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マンガ家の梁山泊に行ってきた! Vol.83
年々と暑くなる夏。
1950年代後半から1960年代前半に日本で最も熱かった場所。
そう、『トキワ荘』に行ってきた。
それにしても東京の夏は暑かった。
(正確にはトキワ荘マンガミュージアムです)
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(ラーメン大好き小池さんのモデル)
トキワ荘とは?
手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していたことで知られ、漫画の「聖地」となった
藤子不二雄Ⓐの書いたマンガ『まんが道』の中のトキワ荘しか私は知らない。それも十数年前に一読しただけ。
記憶とはあやふやで実際に手塚治虫は、半年しかトキワ荘に住んでいなかった。その後、手塚の住んでいた部屋へ藤子不二雄Ⓐ、F、の2人が住むことになる。
トキワ荘を語る上で、テラさんこと「寺田ヒロオ」さん無くしては語れない。
リーダー的存在で面倒見がよく兄貴肌。
一方、不器用でまっすぐな人。
この生真面目さが不幸な晩年を迎えることになる。
トキワ荘マンガミュージアムの近くに
「トキワ荘通りお休み処」がある
そこにはテラさんの再現部屋があった!
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ここのスタッフの方が、とても詳しく説明してくれた。しかも、無料!
(ありがとうございました)
テラさんはお金のない、若手マンガ家にお金を貸したり食事をご馳走したりと生活を支え仕事の相談にものった。
藤子不二雄Ⓐ氏の著作に「トキワ荘青春日記」がある。(マンガではない)20〜26歳あたりまでの日々が記されている。
「まんが道」を読むとマンガ家は徹夜ばかりという印象があるが、藤子不二雄Ⓐ氏は思ったよりも寝ている。休憩のつもりが朝方まで寝ていたと何回も記されている。
締め切りを延ばしてもらったにもかかわらず映画を観にいくことも…
あとがきに、「深刻ではなくノーテンキ」とあった。締め切り前でものんびりしていることもあり、これぐらいの器量がないと大御所にはなれない。
「むこう岸」(安田夏菜 著)で主人公は超難関中学に努力の末に合格する。その後レベルの高い同級生との差を実感するのにそう時間はかからなかった。
エリート達は普段、音楽、スポーツを楽しみ、いざ試験前になると集中して勉強する。わずかな時間で毎日努力を積み重ねる主人公を、いとも簡単に引き離す。
マンガでも勉強やスポーツ、芸術。
天才はレベルが違うとあらためて感じる。
マンガが世の中に広く普及されていく。
それに伴い仕事のペースも早くなっていく。絵の流行も、丸くかわいいタッチから、劇画調へと次第に変化していった。
結婚を機にトキワ荘を離れたテラさん。
作風、マンガ業界、時代からも取り残されていく。
人気ねえ。 漫画家も人気商売か!? それでも、やっぱり気分はいい。自分の描きたいものと読者の人気が一致すれば理想的だ。
描きたいものを書くには売れないといけない。売れないと描きたいものもかけない。
この辺りのジレンマは、マンガ家は誰しも持っているのだろう。
寺さんの仕事がときにはずいぶん翳りをおびてくるのに比して、角田氏(つのだじろう)の仕事にはそれがない。
やがて、テラさんはマンガを描かなくなった。
茅ヶ崎へ移ってしばらくしてから、急にペンを折ってしまったのです。(中略)
察するに、寺(テラ)さんは自分のみとめることのできない漫画と同じ雑誌にならんで自分の漫画が掲載されることが許せなかったのでしょう。
それから四十数年後…
藤子・F・不二雄、鈴木伸 一、石ノ森章太郎と藤子不二雄Ⓐの4人がテラさん宅を訪れます。
テラさんは少し白髪がふえたほどで、あいも変わらず端正な容姿のままでした。
そして、大いに飲み、笑い盛り上がります。
そして4人が帰る時には、いつまでもいつまでも、姿が見えなくなるまで手を振り続けていました。
そして…
次の日、奥さんに寺さんは「これで思いのこすことはない」と言ったそうです。そのあと寺さんは、ぼくらが電話をかけても、いっさい出ようとはしませんでした。
そして、一年後、寺さんは亡くなりました。
その報せを聞いたとき、なぜかぼくは「ああ!やっぱり…」と思いました。そして、あの茅ヶ崎のお宅の前で、いつまでも手を振って別れをつげていた寺さんのシルエッが浮かんできて、涙がとまりませんでした。
緩慢な自殺。
そう、藤子不二雄Ⓐ氏は語ります。
トキワ荘時代の仲間が活躍し、その仲間が自分を慕ってくれたのがうれしくもあり、自慢だったのだろうと娘さんが語っています。
トキワ荘通りから細い道を入ると実際の跡地があります。
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そして、この地での最後は…
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マンガを文化にまで押し上げた大御所たちが、若き時代をすごした地を訪れました。
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