朝鮮王朝実録 総序(20)太祖 李成桂16
告げ口外交の連発である。これこそ伝統である。
五月、順安君の王昉、同知密直司事の趙胖が京師+1から返ってきて言うには、「礼部*2が臣たちに言うには、『あなたの国の坡平君の尹彛、中郞将の李初なるものが帝に訴えに来て「高麗の李侍中(李成桂)は王瑤を主として擁立したが王瑤は宗室ではなく、李侍中の姻戚です。王瑤と李成形は、兵馬を動かす謀で、上国(大明)を侵犯しようとたが、宰相李穡らはそうは思わなかった。そして、将李穡、曺敏修、李琳、邊安烈、權仲和、張夏、李崇仁、權近、李種學、李貴生らを殺害し、将禹玄寶、禹仁烈、鄭地、金宗衍、尹有麟、洪仁桂、陳乙瑞、慶補、李仁敏らを遠流にしました。その宰相らを貶めたことにたいし私達が密かに派遣され、天子に告げに来たのです」と言い、しきりに、親王を天下の兵を動かし討伐することを願った。』そこで尹彛と李初が出してきた記されたもの確認したところ(曺)敏修などの姓名を示されていた。趙胖と尹彛らは答弁し『本国(高麗)の事大の以誠は、これにあるのだろうか?』と言うので、尹彛に『あなたの位が封君になったことを私が知っているだろうか?*3』と問うと、尹彛は愕然として顔色を失った」と。
そこで禹玄寶、權仲和、慶補、張夏、洪仁桂、尹有麟と崔公哲らを巡軍獄にわたし、李穡、李琳、禹仁烈、李仁敏、鄭地、李崇仁、權近、李種學、李貴生らを拘留し清州の獄で取り調べた。
*1 この時期は明の応天府(南京)
*2 明の官庁、六部の一。祭祀と外交を統括する部署。
*3 坡平君を詐称していたのだろう
※ 告げ口外交
六月、恭讓王は清州の水害により、太祖と沈德符を召し、囚人の恩赦について相談した。吏曹判書趙溫を淸州に送り、教をくだして言うのを略して書くと
「尹彛らの言うように、その教令の人の罪が反逆に関わるとき所業をたずねて明らかにしなければならない。そこで有司に命じ、尹彛の親戚の尹有麟を問い詰めると、その罪を知り食を取らずに死んだが、同じ陰謀で崔公哲は罪に服し、金宗衍は逃亡し、その他の余人らは、情状があきらかではない。かりにむちを加えて聞いても、詐りに陥り罪に落とすおそれがある。上にあげた人らを、すでに招きに応じ見定めたものを除いて、各所、適切に安置するように。」
十一月、太祖は尹彛、李初の獄により、職を辞すと上書したので太祖は領三司事*4になった。金宗衍は西京(平壌)に行き、千戸尹龜澤と沈德符の旗下と繕工判官の趙裕同と太祖を害そうと共謀したが、尹龜澤は陰謀がもれるのを恐れて、太祖のところに密かに行き、変を密告した「(金)宗衍と沈侍中(沈德符)、池湧奇らがことなる陰謀をしているようです」
趙裕はまた言った「沈侍中は、鎭撫の曹彦と(趙)裕と挙兵しようとし命令をだしています。これは必ず、公の不利になります」
太祖は沈德符にその密告を言い、沈德符は趙裕を牢獄にいれた。太祖がもうしあげるには「臣と沈德符は心を同じにして国遣えているので、本当に猜疑がない。趙裕の言うことを聞かず、私たち二臣を終始保全するように」
恭讓王は、これをゆるすため憲府に上疏しこれを調べるようにいった。趙裕は絞殺に処され、 沈德符、池湧奇、曹彦らは等しく外に配流された。
*4 三司(財務省の様なもの)長官らしい(辛禑始置領三司事とある)従一品か?
恭讓王は憲府*5の請願により、諸元師の印章をことごとく回収した。
*5 綱紀粛正を担当する官庁
十二月、再び太祖は門下侍中都総中外諸軍事になった。
太祖は上に辞する箋(手紙)をだし、
「ただ徳による授位は、君上の明により、寵をもって功があるのをしいるのは、人臣の義に合います。英華を冒し貧困を進めるか、もしくは禍をはやめ怨恨を招くでしょう。それにより、召公*6は、権勢が増すほど居がたくなるのを憂い、蔡澤*7は、功あるものは去ると言った。くらべると我が朝廷の侍中の仕事は、実に周家冢宰*8の官に似ている。国をただすのは既に難しく、陰陽を変えるのは易しくない。省みると臣は度量が狭く、学問にうといのです。偽王が毒を流して居る(禑王)時に軍を挙兵し華夏*9を侵略しようとし、神人はともに憤り、宗社はいくども傾いました。そして諸将と軍を返し、天子の命を奉ることで僭王の一族を自滅させ、正しい血筋を伝え復興をなしとげました。けれども祖宗の陰謀は、もとより臣の力のおよばないところで、特にしめらせた爵邑の恩で、なお内外の事を治めています。たすけもなく国を治めることは、仕事に失敗する恐れを常に抱きます、今年の春においても尹彛、李初が中国に逃げいり、天子をもてあそび、親王に天下の兵を動かすように請願し、社稷を移そうとする件がありました。首謀者の金宗衍は、混乱を起こし逃亡しています。この王室の安否にかかるのは関わる臣の身の利害だけでありません。そこで、人を匿い、故意に放置するものがいるのならば、それは不法な陰謀や反逆にすぎません。ただ臣の寵の利を使いつづけること思いめぐらせると、これにいたる考えは驚きと恐怖がなくなりません。近く、右揆*10をやめられれば私自らの心の中は幸せになる。今また、臣侍中を除こうと天から命が下れば自分の身をおく場所がありません。まして今は国家を再建し、文物を復興させいます。自分は逸材ではないので、どうして国政の輔助にあたれるでしょうか?徳に重くないので、人の情をなだめることもできないでしょう。いつわりなき臣の誠の願いを聞いて、臣を重責から解き放ってください。臣は謹んで、賢者の路を避け、むなしい職のそしりをのこさないとしているのです。家で老後を送り、祝釐*11を願うことに専念します」
王はゆるさず、これに答えるには、
「反乱を鎮圧して、実に世に名高い人材だ。道を論じ国をおさめることは必ずや天に代わる相が待っている。ゆえにその身の去就は、国の安否に関わる。ただ卿の志は風霜に励まされ、 気は光嶽をあつめるのだ*12。自ら思えば、昔から功績が王室にあり、式は今に至り、徳は生民を被う。朔陲で納氏を追い、四境で倭寇を殲す。先王薨逝により以後、偽姓の王がいる間は竊れ、遊畋(遊猟)を荒らし、酒色に耽り、殺戮をほしいままに行い、頑兇を大いに肆にし、軍隊を起こすに至り、華夏を侵略しよとうし、卿は逆順を知り明らかにし、倡は義により戻った。宗親と諸臣たちと謀をめぐらし、対に偽姓の王を廃し、ただ、その身のみで推戴し、国の危機を幾たびも戻し、平安を復し、途絶えていた宗祀を再びつなげた。功をくらべ徳をはかると古えの輝き今の光だ。まさに、永代の我が家の助けになり、栄享を後嗣に伝えれば、なぜ、群小が密かに集まり好き勝手に陰謀を巡らせられるだろうか?この実は余にあり、卿の所為にではないのに己を責める深い志がある。その刑章を正しくしようとし、卿は、牋章を慌ただしく送り、規程により職任をやめようとしている。卿といえども思いをつまびらかにしても余はそれに則るのを望んでいない。元首と股肱は既に同一で、山河が不変なよう*13に私の心を忘れるのだろうか?固辞を煩うことを辞め、速やかにその職に戻って欲しい」
*6 召公奭 西周の政治家。周建国の功臣。
*7 蔡澤 秦の宰相。誅殺を恐れ宰相の位を返上している。
*8 周王朝の摂政
*9 中華中原(シナ)のこと
*10 韓国訳は右議政にしているが右議政は李氏朝鮮に入ってからの同等の官職で、この時代は門下守侍中である。
*11 祝釐……(禅宗において)国家の幸福を祝祷すること
*12 氣鍾光嶽……元代の学者、姚燧の《牧菴文集》から、光嶽は三光五嶽をさし、三光は、日、月、五星(水星・金星・火星・木星・土星)、五嶽は、東嶽泰山の雄、西嶽華山の險、北嶽恆山の奇、中嶽嵩山の峻、南嶽衡の之を差す、まとめて天地を意味する。
「烏雅爾贈營國忠勇公制
惟太祖之基命龍遂乘雲有良臣以樹勲魚猶得水展
我同姓豈伊異人具官某氣鍾光嶽之純全誠貫金石
之堅確智足謀國勇則冠軍佐天運之維新憤人心之
未定旣降復叛必煩以行旣自北而徂南首遼尾魏亦」
*13 原文は山河帶礪……河山帯礪 永久に代わらないこと。黄河と泰山を差す。
※ このあたりは茶番ばかり
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