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Chapter6. 凝血現象:真の生化学的意味④
⇩の続
第一段階は微小発酵体分子顆粒を構成するアルブミノイド雰囲気の化学的変質による凝固に始まり、そこで凝血塊が形成される。凝血塊が収縮し、レモン色の血清が排出される。馬の血液実験での完全な証明の通り、血球はこの現象には何の関係もない。
第二段階は血清が赤色化した瞬間に開始する。これは即ち赤血球変質の開始を意味し、ヘモグロビンが多少の変化を受けて血清に拡散する。以下のパスツール氏の実験で、血球に生じる変化が示されている。パスツール氏がこの実験に着手したのは1863年、私が空中胚種仮説を検証した5年後であり、氏が発酵体の自然発生説を破棄した頃であった。氏は「胚種が不在の血液は腐敗せず、その所以は血液に生きた存在が発生しない為」との証明を企図していた。この意図を汲むには、パスツール氏が原形質論者であり、生物を近成分の集合としか捉えておらず、有形発酵体に比肩する自律的に生ける有形物の存在を一切認めぬ立場であったことに留意する必要がある。
著者の書籍からこの実験の顛末を引用する。この書籍の出版は、私が微小発酵体を発見し、生体組織の微小発酵体理論を完成させてから随分の月日が経過してのことである。
氏は以下の言葉で切り出している。
では、健康生物の体内にある物質を調べ、当に生命が構築したが儘の状態で純粋な空気に晒してみよう 。
Études sur la bière, ses maladies, causes qui les provoquent, procédé pour la rendre inaltérable; avec une théorie nouvelle de la fermentation;
Gauthier-Villars.; p. 46
実際、氏はベルナールの助力の下、空気煆焼後の容器内に犬の血液を直接注入した。吹管 付の密閉容器には動物体内から採取した目的の物質の一部が収容され、従って空中胚種の侵入が遮断されていた。以下にパスツール氏の想像上の観察結果を原文から引用する。
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1.血液は空気を最高温度で煆焼しても腐敗しない。 その臭気は新鮮な血液のそれを維持するか、灰汁(アルカリ液)の臭気を放つ 。
2.フラスコを25~30℃(77~86℉)のオーブンで保温しようと、吸収された2~3%の酸素がほぼ同量の炭酸ガスに変換されるのみである 。
3.純粋な空気に晒した犬の血液に腐敗が一切発生しないこの状況では、血液の結晶が驚く程容易に形成される 。
4.常温のオーブンに収容した最初数日間に、血清は緩慢ながら徐々に黒褐色へ着色した 。
5. この変色に随伴して血球が消失し、血清と凝血塊は茶色や赤色に着色した極小の結晶で充満する 。数週間後の血清や凝血塊には血球は一片たりとも検出されない 。更に長期間が経過すると、フィブリン全体が単一のヒアリン性(ガラス質)の凝集塊へと変化する 。
この実験でパスツール氏は空中胚種の侵入を遮断した血液は全く以て腐敗しないと結論を下した。即ち、氏の見解では空中胚種のみが生成し得る有形発酵体の作用による変質を受けない。私は、実験手法が正確に実施されたと仮定すると、この観察は不完全であり、また結果の解釈が悪意の極致にあると別の機会に示した。この件はまた後ほど言及するが、現時点では、実験の事実は私の見解の傍証であると示すに止める。
パスツール氏の実験を総括すると、微小発酵体理論の一貫した主張、即ち、「生きた健康動物から抽出されるあらゆる組織、あらゆる体液は空中胚種から完全に遮断されて尚、確実に変質し、結果的に自然変質する」ことの確証であることは明白である。
更には、血液変質に二つの明瞭な段階があるとも証明している。
パスツール氏が凝血現象の考察を一瞬たりとも緩めなかったことは真実である。だが氏は、当初はレモン色の血清が徐々に赤変し、続いて深茶色へ変色する様子を目撃しながら、凝血塊の収縮や血清の排出および緩慢な着色の機序を強調することもなかった。後者の変化は変質の第二段階の開始を示し、また、その後の血液が含む酸素消費への移行が正確な為、吸収されたフラスコ内の微量酸素に応じて炭酸ガスが発生したと著者自身が証言することとなった。ヘモグロビンが益々変質する第二段階では血液結晶が形成され、最終的に血球が破壊を受けて消失し、その間に血球を網目構造内部に幽閉していたフィブリンは更に収縮していく。
この全体図は、二段階の変質の間に化学的かつ解剖学的変化が一挙に発生し、血球の破壊と完全な消失に終息する様子を明示している。
ではパスツール氏はこの印象的な効果の原因を何に帰属させたのか?1863年、氏は私の研究法を模倣しつつ、クレオソートをアルコールに代用して筋肉組織での実験に着手した。氏は大量の生肉をリネンに包み、アルコールに浸漬させて放置した。
曰く、
内部は腐敗しない。ビブリオ菌が存在しない為である。外部も腐敗しない。アルコールの蒸気が表面の菌の繁殖を抑制する為である 。
Recherches sur la putréfaction.
Comptes Rendus Hebdomadaires Des Séances de l’Académie Des Sciences., 56, 1189–1194.
; p.1194
だが著者は生肉から「明確な悪臭 がした」と言った。では何故悪臭がしたのか?氏の見解は単純である。
常温では、生肉内部での固体と液体の相互反応を抑制することは不可能である 。所謂"接触触媒作用”である(この表現を拝借するなら)ジアスターゼ作用が毎常不可避に発生することで生肉内部に少量の新たな物質が生成され、これが生肉に特有の風味を与えることになる 。
ならば常温では血液にも筋肉組織と同様の事象、即ち固体と液体同士の接触触媒作用が生じる筈であり、従って生肉が腐敗を経ずに悪臭を放つことと同様に、血液は腐敗せずに変化することになる。パスツール氏や氏に追随するアカデミーがこの説明に満足するのは幾らか口実があり、それは原形質理論が学者達のドグマとして共有されていた為である。この教義への崇拝こそが、血球を類器官に、血液や生肉を近成分の集合体と認識させる原因である。また更に深刻な事態は、パスツール氏が自身の実験結果から微小発酵体を見出す阻害要因か、或いは仮に視認しようとも蔑ろにさせる要因であることである。それは氏が悪臭を放つ生肉に微小発酵体や、剰えビブリオの存在までも見逃した如くである。兎に角、固体と液体の接触触媒反応の引用により、パスツール氏は血液や生肉の変質が腐敗現象ではないと自身を諭したのである。即ち、発酵現象なのだと。この名声ある学者の物事の捉え方が余りに広く行き渡った事情から、私はバラール が1874年に展開した主張の解説を余儀なくされた。
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