猫ケ洞の鬼婆伝説
物語をさがして vol.20
名古屋市千種区に「平和公園」という大きな霊園のある緑地公園があります。とても大きいので一部は名東区にも接しています。
息子の通っていた高校では、平和公園のことを
「ピーパー」
と呼んでいました。
発音は、イントネーションを上げ下げせず、平たく読みます。
そしてしばしば、
「ピーパーに集合」して、
運動部のランニングや自主練を行っていました。
名称の由来は
平和(ピース)+公園(パーク)=ピーパー
ということなのでしょう。
ピースフルでかわいい呼び名だと思います。
部活のトレーニングはきつそうですけど。
そのピ-パー(平和公園)の奥に「猫ケ洞池」という大きなため池があります。
今日はその猫ケ洞池にまつわる昔話をご紹介します。
猫ケ洞の鬼婆
猫ケ洞の鬼婆の正体は化け猫であったというお話でした。
『猫ケ洞の鬼婆』のお話には別のバリエーションもあります。「むかし話 ふるさとへの旅 愛知」では、旅人が鬼婆に追われながら、鬼退治をする話です。
逃げた時にできた山が今の「覚王山」鏡を捨てた時にできたのが「鏡池」とダイナミックな天地創造物語です。
こままんがのお話だと化け猫の鬼婆が池の名称の由来になっているようですが、「猫ケ洞」はもともとの地名「金子山(かねこやま)」が転じてできた地名のようなので、猫のお話は後付けのような気もしなくもありません。
猫ケ洞池は、もともと尾張徳川家が寛文四~六(1664~6)年に農業用のため池として作ったもので、尾張名所図会にも大きく描かれています。
のんびりとしたきれいな景色です。
「下池」はのちに埋め立てられ、今は「上池」が残ります。
そしてこれが現在の猫ケ洞池
道路は舗装され広くなり、馬は自動車やトラックになってしまいましたが、このゆったりとした池の雰囲気は、尾張名所図会の頃と変わらないのではないでしょうか。
池は一部区域を除いて、釣りができます。無料で誰でも楽しめます。
ヘラブナが釣れるようです。
ちょうど、キャッチ&リリースを目撃しました!
魚が泳いでいる影がちらほら見えて、浅いのかなと思うと、案内板によると一番深いところは水深5メートルもあるのだそうです。
尾張徳川家の足跡
平和公園の霊園の一角には、尾張徳川家の菩提寺「建中寺」の墓所があり、徳川宗春の墓碑がありました。
周囲に比べてひときわ大きく存在感のある碑です。
石の右側がちょっと色が変わっているのは、欠けた部分を修復した跡です。
第二次大戦の空襲で破損していたものを、2010年、地元の有志「宗春ロマン隊」が修復したのだそうです。
徳川宗春は尾張徳川家7代藩主。
8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」による倹約ムードの漂う中、お芝居や祭りを奨励したそうです。
今でもお祭りやイベントが楽しい大須観音は、宗春の時代に芝居小屋や寄席、見世物小屋などの興行がさかんになった場所です。
また、自らもファッションリーダーのようなふるまいで「芸どころ名古屋」の礎を作ったともいえるなかなか魅力的な人物であると伝わっています。
霊園にはほかにも歴史上の著名人や文化人の墓碑が多くあります。
ピーパーのメタセコイア広場では、メタセコイヤやケヤキなどが色づいてとてもきれいでした。どんぐりもたくさん落ちていて、保育園や幼稚園からのお散歩組もちらほらいて、とても可愛らしかったです。
これから紅葉も見ごろになってくることでしょう。みなさんもかけして秋のひとときを満喫しに、ピーパーにお出かけしてみませんか。