11/27-12/3
27日
今週のカレンダーを見ると、やけにスーツを着る機会が多い。今日は、オンラインの座談会に出席した。カカシにならないことを目標にカメラを付けて、マイクをオンにする。想像以上にヒントになり得る何かを得られたから十分な戦果を持ち帰った。やはり、対面よりオンラインの方が都合が良い。
それでも肌でしか感じ取れないものがあるのだと思う。それは、匂いであったり音であったり目に見えない何かだったりする。それは、メールなどのやり取りにも共通する。同じ会話であってもメールと対面では、別物になる。
私たちは、様々な感情や願い、悲しさを言葉ではなく、フィーリングで共有し合える。
28日
今日の夕飯は、何にしようか。そんなことを考えながら学校に行って予備校へ向かって岐路に立つ。いつか人様に見せられるような食べられるようなものを作り出したいと思いながら、レシピアプリを眺める。
それでもなんやかんやで、めんどくささが勝ってしまい、総菜コーナーで20%引きと赤い文字が貼ってあるラベルに目を輝かせる。
僕の本当の生活は、こんなもんだ。
29日
今日から三日間に渡るセミナーが始まる。連日で電車に揺られて東京に出向くわけだから、億劫さを少し感じてしまう。それも朝から夜までというかなりタイトな予定だ。
会社の特徴もあって、説明会で前に立って話している人は、聞いているだけで頭の良さを感じ取れる。やってきたことやそもそもその会社に入れているという事実に加え、このフィーリングというものあって、おののいてしまう。なぜが、自信を失って帰宅した。
30日
自信を失った代わりに何かで埋めなければならない。友人からおすすめされたラーメン屋に昼休みの時間を使って外に出る。すでに30分待ちの列が出来ていて、昼休み中に帰ってこれるかどうかのギリギリのラインだった。落ち着くために並んでから考えることにして、20分経ったころには名前が呼ばれた。味はわざわざ言う必要性を問うが、美味かった。店主含めてお店の人全員が、渋イケメンであった。髭が似合う男になりたいと常々そう思う。
昼休みも間に合ったが、塩分の取り過ぎで持っていたペットボトルは、早くも燃えないゴミ行きになった。
12月1日
早くも12月に入ってしまった。街中は、小さな照明で照らされ、ツリーもよく見るようになった。セミナー最終日は、同じ仲間と少し値の張るハンバーグ店に入って疲れをやはり胃で埋めていく。普段食べることのない贅沢なディナーは、楽しい時間を過ごした。同じ仲間であり、ある意味ライバルと呼べる仲間は、僕の目の前で旗になって風に乗ってなびいている。
画面を割ってペンを取る。
2日
いつも通り作業していると、右目に違和感を感じる。専ら中二病だとかそうゆうのではなくて、物理的に痛みを伴っている。持続的なダメージが身体に伝わって、HPが1ずつ減っているような気分だ。きっと身体から「1」という文字がさっきからテロップで流れているに違いない。
もともと少年時代から乱視と診断され続け、治療の一環で眼鏡を付け続けて生活をしてきた。よく外で遊んでレンズが割れたり取れたりすると、怒られたこともよくあった話だ。それが、高校生まで成長し、次第に眼鏡なしでの生活が可能となった。久しぶりに会う友人からは、眼鏡外したのと飽きる程リアクションを見てきた。
大抵のことは寝れば治る。そう信じて寝た。
3日
2週間ほど前から、喉を故障していたが、今になってようやく回復してきたと思えるほどまでに治ってきた。大人として振る舞うように背伸びしていると体調を悪くする頻度が減ってきていると思う。何も考えずにボゲーと過ごしていた頃は、しょっちゅう身体を壊してきた。インフルエンザの全ての型に感染した年もある。トータル学校を一カ月近く休むことに、あの時の僕は、喜んでいたと思う。
まがい物なりに成長して、今では休むことに抵抗を強く感じる。環境のせいともいえるし、成し遂げなければならないことが積み重なって物理的に休めないなんてこともある。それでも、他者を巻き込むことが無いように、無理にでも休んだりするようにする。罪悪感やモヤモヤした思いはあるけれども、誰かを巻き込むこと考えると随分と軽いもののように思える。
病気や気持ちの問題は、気を付けようがない。だから、それを責めることは誰であってもしてはいけない。それは、僕も同じだし、みんなも同様にある。
休めるときに休める環境が望ましいし、私たち社会もそうあるべきだと願う。
2023年12月4日 ドタバタ日記