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曖昧な境界線


わたしが子供の頃は発達障害という呼び名は

まだなかったし、今となっては発達障害という

くくりもあまり聞かなくなり、それに代わって

また新たな呼び名が増え続けて、細分化していて

どの呼び名がどんな特徴があってとかが

把握できていないんだけど、

子供の頃から人と同じようにいろんなことを

こなすことが出来なくてそれに悩んでいた。

軽度だけど発達障害の気があると言われ

大人の発達障害に関する本を読んでみるといいかもと

すすめられて読んだ本には

けっこう当てはまる特徴があって、

こういう時はこうしたらいいという対処法も

載っていたのを試したら、楽になった部分があった。


何より、発達障害の気があると言われて

なんだか人より普通に普通のことをこなすことが

難しいとどこかで感じていたことの理由が

分かったようで、気持ちがふっと楽になったのを

覚えてる。


わたしは一度に複数のことを言われると

覚えきれなかったり、後でしようと思っていたことを

すっかり忘れてしまうことがある。

また、音や匂いなどに敏感に反応しすぎることが

多かったり、焦りやすくてちょっとのことでも

あわあわしてしまう。

そういうのが一番困るのは仕事の時で、

すぐミスをするから気をはってるつもりなんだけど

でもミスがあまり減らなくて、、、

わたしはなんとか注意を最大限にするようにと

していたけど、その本を読んだことで

普通なら注意していたら忘れなかったり

できるレベルのことでも

例えば、このあと少ししたらこれをする、とか

たいていの人なら覚えてるだろうことでも

私は対策が要るのだと分かり、

とにかくなんでもメモしておくなり、

メモが難しい時は何か気づけるように物をいつもと

違う所に目印で置いて、何かを忘れていることに

気付けるようにした。

人からしたら、いや、そんなふうに対策するのは

忘れっぽい自分を把握していたら当たり前に

しておくべきことでしょ、と思われてしまうぐらい

初歩的なことで、こんなことを書くのも

恥ずかしいのだけど。


あと、いっぱいいっぱいになって焦ってしまったら

一瞬そんな自分を俯瞰して深呼吸をしたり、

水を一口飲んだりしてみる。

するとちょっと落ち着いて状況を見れて

あっぷあっぷしていた頭の中が静まる。

そんなちょっとの行為を間に挟むことで

だいぶ楽になれた。


以前はいっぱいいっぱいになったままの状態で

ずーっと走り続けないとと、

自分をせき立てていたので

必要以上にエネルギーを消耗していたんだと思う。


一呼吸入れることや、忘れることの対処で

だいぶ楽になれてきた頃のこと。

仕事中にけっこう立て込み

以前のようにまた頭がいっぱいいっぱいになって

しまったことがあった。

その時に、わたしが感じたのは

いっぱいいっぱいになってしまった辛さではなくて、

いろんな対策をするようになってから

ここまであっぷあっぷしなくなってしまった自分への

微かな寂しさだった。


久しぶりに以前のようにテンパって、

しばらく感じていなかったそんな自分を

ふと一歩引いて見た自分が

そのテンパっている自分を切なく、懐かしく

見ていた。

そして以前はこんなテンパる自分を

なんとか変えたくて、いろいろやってみたことで

だいぶ変われて、だから今回も一瞬は以前並に

焦りはしたけど、わりとすぐそれを

冷静に見る自分が現れた。

その時感じたのは、以前のテンパったまま

進むしかなかった、必死で頑張っていた私への

愛しさと、もう対処法も分からずただ必死だった

わたしには戻らないんだという

微かな虚しさだった。


もちろん焦ってそのまま突き進むしかなかった

あの苦しさに戻りたい訳ではないけど、

でもあの時の必死なわたしがもう居なくなって

しまった。

わたしが消し去った。


その時に感じた、なんだか言いようのない寂しさが

今も忘れられない。

わたしが変えようと必死だった過去のわたしに

あんなに頑張ってくれてたのに

ごめんねって思った。



























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