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記憶に残らない日

日曜日は夫が仕事なので、わたし、2歳息子、0歳娘の3人で過ごす。

ここ最近は3人で散歩するのがルーティーンになっている。子どもたちに帽子を被せて虫除けを手足に塗り、娘をベビーカーに乗せたら出発。

今日の散歩は、ちょうど雨上がりだった。公園には寄らず、ご近所をプラプラと歩くことにした。

自宅は地方の小さな住宅街にある。日曜の昼過ぎなので車通りは少なく、のんびりしている。

息子は「どうろ、ぬれてるね」「ちっちゃいみずたまりだ」「はっぱだよ」と立ち止まり、目についたものを見て触って歩くので、歩みはゆっくりだ。自宅から徒歩数分の保育園も20分以上かけて登園している。
車が大好きな息子は、通りすぎる車を見て「かっこいいね」「あかのくるまだ」「しろのくるまだ」と言い、いつの間にかふたりで「どんないろがすき」の歌を歌ったいた。
娘はベビーカーに座り、息子が拾う葉っぱやすれ違う人をじっと観察している。ベビーカーが立ち止まると、後ろをふりかえって母親がちゃんといるか、確認している。ふっくらしたほっぺたが、日に照らされて白く輝いている。

あついね、あっちまがっていこうよ、おうちかえったらおさるのジョージみよう、と息子がいう。わたしはそうだね、おひさまがもえてるね、おててつなごう、ジョージもいっしょに見よう、という。娘は犬の吠える方向を探している。あ、はっぱがはしってる。息子の指差す方をみると、風にのって葉っぱがひゅうっと転がっていた。

ふと、こんな日はいつまでも続かないと思う。時間は日常のタスクをこなす間もなく過ぎ、子どものペースを待っていられることは少なく、イライラして大きな声を出してしまい、「また怒ってしまった、そんなに怒るようなことでもなかったのに」と自己嫌悪しない日がない。
本当はこんなつもりじゃないのに。こんなに大好きな子どもたちなのに、どうしてイライラしてしまうんだろう。
子どものことを、待ってあげたい。笑顔で子どもたちと接したい。君の見つけたものを、葉っぱが走ってるの言うあなたが今気づいたものを、一緒に眺めながら過ごしたい。そう思っているのに。
それができる私になる頃には、子どもたちは大きくなって一緒に手をつないで歩くこともできなくなってるのだろう。

だから、せめて、今こうやって一緒に過ごした時間が、あなたたちの成長の糧になりますように。記憶には残らなくても、人を愛したり、悔し涙を流したり、明日が来るのが怖い夜に、もう少しだけがんばろうと踏み出すときに、うんと小さい頃に3人で夏の道を歩いた経験が、あなたの背中を押してくれますように。

自宅に帰って、おしぼりで子どもたちの汗を拭った。子どもたちの手足はぷくぷくと張りがあってきれいだ。わたしは、虫除けをふったのに手首を二ヶ所も蚊に食われていた。

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