テレワークとかけて終活と解く
志村けん氏の訃報ニュースに驚きましたが、数日後の加藤茶氏の「本人も死んだこと、分かってないと思いますよ」発言には更に驚かされました。人の死がそんな形で襲ってくるのかという驚きです。誰が感染しているか分からない現状で、他人事ではないと心に刺さりました。それからです、部屋の片付けを始めたのは。
インターネットとは?
唐突ですが、インターネットとは何でしょう。以前考えていて描いたのが上図です。特性としては「省/広/集」、用途としては「伝/結/探」、それがその時の私なりの結論で、今でも変わっていません。
インターネットの特性
● 省:何かを省く(無駄なものや中間搾取するものは不要)
● 広:何かを広げる(ひと所にとどまっていない、拡大する)
● 集:何かを集める(集合させる、集約する)
それを前提として、WebアプリケーションやWebサイトの構築に関わってきました。何を伝えているのか、何と何を結びつけているのか、何を探せるようにしているのか。Webに関わる者として毎プロジェクトで自問しながら設計/開発に従事してきました。
インターネットの用途(カッコ内は設計者の自問)
● 伝:何かを伝える(何かをキチンと伝えているか)
● 結:何かを結びつける(孤立させていないか、つながっているか)
● 探:何かを探す(欲しいものを探させているか、探したくさせているか)
私自身はWebサイト構築を生業とする期間が長かったので、最終的には「コンテンツこそ命」という結論に至ることが多かったです。伝えるべきものがキチンと絞られ、それが表現できているか。それこそがWebサイトの骨格で、Webアプリケーションにしても本質を考えたときには類似の答えに辿り着いていました。
終活
さて、コロナ禍です。冒頭の訃報に触れたとき、様々なTV場面を思い出しましたが、同時に自分の行き先をも想いました。検査を受けられるかどうかは置いておいて、陽性反応が出たなら入院させられ、一定期間隔離されます。幸運にも退院できるかもしれませんが、それも叶わない場合もあるでしょう。
その時、私が持っている業務情報はどうなるんでしょう。「本人も死んだこと、分かってない」状態だとしたら、その時に指示は出せません。どこどこフォルダにあるなど説明ができない訳です。
一番仲間に迷惑をかけないのは、やはりクラウド上に保管し、随時チャットやメールで業務との接点が分かるような会話をしておくことでしょう。それなりに共有して皆で眺めていたら、私が急にいなくなっても困る人はいないはずです。皆に見せる前提に立てば、フォルダー構成や名前も分かり易くつけると思います。
次のレベルは、PCのローカルには存在するというレベルでしょうか。PWが分からなければ結局アクセスできないわけですが、HDDを無理やり取り出すなり、多少の無茶な対応も許せば、データを取り出すことができる可能性があります。
最悪のケースは、何も書き残していない場合です。山のような財産を保有しながら遺書もなく相続人も沢山で、場合によっては続々と隠し子が現れるケースです。複数の部署とプロジェクトにまたがり、予想だにしない人とも繋がっているのが後に発覚するケースです。ファイルはあっても、一子相伝的な巨大なExcelファイルとかも、暗号めいた遺書みたいで、ドラマじゃあるまいし中々厳しいです。解読するうちに、解読できたところで意味があるのが、今後の運用に使えるのか、でも今いまの数字はみたい…想像するだにストレスフルな状況です。
口頭指示のみで生き残ってきた人たちは、ネット上に何も残していない可能性があります。情報が遺されていないとは、広げるものも結びつけるものも探せるものもないということです。折角のこの広大なネットの上に何も遺さずに去られては、かなり迷惑です。ネット社会の「責任」とは、こうしたデータ化、見える化、トレース性と結びつく概念となって行くでしょう。
個人的な終活
部屋の片付けをしながら、どういう状態が一番嬉しいだろうかと考えます。我が家はネットジャンキーは私だけなので、私が突然死したらSNSも含めて突然休止です。だれも訃報とか書いてくれないと思います。なので、業務上の諸々の経緯はslackなどを通じて共有し、業務ファイルはクラウドストレージに置き、個人はファイルは手元のHDDと無料のクラウドストレージにまとめます。死んだ時には、訳の分からないガジェット群とMacとHDDが数個、幾つかの食玩と安い文房具類、それと衣類&寝具&愛用食器だけ。持っていた本も全部自炊してPDF化されてHDD内。HDDだけは再利用されると気持ち悪いので廃棄をお願いして、他は言われなくても捨てるしかないモノのみ。…出来得る限りミニマムな、そんな終わり方が目標です。
自分の部署がなくなるような働き方
私はDECという会社で社会人をスタートしました。日本のR&D研究所で様々な製品の日本語化に携わりました。そこで学んだ姿勢は、今でも時々思い出します。
日本語化のプロジェクトは、日本市場で売れる見込みがある製品全てに関係します。当時の米国人は2バイト文字の存在もほとんど知らず、アルファベット+程度の文字数があれば何でも記述できると思いこんでいました。ですから、その総本山に伝道をするのが各日本語化プロジェクトの裏使命でした。A0サイズの漢字コード表を米国に持っていったり、下手な英語で汗だくで説明したり。
そして、どのプロジェクトも日本語化で追加したコードを米国製品に組み込むことがゴールです。一度組み込んでしまったら、米国側で機能追加しても、日本語部分は既に入っていますから、自動的に機能追加された日本語版がリリースできます。もちろん2バイトコード特有のテストもあるので、日米同時リリースは無理ですが、半年遅れなどとはならなくなります。
そんなゴールをよくよく考えると、実は自分たちが不要になるように働いていることに気が付きます。日本語版も米国でリリースできたら、日本部隊は必要なくなります。自分たちの首を絞めるように頑張る…そんな組織でした。そしてそれが心地よさの原点です。
ユーザ(日本市場)が喜ぶために最善を尽くすこと、それは自分たちの今いまの仕事がなくなる方向であっても喜ぶべきこと。そして自分たちの仕事(日本語化)がなくなれば、独自のチャレンジングな仕事を探し出せば良い。私の部署の先輩後輩は皆が真剣にそう思っていました。
コロナ禍の働き方
今まで必要悪的に継続してきた仕事、ハンコ出社や紙整理や形骸化会議、それらを断ち切るために努力する層が必要です。まさに禍根を残さぬようにするために。若手が働かぬ上司のオモリをするのではなく、本質的に新しいことにチャレンジするために。
リアル会議がしにくくなって、デジタル化やDXが叫ばれているのも、偶然には思えません。記録にも残さずに回っている業務なら、おそらく全体としてはなくてもよい業務です。今までの悪癖も一緒に終活してしまいましょう。