ミテモのあらたなパーパス探求〜会社の理念について徹底的に対話した顛末
こんにちは、ミテモの小林です。
1月から始まった「ミテモのあらたなパーパス探求」プロジェクトですが、2月1日に人事ユニット・コーポレート・コミュニケーションユニットのメンバーを中心に、原型づくりのためのワークショップを実施しました。
少し時間が空いてしまいましたが、当日の様子を人事ユニットリーダーの飯田さんにレポートしてもらいました。
これまでのミテモのあらたなパーパス探求
1.ミテモのあらたなパーパス探求~序章~
2.ミテモのあらたなパーパス探求~代表澤田の今の気持ち・大きな「空っぽ」~
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【読了時間: 12分】
(文字数: 4,500文字)
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こんにちは、ミテモの飯田です。
「ミテモのあらたなパーパス探求」シリーズ第3弾として、2月1日に丸一日をかけておこなった対話の場について、レポートしていきます。
まず前提情報として、ミテモの会社としての特徴を書いておきます。
・2011年に設立された、今年9年目の会社です。メンバーは、アルバイトスタッフを含めても50名弱の小さな所帯となっており、オフィスはワンフロアにまとまっているため、まだお互いの顔が見える関係性です。
・メンバーの年齢構成は、社長はじめマネジメントの人たちがアラフォーで、20代の若手も多く、比較的若い構成となっています。また社員・スタッフ以外に、業務委託パートナーとして参画しているメンバーも多く、内外の境界が曖昧な面があります。 採用については、新卒も中途も手掛けています。中途については、社員の紹介のパターンが増えています。
・親会社にあたる株式会社インソースが上場していることもあり、売上と利益の期待は、重く背負っています(幸いにして、ここまでの業績は、成長傾向にあります)。
・ミテモが顧客に提示している価値は、社員向けの教育や、コミュニケーションに関するソリューション。そのなかには、企業理念の策定・浸透の支援も含まれています。顧客に対しては理念経営をすすめているのに、自らについては、これまで理念と真剣に向き合ってこなかったというところが、おかしくもあり、独特なところでもあります。
理念のコトバをゼロからつむぎだす、2つの切り口
さて、いよいよ本題です。
理念のコトバをゼロからつむぎだすときには、次の2つの切り口があります。
理念のコトバをゼロからつむぎだす、2つの切り口
・トップダウンか、ボトムアップか
・外的要請か、内的要求か
今回僕らが採用しているのは、「ボトムアップ」と「内的要求」の2軸です。
1つ目の切り口:トップダウン VS ボトムアップ
トップダウンではなくボトムアップとしているのは、社長の澤田さんが、ミテモの可能性を、理念のコトバによって束縛することへの懸念ないし嫌悪感を繰り返し強調していたから、という身も蓋もない理由もあります。これについては詳しくはこのシリーズの2本目の記事「ミテモのあらたなパーパス探求~代表澤田の今の気持ち・大きな「空っぽ」~」をご覧ください。
要するに私たちには、トップダウンという選択肢はなかったわけです。もし、トップの思い入れが強烈なチームであれば、トップダウンでもよいわけで、これは突き詰めると好き嫌いでしかありません。
それでもボトムアップで考えることのメリットをあえてあげるとすれば、このようなプロセスを通ってつくられた理念は、メンバーの理解とコミットメントを引き出しやすいということがあるでしょう。
他方で、色々な立場と関心の人たちが、違い・反発・対立を乗り越えてひとつの理念をまとめていくプロセスにはおおきな困難さが伴うことも、容易に想像できます。私たちは、この面倒くさい道のりを選択しました。
2つ目の切り口:内的要請 VS 外的要請
次にもう一つの切り口について見ていきます。
外的要請とは、例えば顧客や競合などの、外から与えられる条件です。内的要求とは、反対に、組織の内側の構成メンバーのこうしたい・こうありたいという主観的な思いです。
もちろん、この両者は二者択一ではなく、現実には両方の要素を同時に見る必要がありますが、今回私たちは、後者に重点を置いてかんがえることにしました。長い時間軸で理念を語る際には、後者がより重要だとおもうからです。
ボトムアップかつ内的要求に耳を傾けて理念をつくっていくプロセスとして、僕らはレゴⓇシリアスプレイⓇを選びました。全員がコミットできる安心安全な対話の空間をつくれること、抽象度の高い内容であってもブロックの造形が媒介となってきちんとかみあったコミュニケーションがとれることが、主な理由です。自分自身、ファシリテーターとして、この手法をよく理解していたので、この選択には迷いがありませんでした。折角ならファシリテーターもこだわって、業務委託パートナーの一人、百戦錬磨の井澤さんを招へいしました。
また、今回は自分たちにとっての初めてのチャレンジとして、グラフィックカタリストの成田さんをお招きして、グラフィックレコーディングもとりいれました。一人ひとりの発話内容を、即興でグラフィックに記録していき、あとでそれをみんなで眺めながら、さっきまでのダイアログの内容を振り返り、再度味わいなおす、というリフレクションのプロセスを取り入れました。発話の内容が文字情報として記録されていかないというレゴⓇシリアスプレイⓇの弱点を、うまく補ってくれることを、ここでは期待していました。
ワークショップ当日の様子
以下では、ワークショップ当日に焦点をしぼってお伝えしていきます。
今回は、限定10名のメンバーでの、一日間のロングミーティングを開催しました。朝9:30から、結局夜の19:30まで、10時間の長丁場となりました。
メンバーは、社長の澤田さん以下、社員、スタッフ、パートナー、あわせて10名。わたしも、参加者のひとりでした。前日夜が雪で開催が危ぶまれましたが、すこし遅刻者がいた程度ですみ、予定より30分だけ遅れて、長い一日が始まりました。
「これは私の仕事です」
車座になってのチェックインと軽めのウォーミングアップのあと、最初の対話のテーマに取りかかりました。テーマは「これは私の仕事です」。
現在のミテモについて掘り下げるための問いです。まずレゴⓇブロックでそのテーマをあらわす作品をひとりひとりがつくり、そのあと自分の作品について、順番に語りました。全員が語り終わったあとには、成田さんのグラフィックレコーディングを見ながら、みんなで振り返りました。徐々に熱気が会場を包んでいきます。
開始後まもなく、あることに気づきました。ひとりひとりが長い時間をかけて発話をし、また質問の言葉たちも、なかなか途切れないのです。私は、自分自身がレゴⓇシリアスプレイⓇのファシリテーターとしてさまざまな現場をみていますが、ここまで長い時間をかけて対話する人たちをみるのは初めてでした。グラフィックレコーディングの振返りでも、「いや、私の言いたかったことはそうではなくて・・・」といい、発言がさらにつづきました。結局、ひとつめのテーマだけで、午前中を使い切ってしまいました。この時点で、すでに当初の予定を2時間ほど超過していました。ここまで当初の予定通りにならないのは初めての体験です。
「自分にとっての理想のミテモの未来」
午後は、未来に意識を向けての対話に移行しました。「自分にとっての理想のミテモの未来」というテーマで作品をつくり、語り合いました。このプロセスも、午前にひきつづき、時間がたっぷりかかりました。このままでは、絶対に終わらない……。
その後、理想のミテモの未来について、ゆずれない要素、こだわりがある要素を全員がひとつのテーブルに持ち寄って、それらの位置関係を試行錯誤しながら、さらに意味を探求するワークを始めたのですが……。間もなく、乾さんが、意を決した様子で、口を開きました。
「一人ひとりが考えていることがこんなにちがうのに、それをこの場で、10人だけで、無理にひとつの形にまとめてしまってよいのだろうか。もうここまでで終わりにしてしまってよいのでは。」
そこから、この場の在り方についての白熱した討論が始まりました。レゴⓇブロックは、忘れ去られてしまいました。色々な立場から、色々な視点が提示される。例えば、
「この場には呼ばれていない、対話のプロセスに参加できていない人たちはこのプロセスにどのように参加すべきか」
「ひとりひとりの意見が違っても、それでも共有できるものを探求しないと、思考停止になってしまうのではないか」
「大多数の人たちに共有されるなにかをつくる過程で、疎外される人はでてほしくない、その多様性も包含するチームにしたい」
などなど。
いつのまにか、日が暮れていました。この時点ですでに(もしかしたらだいぶ前から)、当初想定していたアウトプットを、断念せざるを得ないことが明らかでした。全員がそれぞれにモヤモヤを抱えたまま、目に見えた成果をひとつとして手にすることなく、長い一日は幕を閉じました。
長い一日を終えて:ミテモの性質・課題・今後
この長い一日の顛末をいま振り返ると、得られた教訓や学びも、実は、少なからずあったと思います。ひとつの気づきは、今のチームの性質が、浮き彫りになったことです。
『ティール組織』に、「ホールネス(個人としての全体性の発揮)」というキーワードがあります。メンバーひとりひとりが、誰かのために我慢したりせず、自分の個性をのびのびと発揮している状態です。この要素は、すごく強い。人との違いを気にしないし、妥協しない。また、それが許されるミテモの環境に対する愛着を感じている人も、いました。それが、予定調和の対極のような場に、見事に反映されていました。
他方で、チームとしての未熟さも、明らかになったのかもしれません。組織やチームは、たしかに個の集合体ではあるが、異なるものの単なる足し合わせには還元できない、チームとしてのアイデンティティを探求したかった。「みんな違ってみんな良い」で止まるのは、思考停止にすぎないはずです。でもこれを探求するプロセスは、不安や軋轢やもどかしさを必ずともなう。今回に関しては、そこに全員で向かう覚悟と決意が、まだ足りなかったような気がしています。
今後に向けた最大の反省は、場のゴール設定が曖昧だったことです。例えば、「探求すること」と「形のあるアウトプットを出すこと」は、みじかい時間のなかではなかなか両立しませんが、今回はその両者のあいだでブレてしまった瞬間がありました。これはファシリテーターの問題ではなく、場をセッティングする前提として、十分に認識をすり合わせることができなかった私たちの問題です。
まとめると、一日もかけて、10人も巻き込んで対話したにしては情けないことですが、いまようやくスタートラインに立ちつつあるというのが、偽りのないいまの実感です。拙速には結論をだせない、不確かさを包含しながら、とはいえ前進をとめないようなプロセスが、これからしばらく必要そうです。
今回の機会があったからこそこの認識に到達できたという意味で、私にとっては意義のある場でした。井澤さん、成田さん、どうもありがとうございました。
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