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傍観者と当事者



Twitter運用を始めて数日が経った。

毎日が面白さと気づきの連続だ。


というもののアカウント自体はかなり前から作成しており、いわゆる見る専門のユーザーだった。真面目な投稿は知り合いだけのFacebookで十分だと考えていたし、遊び系はインスタで間に合っていた。

だから自ら発信することはなくけれど何となくたまに見てしまう。

そんな感じだった。(特に得るものなどないのに。)


今回真剣に運用し始めたのは、紛れもなくコロナの影響を受けている。


これまで毎月50人のペースで人と出会い続けていたのが一変。

自粛によりリアルな出会いが減ってしまう。

すぐに長期戦になることを覚悟してから、

知らない人と出会えるTwitterに可能性を感じ、運用を始めた。


中高生の頃、Twitterで嫌な想いをしてから

避けてきた自分が発信側になるという選択。


私の中でとても大きな選択だった。


そして素早くその意思決定をして本当に良かったと思っている。


具体的に何が良かったのか詳しく書くのはまた別の機会として、


今回ここで書きたいのは

”傍観者と当事者の違い”について。


傍観者とは、存在はあるがいないものと同じ。何もしない人のこと。

当事者とは、主体性を持って自分事として捉えている人のこと。


私は、この期間でTwitterという環境の中で

傍観者→当事者へと変化したわけだ。


両者を経験して今思うことは、

”傍観者はただの時間の浪費でしかない”

ということだ。


インプットしている気になるのも分かる。

けれど、それはただそう思いたいだけだ。

実際は何も得ることが出来ていない。

当事者として発信することで初めてインプットが活かされる。


”もう二度と傍観者には戻らない”

そう固く決めた最近だった。



これからの新たな時代は、SNSの持つ威力がこれまで以上に増し、

より一層”自分から”動ける人が活躍するようになる。


いや、すでに傍観者と当事者の機会の格差は計り知れない。


よほどの有名人でない限り、

自ら主体的に発信していかないと傍観者は忘れられていくだろう。


多かれ少なかれ経験した人にしかわからないものがある。


当事者であろう。



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翔子
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