なんでまた私は宿をやるのだろう:その①
ひょんなことからメキシコで日本人宿をやっていました。
美大生の頃、テキスタイルの授業で、世界のいろんな布を見せてもらって
「!?」世界にはこんなかわいい布があるのか!と衝撃をうけた私。
女子バックパッカー~世界のかわいい布を巡る旅に出発~
バックパックを背負ってひとり旅にでました。
東南アジア、インドをまわって、メキシコ~パナマまで行く世界のかわいい布を巡る旅。
メキシコへ
たどり着いたのは、メキシコ、チアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサス。
アメリカからメキシコを南に下っていた私は、それまで先住民感をあまり感じられずにいたのですが、
夜行バスで到着して朝もやの中バックパックを背負って歩いていると、民族衣装をきた先住民がコロニアルな石畳の街をとことこあるいてる。
わー!思い描いてた風景がこんなとこにあった!
カサ・カサ
当時(15年ほど前)はスマホも、wifiもないし、口コミが頼り。
びっくりするくらい英語が通じないメキシコで
スペイン語がしゃべれない私は日本人宿をめぐり情報を仕入れながら旅していました。
グアナファトの日本人宿で、
「カサカサ」という日本人宿があるよと聞いてきた私。
町中から少し離れたその宿は、
笠置さんという革命家の60代のおじいさんと、ひでくんが
やっている宿でした。
ここサンクリでは、近郊の先住民の村を巡って感動したり、
民芸品を買付したりして過ごしていました。
当時、中米にくる旅人は強者ぞろいな感じで
こじんまりしたその宿の宿泊者は3,40代のおじさんたちが多くて
引っ込み思案だった20代のわたしは少々びびっていたのですが
徐々に打ち解けていって、シェア飯したり、一緒に出かけたり
どんどん滞在が長引いて、沈没したのでした。
そしてひょんなことから、ひでくんとわたしはパートナーに。
といいつつ、いつまでここにいんねん!となった私は
再び旅を始めることに。
憧れの地グアテマラ
カリブ海とベリーズをひでくんと一緒に旅して
私は憧れのグアテマラへ。日本でエスニック雑貨屋さんが大好きだった私。気になって手に取るものがほぼほぼグアテマラのものだったのです。
南米を目指す人は、物価が安いグアテマラでスペイン語を習ってから旅を続ける人が多くて、私もホームスティしながらスペイン語の学校に通ったり、織物を習ったり、村をまわったり、スーパーのコーヒーショップのおばちゃんと仲良くなって毎日かぎ針習ったり。先住民の物売りのおばちゃんに付いていって村でホームスティさせてもらったり。
結局、パナマまで行かずにメキシコに戻ることにしたのですが
なかなか戻らずにひでくんに怒られるわたし。
(今も買い出しいったらなかなか帰らんから一緒やな)
再びメキシコで道売りの世界へ
やっとメキシコに戻った私は、宿業しながら道売りをしていたひでくん(その頃はかぎ針で編んだライターケース売ってたかなぁ。とか、あなたのお名前、漢字で書きます屋?)に連れられて、なんかしらんが道売りをはじめることになるのです。
もともとモノづくり好きで、売ったことはなかったけど、友達の誕生日とかなんか作ってあげるのが好きやったし、旅中に買った古布つかってなんかつくったり、帽子編んだりして、夜のサンクリの道でなんか売るという謎の世界にまきこまれてゆくのです。