に繋がるかもしれない。異常なまでに良心的な彼には恐らく気が向かなかったのだろう。「生命の物理的基盤とは、大きなイオンには大きな孔が、小さなイオンには小さな孔があり、そしてエネルギーを消費しない無数の魔法のポンプが備わる連続的なリン脂質二重層である」[23]…などと記すことは。
[20]Schrödinger, E. (1944) What is Life? The Physical Aspect of the Living Cell, Cambridge University Press, Cambridge.
[21]Ling, G.N. (1994) The new cell physiology. Physiol. Chem. Phys. & Med. NMR 26: 121. ;p. 194, line 20
PDFリンク:[Physiological Chemistry and Physics and Medical NMR]
[22]Crick, F. (1981) Life Itself: Its Origin and Nature, Simon and Schuster, New York.
[23]Ling, G.N. (1997); p.130
「生命とは何か」「生きることとは何か」クリックは何故語れなかったのか?語ろうとしなかったのか?これに私の解釈を受け入れるならば、更に衝撃的な暴露へと挑む強力な立場となるだろう。つまり、何故歴史家トーマス・ホールが、自身の非常に価値ある不朽の論考『生命と物質に関する構想 』[24]を
事に依ると、生命などというものは実際には存在しない。
…と、総括することを選んだか?である。
このように(少なくとも表面上は)領域細分化は、重要なものとそうでないものの境界線を曖昧にする役割を担っているかもしれない。重要なもの重要でないものが曖昧になると、領域細分化は、科学研究の長期的な目的や公的支援を継続する正当性を損うものになり兼ねない。残念ながらこれは、将来を過剰に案じる私個人の癖が生み出す以上の事態である。
サイエンティフィック・アメリカン誌の記者ジョン・ホーガンが、40人の一流の科学者と科学哲学者に対して、科学の現状に関する見解をインタビューした。この40人の中には
・物理学者
フリーマン・ダイソン、マレー・ゲルマン、ハンス・ベーテ、スティーヴン・ホーキング、リチャード・P・ファインマン
・化学者
フランシス・クリック、イリヤ・プリゴジン、ジョン・デスモンド・バナール
・生物学者
スティーヴン・ジェイ・グールド、ジョン・C・エックルス
・科学哲学者
トーマス・クーン、ポール・ファイヤアーベント、カール・ポパー
等がいた。40人の科学者はそれぞれ、ホーガンが著書『科学の終焉~科学時代の黄昏における知の限界に直面して~』[25]というタイトルに込めた内容に、原則は同意していると想定するのが妥当であろう。
[25]Horgan, J. (1996) The End of Science: Facing the Limits of Knowledge in the Twilight of the Scientific Age, Addison-Wesley Publ. Co., Reading, Mass.
1.2.2. 有望な将来への隠された道を見出す少数派
その後、ホーガンの書籍の核となるテーマについて、私は公に問題提起をした[26]。生命科学に関する限りでは、実際に終焉を迎えるのは生命科学自体ではなく、世間一般に教育指導される誤った理論…膜(ポンプ)理論だと指摘したのだ。この理論は正直な間違いに始まった。直ちに(ドイツの)教科書に掲載された。やがて論理や相反する科学的根拠にも動じない聖なる子牛へと変貌した…少なくとも今に至るまで。
[26]Ling, G.N. (2001) Life at the Cell and Below-Cell Level: The Hidden History of a Fundamental Revolution in Biology, Pacific Press, New York.; p. iii
とはいえ、先ほど提起した問題への第二の解答を公開する準備が遂に整った。ロシーが先見的な所見を述べて以来、生物質の研究ではどんな進展があったのだろうか?
少数派の見解によると、未熟な科学の領域細分化は非常に無駄な誤算であり、可能な限り避けるべきである。しかし、細胞生理学のような複雑かつ深遠な科学が発展するには、最終的なハッピーエンドに向かう臨時の段階として、領域細分化は不可避だったかもしれない。
このように、歩けるようになる為に子供は一歩ずつ挑戦し、初めての努力に伴う軽い躓きや転倒を体験しなければならない。どの子供も、いつかは親のように歩ける日が来ると信じているようだ。類推から、細胞生理学の細分化した研究に「終わりの始まり」以外の目的を見出す為に必要な安心感とは、いつかはハンプティ・ダンプティ を元通りに出来ると信じることに似ている。
ハンプティ・ダンプティは元通りに出来るという信念は少数の細胞生理学者が共有している。世界中の生物医科学者や教師達の大多数が未だ知らない何かに勘付いているのだ。実際、その"何か"とは、ダラントの言う「(欠けている)統合的哲学」…即ち、「統一的理論」に他ならない。これは終焉へと向かう潮流を新たな門出へと逆転させる。その統一的理論の名は会合誘導仮説 (AIH)という。
現存する唯一の統一的理論であるAIHは、原形質構想の妥当性を立証する上で大きく貢献した…が、それは当初の定義とは全く異なるものであった。だがこの新たな定義は、デュジャルダン、モウル、シュルツェ、ハクスリーらが蒔いた種の発芽とも言える。この種に水を与えると何故生き返るのか、この後発見するだろう。
ハッピーエンドが保証されたことで、過去の細分化の実態にある悪い側面と良い側面を見ることができる。悪い側面は非常に無駄が多いことである。良い側面とは、生細胞を物理的にどんどん小さく断片化し、あらゆる過酷な処理に晒したことで、最終的にその成分を純粋な形で分離することができたことである。その中で最も重要なのは、タンパク質とその構成要素であるα-アミノ酸である。
ロス・ゴートナー教授(1885–1942)が編集した表1は20個のα-アミノ酸発見史の簡易な要約である[27]。1818年のプルーストのロイシンから1930年のアブデルハルデンとバーンのノルバリンに至るまで[※]、その発見や単離、化学構造の決定には112年に渡る努力と知性と技術が必要であった。この20個の必須αアミノ酸が大半のタンパク質を構築する。ある意味、26のアルファベットが英語を生む方法に似ていなくはない。この不朽の集合作品は~今ではほぼ忘却の彼方にある科学史おける無数の貴重な作品と同様~飛躍的前進の為の舞台を整えたのである。
[27]Gortner, R.A. (1938) Outline of Biochemistry,2nd ed., John Wiley and Sons, New York.; p.280
[※]Abderhalden, E., & Bahn, A. (1930). Nachweis von d-α-Amino-valeriansäure (Nor-valin) neben d-α-Amino-isovalerian-säure (Valin) unter den Spaltprodukten des Globins auf Grund der verschiedenen Aminierungs-Geschwindigkeiten der dazugehörigen α-Bromverbindungen. Berichte Der Deutschen Chemischen Gesellschaft (A and B Series), 63(4), 914–921. https://doi.org/10.1002/cber.19300630426
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その飛躍的前進は、偉大なドイツの化学者エミール・フィッシャーがほぼ一人の手で成し遂げた。タンパク質構造を解析したのはフィッシャーであり、その「骨組み」であるポリペプチド鎖の命名は、先述の記念碑的な年である1908年(※)である[28,29]。
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[28]Fischer, E. (1906) Untersuheungen über Amino-Säuren, Polypeptide und Proteine, Springer, Berlin.
[29]Fischer, E. (1906). Untersuchungen über Aminosäuren, Polypeptide und Proteïne. Berichte Der Deutschen Chemischen Gesellschaft, 39(1), 530–610. https://doi.org/10.1002/cber.19060390190
(※訳注)原文ママ。2年ズレている…?
それから100年、我々は今、分離したタンパク質を元の居場所である生細胞へと戻す時に来ている。だがその作業に着手するには、また別の科学的巨匠、オーストリアの数学者ルートヴィッヒ・ボルツマン(1844-1906)の援助が必要である。
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ボルツマンは、統計力学と呼ばれる新しい物理学の一分野を立ち上げた。統計力学とは、ミクロな原子や分子の性質や挙動{オングストローム単位(10⁻⁸cm)やナノメートル単位(10⁻⁷cm)の次元}を、生物質や死物質のマクロな性質や挙動{ミクロン単位(10⁻⁴cm)以上の大きさで、光学顕微鏡の肉眼で見えるか見えないか}へと繋げる学問である。同業者の容赦ない拒絶に傷心し、落胆したボルツマンが62歳で自ら命を絶つに至ったことは何と名状し難い悲劇か。皮肉だが、ボルツマンへの反対論者の中には物理化学者ヴィルヘルム・オストヴァルト(1853–1932)がおり、彼は不吉を呼ぶ膜理論の発展に重要な役割を果たした。
こうして、天才性と献身、得も言われぬ個人的犠牲の果てに、基礎物理学と化学は遂に~私の世代の細胞生理学者が現場に居合わせるまでに~必要な成熟度に達した。その結果、完全かつ一貫した存在としての原形質の研究が再び前進し始めたのである。それに伴い、死者の世界をも支配する法則と完全に調和した生命の新たな定義が誕生した[30-34]。
[30]Ling 1962, p. xxii
[31]Ling G. N. (1969). A new model for the living cell: a summary of the theory and recent experimental evidence in its support. International review of cytology, 26, 1–61. https://doi.org/10.1016/s0074-7696(08)61633-2
[32]Ling, G.N. (1984) In Search of the Physical Basis of Life, Plenum Publishing Co., New York. ; p. 147;
[33]Ling, G.N. (1992) A Revolution in the Physiology of the Living Cell, Krieger Publishing Co., Malabar, FL ;p. 31;
[34]Ling 2001, pp. 148–156.
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