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ミテモのあらたなパーパス探求~代表澤田の今の気持ち・大きな「空っぽ」~
こんにちは。ミテモの乾です。
新年あけて始まった「ミテモのあらたなパーパス探求」プロジェクトは、2/1(金)に人事ユニット・コーポレートコミュニケーションユニットメンバーを中心としたコアメンバーにより、ミテモのあらたなパーパスの原型づくりのためのワークショップを行うことになりました。
それに先立ち、代表の澤田さんが社内SNSに、このプロジェクトに取り組むにあたっての今の気持ちを投稿しました。
彼は、会社の「理念」や「ミッション」「Why」などはできるなら無いほうがよく、”大きな「空っぽ」”があるといいとのこと。いやはや、わかってはいますが、なんとも天邪鬼な代表でございます。
さてさて、今後生まれ出ずる”メッセージ”はこの投稿に寄り添ったものになるのか、それとも全く予想しなかったものになるのか。楽しみでございます。
では、代表澤田の想いをご覧ください。
とりあえず、澤田の心持ちというか、文脈を共有しておきたいと思ったので、2.1を一週間前に控えたということもあり共有します。
まず、これは澤田の一意見です。
また、これは2.1に話し合いの場を設けることを批判するものでも、この取組みに疑義を唱えるものでもありません。そもそもこの取組みの発端は乾さんと僕のやりとりから発したものだし、また、進め方なんかについても乾さんから説明してもらいながら、澤田も納得の上で進めている取組みです。
あと、先に言っとくと、こじれた、こねくり回した話をしますwへっへっへ。すんません。
さて。僕は今もミテモという会社を説明するためのwhyや存在目的や理念は無い方がいい、と思ってます。
それは以心伝心で伝わるから、という理由ではなく、whyや存在目的や理念というものが出来上がることで、「それに基づけばよい」と思考が規定されることを忌み嫌っているからです。あるいは、whyが明確にあった方が「分かりやすい」という考え方も、どこか好きにはなれないわけです。それはミテモに関わる人の思考を奪ってしまいそうで。
だったら、学びを3歩、未来にすすめる、というスローガンをなぜ掲げたのか。これは、僕が上記のような違和感を言語化できてなかったからで、浅はかだった。だから、この言葉のお葬式もやりたいなぁ、なんてことを思ったりしてますw
しいていうならば、僕はやはりミテモは何かがクリエイションされる装置でもあってほしい、と思っている。そしてまた、その装置からどういうクリエイションであるかについてはあまり興味がない。ただ、クリエイションを生み出すためには、方向性を定められることなく、そこに自ら思考することが求められ、与えられることなく自ら自由を獲得し、想像・妄想できるだけの大きな「空っぽ」があるといいなぁと思っています。
だから、とりわけ「私たちは、●●をすることで、▲▲を実現していきます」と標榜するものを掲げたくはないなぁと思ってます。
特に、理念とか存在目的とかビジョンとかミッションとかwhyとかって言って言葉を掲げると、何らかの指向性のあるものとして捉えるじゃないですか。だから、そういう言葉で、ミテモとは何かを語りたくないな、と。むしろ、「そういうものはない。なぜならばね」と語る言葉を持ちたいと思ってます。
でも、その、そういう分かりやすい言葉みたいなものを掲げないwhyはあるわけで、また、それって全然伝わってないし、今後人が増えていくと一層以心伝心じゃ伝わんないよねって話があって、12月に乾さんとそろそろ「理念と呼ぶかは分からないけれど、そういったものを言語化するかー」という話になったのですねー。