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Chapter4. 赤血球の構造①
赤血球の真の構造/血球の微小発酵体/血球全般
本書の全貌には、赤血球の物理的構造および解剖学的構造に関する正確な理解が極めて重要となる。赤血球は内容物を膜で包む細胞性解剖学元素なのか?乳汁の小球に類する裸の解剖学元素なのか?赤血球機能を明確に理解するには、解決が不可欠な選択肢である!
プレヴォーとデュマが赤血球に細胞膜の存在を認め、ヘンレが緻密な観察によりその実在を証明した。1856年、ストラスブルグ大学の生理学講習会で教鞭を執るクス 氏が、
赤血球は中身が空洞の嚢でなく、その構造の全部位が固体で、全身器官の中で水分量が最も少ない中身も充溢した器官である。
と言った。更に20年が経ち、フレイ氏が、流行の学説を以下のように考察した。
畢竟、赤血球は水分で飽和したゼラチン質の塊だと考えられる。
更にこう続ける。
観察は困難を極め、不確実な検証が続く中、この数年で一部の著者達が細胞膜の存在を支持している。
後述の通りにデュマが、赤血球は細胞構造を持つのみならず、独自の生命体だと考え、赤血球にとって酸素欠乏が致命的だと言った。これは一般生理学の立場ではないが、私は以下に勝る証拠を持たない。
私は微粒子病の蚕に認めた振動粒子を、酵母の小球を例とする、生きていると公認になっている細胞に喩えた。パスツール氏はこの見解を誤りだと断言し、以下の発表をした。
現時点の見解では、この粒子は動物でも植物でもないが[2]、癌細胞や肺結核の顆粒に多少類似する。系統分類の観点では、インフソリアや黴の類ではなく、膿球や血球、或いは澱粉粒に並ぶものであろう。
Observations sur la maladie des vers à soie.
C.R.., 61, 506–512. ; p. 511
後にこう述べる。
粒子は動物や植物性ではなく、増殖不能な生成物であり、血球や膿球等、生理学が数年来、”類器官 ”の名で峻別する、規則的な形状の微小体の範疇に入れなければならない。
植物でも動物でもない存在が、組織的構造や生命を持つ道理も、膜内に内容物を持つ道理もないことは明白である。だがこれが科学の実態であり、そして血球や膿球に関するパスツールの想像は、他あらゆる解剖学元素、例えば氏が先述の引用で「等」に括り、”類器官”~即ち「器官の模造品」~の名目で澱粉粒に喩えた精子細胞にも波及していた。私がこの学者の見解を殊に強調する所以は、氏が血液研究、ならびに血液自然変質の過程で赤血球に生じる事象に専心であった為である。
血球は裸構造か?内容物を膜で分画する包膜構造か?これは些末事ではない。その有機的構造に関連する生命体の特質とは、動物や酵母の小球然り、間違いなく(膜内の培地とは別の)連続的な包膜構造による形態の規定にある。この包膜構造は”被包 ”を名を冠し、その語源的意味は明確である。細胞の包膜構造は従って被包と同一である。生体内では内部器官は各々の被包により個別化されている。水中や水性培地にのみ自らの存在条件を満たす微小体の中には、特殊な浸透性が備わる不溶性被包によってその内容物や膜内の培地の溶解化や変質が保護されているものがある。さて!ビール酵母の如く血球もまたその被包により個別化され、従って血球は器官であり、類器官ではない。
赤血球被包の実在に疑念が生じる所以は、水に浸漬させた血液が一見、完全に溶解する為である。血球が完全に消失し、顕微的にもその痕跡は発見されない。デュマを例に細胞膜の実在を認める者達が浸水による血球破壊を考想し、凝血塊洗浄分離によるフィブリンがホイッピング分離のそれより重量が上回る理由に充当した。だが後述の通り、血球の外見上の溶解現象は、水溶性の内容物が細胞膜を横断して浸透表出したに過ぎない。構造全体が維持されている細胞被包が顕微的に不可視であるのは、周囲の液体と屈折率が均等となる為に過ぎない。
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