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人の人生を聴く仕事/対話者になるまでの軌跡を振り返る


知ることで、想像することができる。

想像できると、世界は優しくなると思う。

100%「あなたの気持ちが分かる」なんてことはないけれど、それでも「あなたのその気持ちと似た経験や感情を知ってるよ」と言えるだけで救われる瞬間があるし、少なくとも私は、いろんな人の人生に救われて今日まで生きてきたと思ってる。



小さい頃、絵本が大好きだった。

小学生になってからも図書委員長になるほど図書室に通い、特に伝記を読むことが好きだった。


アンネフランク、ナイチンゲール、ダイアナ王妃、エジソン、ベートーヴェン、杉原千畝…

「こんなにすごい人にも、こんな経験があったんだ!」

よく名前を聞くあの人の人生のストーリーに励まされることがあった。

自分の人生だけでは知る由もなかった生きた世界、考え方や言葉との出会いに、価値観が広がることにもワクワクした。



話は少し変わるけれど、私は10歳の頃に夢を諦めた経験がある。

1/2成人式。将来の夢を語るその時間に、私は保育園からの夢だった「保育士になりたい」と話した。

でも、同じ夢を語る人の多さに「これはなりたくても就職先がないかもしれない」と、数年間握りしめていたものをあっさりと諦めたのだ。(結果的にその夢は叶うことになるが、それはまた別の会に…)


じゃあ、私は大人になってなにがしたい?

考えて考えて、考えた先に見つけた答えは、「誰かを笑顔にする仕事がしたい」だった。

でも、さらに私は中学3年の受験まで悩むことになる。だって、そんなの気持ち次第でどんな仕事でも叶えられるから。


例えば、お花屋さん。
日常にお花があるだけで暮らしが彩られるし、贈り物として人を笑顔にするお手伝いができる。

例えば、ショッピングモールの清掃員さん。
綺麗にすることで喜ばない人なんていないし、使う人が気持ちよく過ごせるお手伝いができる。

例えば、お店の定員さん。
ぶっきらぼうで適当にされるより、相手のことを思って、丁寧に接客されたら何倍も嬉しいし、そしたらやっぱり笑顔にできる。

そういう“心地良い社会“を作っているのは、名前をよく聞く有名な人ばかりではないということに気付いた時、人ひとりの人生ってすごいなって思ったし、もっといろんな人のことを知りたいな、知られるべきだなって思った。



28歳までの私は「私なんて」が口癖で、他人のことは「素敵だね」って思えるのに、他人から自分に向けて掛けられる「素敵だね」の言葉には「そんなことないよ」と受け入れられなかった。


秀でた何かがあるわけでもない

何か功績をあげたわけでもない

そんな自分には価値がないと思ってたけど

自分の人生を自分の言葉で語れるようになった時「私の人生、悪くないじゃん」って思えた。そんな経験を積み重ねていくなかで、次は「自分の人生でよかったな」って思えるようになった。


10人いれば、10通りの人生がある。
100人いれば、100通りの人生がある。

人の性格や思考は、いろんな出会いや経験から培われていくものだから。


その人がどんな道を歩んで、何を想って生きてきたのか。

知ることで、その人から学ぶことがある。

知ることで、その人の気持ちを想像することができる。

想像できたら、じゃあ「今」その人とどんな関係性を築きたいかが見えてくる。

そんないろんな人生との出会いが、自分の世界を広げてくれる。


人を知ることは、自分を知ること。

知ることで見えてくる、その人が、自分が何を大切にしてきたのか。

そんな大切なものを知り合える世界は、可能性にも、優しさにも満ちていくと思う。そんな世界を願って、今日も「いろんなことがあったあなたの人生、素敵だね」って伝えたい。そう言い合える繋がりを紡ぎ続けたい。




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