
ミタラシ -アイデンティティに小キズ-
私は小さな頃から「命」に関して、比較的近いところで生活をしていたと思います。養護学校(現・特別支援学校)では、何人かの生徒さんを天国に見送り、児童会の会長として葬儀で弔辞を読んだこともあります。学校を卒業してからでも、学校時代は元気そうだったお子さんが亡くなったことを知らされた事も少なくはありません。「人間の命はある日、突然あっけなく消えるんだ。」とどこか冷静に、でもとても怖いものだと感じている子供でした。
私は養護学校時代、同じクラスに2人筋ジストロフィーの男の子がいました。彼らとはお話もできるし、すごく楽しい学生時代を一緒に過ごした友達です。1人の子とは大人になっても交流があり、音楽の趣味が合ったし将来のことなど、いろんなことをLINEやメールで話したことを覚えています。彼は養護学校を卒業して筋ジストロフィーの専門施設に入所していましたが、どうしても一人暮らしをしたいという希望を叶えマンションを借りて一人暮らしを始めました。24時間ヘルパーさんが家にいる体制で暮らしています。彼も「ミタラシなら一人暮らしできるよ。」と言ってくれていましたが、私にはなかなかその勇気はないままです。ただ筋ジストロフィーの彼は、命の期限を医師からある程度伝えられています。それでも今は良いお薬があって、命の期限通りに終わりを迎える事は少なくなっている気がします。実際、彼も医師に告げられた期限はもうとっくに過ぎています。
ただそういう彼にとって自分の命の灯火がいつ消えるかという不安は、365日24時間ずっと付きまとっているわけです。そうすると私とLINEで会話をしている中で突然「死に対するすごく大きな不安」が押し寄せてきて私にそれを訴えてくることもあるし、「ミタラシにはわからないじゃないか!」的なことを言われたこともあります。8年前からうつを患っている私(しれっと爆弾発表(苦笑)まぁまたゆっくり書きます。)にとっては正直、彼とのそういう会話がだんだんとつらくなっていきました。私にできる事は、彼の話を聞いてあげることぐらいで、でも私もうつ診断をされている状況で、それをできなかったりもしました。うつの事は彼にも話していましたが、そうするとお互いがお互いを慰め合っているようで、それもまたつらいというような悪循環に陥っていました。正直この2、3年、彼とは連絡をとっていません。それは私の心の中でずっと引っかかっていることではあるし、いつかいつかと思いながらなかなかできない状況にあります。
先日、相談支援員さんとお話をしたときに、『老人は「介護」だけれども、障害者は「介護」ではなくあくまでも「手助け」なんだと私は思っています。手伝ったほうが早いことでもご本人がしたいと言えば、それをヘルパーさんは受け入れるべきだし、小さい頃から習得してきた能力を奪う事は絶対にしてはいけない。』とおっしゃってくれました。私自身、今そこで悩んでいることがたくさんあって、「助けてあげる」ことがヘルパーの仕事だと思っている方が少なからずいて、「障害者の能力を使いながらヘルプをする」という考えが薄い方もいらっしゃいます。そうすると私としては、「私はそんなに能力のない人間なのか。」と落ち込んでしまうんですよね。ご老人は加齢に伴って衰退していく能力を少しでも長く生きるために、ある程度介助してもらって残りの人生をいかに快適に過ごすかというのが「老人介護」のテーマかなと私は思っています。でも障害者はある意味、いろんな能力がマイナスの状態で生まれて、大人になるまでに少しずつ少しずつ力をつけていって、その能力とともに親や関わって下さる人たちが少しでも楽になっていくと思うんです。例えば家の中の部屋のドアは毎日開け閉めしてるから自分でできるのに、それを「大丈夫ですよー」って閉められることで、ヘルパーさんは親切だと思っているんでしょうが、私としてはそういう小さなことで心に小キズができるんです。「介護」と「ヘルプ」の概念の差がはっきり明確に分かっているヘルパーさんだと、こちらはすごくありがたいし嬉しいなと思います。
私は34歳位からヘルパーさんをお願いしましたが、多分これから家族以外からの長い介護生活が待ってると思います。だから私の筋ジストロフィーの友達もそうですが、やっぱり障害者ができる事は温存しておいて欲しいし、「何もかも助けてあげますよ。」というスタンスで来られると本当につらいなぁと思っています。そこを守ることが障害者の「尊厳」を守る唯一の方法だと思うから。ただ、この概念を私が言うべきなのか、ヘルパーさん達が気づくべきなのか、すごく悩ましい問題ではあります。それからもともとのヘルパーさんの気質もあるので、全部助けてあげることがヘルパーだと思っている人に対して、その意識改革をするのはすごく難しい。悪い雰囲気にならず、自分の希望をちゃんと言える、そういう意識改革ができる人間になりたいと思う今日この頃です。自分の今まで築き上げたアイデンティティーを守るために・・・。