小銭
小さな原因で母親と喧嘩をして家出した若い男は、行くあても金も無く、無賃乗車をして山奥の小さな駅で降りた。
途方に暮れて山中を歩いていたら、ふと布製の袋が落ちているのを見つけた。
拾ってみると、やけにずっしりと重い。
確認すると中は大量の小銭でいっぱいだった。
男は山を下り、拾った小銭で食料と切符を買い、町に出て、ようやく何とか仕事にありついたのだとか。
「神はいるもんだーって、
あの時は心底そう感じたな」
数十年後。
男は当時を懐かしむような目をすると、うまそうに淹れたての緑茶を啜り、珍しく少し微笑んでからゴロンと寝転んで『長七郎江戸日記』の再放送を見始めた。
"男"とは、私の父だ。
父とゆっくり会話した思い出はほとんど無いのだけど、よりによってというか何というか「無賃乗車して山の中で小銭をネコババしてやっとのことで命拾いした話」は不思議とくっきり覚えている。
どうせならもっと良い話を憶えておきたかった。
父が亡くなって、もうじき2年が経とうとしている。