大韓民国臨時政府の正体
エロ本売りのソースはコレぐらいだけど。金の無心をしにいってもニートを支援する奴などいないから、エロ本売りとか売春経営で糊口を凌いでいた。
大韓民国臨時政府について
大韓民国臨時政府は高宗死去後に起きた1919年の三・一運動の後、4月1日に上海に成立した自称臨時政府の事を差す。独立政府が出来たのは日韓併合時の1910年ではなく、そこから9年経った1919年と言うだけでツッコミ所満載だが。
よく考えると1919年1月に第一次世界大戦のパリ講和会議が行われており、3月に第3インターナショナルが結成されている。この余波で世界中で暴動が多発している。例えば、4月にはガンジーの不服従運動が始まっており、ハンガリー・ルーマニア戦争が起こり、5月に中国で五・四運動が起き、6月にはハンガリーで武装蜂起。そう考えると高宗の死は無関係な気がしてきた。当時、ソ連やフランスの様に世界情勢が不安定な方が都合が良い勢力が存在していた。
1917年のロシアに全露韓族会中央総会が出来ているのでこちらの方が古い気がする。ただし、北朝鮮の国家正統性が強化されるので韓国的には採用出来ない。そもそも臨時政府に近い組織が、朝鮮内、満州、ロシア、中国各地、アメリカなどに複数存在していた訳だ。その中で、韓国政府が上海臨時政府をルーツとする大韓民国臨時政府を正統としているのは李承晩と金九が大韓民国臨時政府に在籍していたからだけになる。
韓国の第一次憲法(1948年)の前文ではこうかかれている、
この段階では三・一運動のみが記載されている。この部分は第二共和国憲法(1960年)でも同じだが、李承晩追放後の第三共和国(1962年)憲法で変わる
4·19義挙 → 李承晩を追放した運動
5·16革命 → 朴正煕の軍事クーデター
朴正煕の正統性が記述された。第四共和国(1980)憲法では、この部分が消える。
民主化憲法(1987年)ではこう変わる。
4.19民主理念 → 4·19義挙と同じ。李承晩を追放した運動
大韓民国臨時政府の正統性は、1987年の民主化憲法に依拠しているようだ。しかし、こう定義すると大韓民国の正統性は李承晩ではなく金九に置かれる。
大韓民国臨時政府の前身
1907年に成立した新民会だと思われる。ただし秘密結社だったため実態が定かではない。ただ、金九の自伝では(伊藤博文を暗殺した)安重根の従兄弟の安明根が西間島に武官学校を作る為の資金調達のために強盗を目論んだとある。このもくろみが明らかになると(1910年 安岳事件)、寺内総督暗殺計画(105人事件、梁起鐸保安法違反事件とも言う)などが明るみに出て(朝鮮総督府によるでっち上げとする説もある)新民会は1912年頃に壊滅した。なお、当時半島に存在した両班を狙う強盗団(両班を狙う強盗団は義賊でもあるが)一掃の一貫で潰された説もある。
金九は安岳事件に連座して牢獄に入れられていたらしい。この事件に連座したのは地元の資産家金鴻亮が運営していた私学校の楊山学校のメンバーが多く、楊山学校などの私学校を危険視した朝鮮総督府が、安明根に偽の自白を促した可能性も考えられる。しかし、安明根の強盗のもくろみ自体を金九は否定していないどころが、たしなめたと記述しているため安明根が強盗働きしようとして捕まったのが恐らく事実だろう。ちなみに西大門刑務所は差し入れし放題。金九も食べ物を沢山差し入れて貰っている。戦前の刑務所は緩い。
大韓民国臨時政府の実態
大韓民国臨時政府は、最初は上海のフランス租界に合ったが、総勢は25名程度だったようだ。1919年10月には満州、ロシア、ソウルなどにあった臨時政府を統合したと自称しているが、その中で内ゲバを繰り返していた。資金繰りに窮しており、エロ本売りや売春経営などで資金調達を行っていたとされている。内ゲバどころか金九の自伝によれば朝鮮人の詐欺師にだまされるわ、朝鮮人の強盗団に襲撃されるわ、公金横領が横行するわで散々だったようである(今も変わらない?)
李承晩を首班としたものの1925年4月に李承晩が追放され、李承晩はハワイに生活拠点を移す。大韓民国臨時政府より後の1919年10月10日に結成された孫文の中国国民党が、1921年10月 広州で独立し、広州政府を発足させたとき大韓民国臨時政府は未だ上海で内ゲバを繰り返していた。
李承晩追放後は、組織として維持出来ない状況にまで陥っていたようだ。特に資金難は深刻で、金九などは乞食生活していたという。
金九ですら自伝に上海臨時政府時代を実態が無いと書いている。もっとも金九の自伝は伝聞の嘘のうえに自分の嘘を盛りまくるっているので真実が少ない(他の資料と付き合わせると矛盾がでまくる)。金九は三・一運動に参加せず、いきなり上海に高跳びしていたらしい。
なお広州政府が発足すると大韓民国臨時政府は朝鮮の独立を認める様に広州政府に使者を送っている。しかし広州国民政府は、支配地域が広州しかなく国際承認も受けていない状態である。その様なところに独立を懇願しにいくばかりか広州に本拠を移そうとしていた様である。
1932年の上海事変以降、大韓民国臨時政府は事実上中国国民党の秘密組織に組み込まれる(少なくとも1937年の日中戦争まで国民党との関係は秘匿されていたようだ)。ちょうど李奉昌と尹奉吉のテロが起きたのは1932年で偶然では無い。全部1931年の満州事変からの延長線上にある。(満州事変、李奉昌テロ、上海事変、尹奉吉テロの順になる)
中国に於いて高麗棒子は日本人より嫌われていた為、大韓民国臨時政府は上海にいるのが厳しくなっていた。李奉昌の事件の時期の上海臨時政府は、乞食紛いの状況で東京までの旅費を出すのも厳しい状況。何処かから資金を調達したようだ。そんな有様なので尹奉吉の事件も当初は中国人が起こしたものと考えられていた。この2つのテロを支援する余力など上海臨時政府にはなく資金はどこかの工作費からでていた可能性が高い。それはともかく、この事件により、国民党から資金援助が受けられる様になり乞食時代に終止符が打たれた。
しかし、その1932年から1945年までの間、大韓民国臨時政府が何をやっていたかと言うとやはり内ゲバである。実にすがすがしいほど内ゲバばかりである。
良い年したニートのおっさん達が政治ごっこで内紛していた組織と書くと身も蓋もない。しかもマウントの取り合いで話を盛りまくるから歴史を改ざんしまくる。
当時の朝鮮独立運動は大きく三つの派閥が存在し、さらにその下に細かい派閥が無数に存在する状態だった。
民族主義的政治党派
共産主義的政治党派
無政府主義的政治党派
大韓民国臨時政府は、1の系統が主流であり、2の系統はソ連の共産党系組織に吸収されていくことになるが、1921年時、上海には2の分派が大きく二つあり抗争していたようである。日中戦争の最中、大韓民国臨時政府の民族主義的政治党派は、蒋介石の圧力により大きく右派と左派にまとまることになる。逆に言うとそれまでバラバラだったと言うことになる。これは1937年の国共合作以降も続いていた。資金提供者の蒋介石の意向は無視出来ないはず(1942年の場合、活動費の8割を国民党からの支援に依存していた)なのだが、独立そっちのけで内紛を繰り返しており、1938年5月7日には李雲漢の逆恨みよる党首銃撃事件も起きている。
右派:韓国光復運動団体聯合会
韓国国民党(金九)
韓国独立党(洪震)
朝鮮革命党(池青天)
大韓人同志会・韓人愛国団・韓人団合会・北米大韓人国民会・ホノルル大韓人国民会・大韓人婦人救済会など
左派:朝鮮民族戦線聯盟
朝鮮民族革命党
朝鮮革命者同盟
朝鮮民族解放同盟
朝鮮青年前衛同盟
これにより1938年7月17日に全国聯合陣線協会が作られたが、1939年8月には崩壊した。左右合同に失敗したため、1940年頃には右派のみの合同が試みられた。韓国国民党、韓国独立党、朝鮮革命党の三党を合併し、新たに韓国独立党が結成された。しかし、この党派も再び分裂している。
このように内紛が繰り返していた大韓民国臨時政府が形式上統一されるのは、1942年5月18日らしい。第二次世界大戦の激戦の最中で、戦争そっちのけで足のひっぱりあいをしていたから、蒋介石がぶち切れたんだろうけど、こうして右派左派統合は行われていたものの内紛はなくならなかった。1943年4月のピストル盗難事件で左右対立が険悪化していた。しかし、この頃になると連合軍有利の知らせが入る様になり、1943年11月22日には連合軍首脳によるカイロ会談が行われている。そうなると、すわ独立と色めき立ち、朝鮮独立に向けた工作も活発もなる。内紛は繰り返されており、公金横領事件など様々な政治工作が行われていた。
そして1940年に結成されたと自称する光復軍は何一つしないまま終戦を迎えた。この光復軍の実態は兵卒より士官の方が多いから、戦争ごっこの組織なのだろう。
25年間この状態であるから左右合同が出来る訳もなく、戦後は更に深刻化する。深刻な左右対立は朝鮮半島にソ連とアメリカがつけ込むのに最良の状態であり、結果、南北分断が確定する。指導者としてソ連は金日成を指名し、アメリカは李承晩を担いだ。同じ反共でも分離独立を支持する李承晩と南北統一を主張する金九は対立していた。結果、金九は暗殺されることになる。
それでも大韓民国が臨時政府を認めないと行けない理由
東北人民革命軍として抗日活動していた朝鮮労働党と違って何もしていないからに尽きる。ただ、この史観で独立運動を見ると金九しか残らなくなる。しかも厳しいはずの日帝時代を生き延びた独立義士の多くは終戦から朝鮮戦争の間に暗殺されている。歯止めのない内ゲバって怖い。
参考文献:
https://core.ac.uk/download/pdf/70367637.pdf
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/25681/files/10_Noriko-KOKUBUN.pdf
http://www.cks.c.u-tokyo.ac.jp/images/event/150824/150824_kanou.pdf
白凡逸志(ペクポムイルジ): 金九自叙伝 (東洋文庫 234)