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【文学部って必要?】東大OBが「文学部不要論」を斬る!
皆さんこんにちは!
ドラゴン桜塾塾長の永田耕作です。
今回は久々の「大学講義体感シリーズ」ということで、このドラゴン桜noteマガジン編集長である青戸さんが卒業された、東大文学部の話をしてもらいました。
皆さんは「文学部」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
もしかしたら、「ただ本を読んでいるところ」と思う人もいるかもしれません。
正直、僕も実際に文学部の人とたくさん出会うまでは、このようなふわっとしたイメージを持っていました。
どうやらそれは青戸さんも同じだったようで、もともとは「文学部=毎日ひたすら小説を読むところ」という印象しか持っていなかったそうです。
そんな青戸さんは「文学の研究って何のためにするんだろう?」と気になったために、文学部に入ってみたとのこと。
そこで実際に学んでみて、はじめて文学の価値や意味に気づかれたといいます。
今は理系の学部が人気なこともあり、巷では「文学部不要論」もささやかれていますが、青戸さんは「文学は学ぶ意味がある!」と断言しています。
文学部が一体どんなところなのか、そして文学の研究にどんな意味があるのか、今回青戸さんが自分の具体例も合わせて紹介してくださったので、ぜひ皆さんこちらの記事を読んでいただけますと幸いです!
それでは、文学部紹介に参りましょう!
①東大文学部の専修課程っていくつある?
さて、まずは分かりやすいクイズから始めましょう。
東京大学の文学部は、いくつかの種類に分かれています。
例えば、青戸さんが所属していたのが「英語英米文学専修課程」で、アメリカ文学やイギリス文学に加え、言語的な構造を中心に研究する英語学を扱っているところです。
この「専修課程」というものが、それぞれの学び、研究ごとに細分化されたコースということになります。他の学部で言えば、いわゆる「学科」のようなものと言えるでしょう。
さて、この東京大学の文学部には、一体いくつの「専修課程」が存在するでしょうか?
ぜひ予想してみてください。
正解は…
なんと「26」です!
予想を大きく超えていたという人が多いのではないでしょうか?
比較対象として、僕が所属している東京大学の教育学部で考えてみましょう。
教育学部には「基礎教育学コース」「教育心理学コース」というようなコースがありますが、これは5つしか存在しません。
そう考えると、文学部がいかに多種多様な学問を扱っているのかが分かるのではないでしょうか。
この「26」もある専修課程に一体どのようなものが含まれているのか、一覧で見てみましょう。
まずは、皆さんがイメージするようなそれぞれの国の文学、読み物について研究する課程がこちらです。
・日本語日本文学
・中国語中国文学
・インド語インド文学
・英語英米文学
・ドイツ語ドイツ文学
・フランス語フランス文学
・スラヴ語スラヴ文学
・南欧語南欧文学
・現代文芸論
・西洋古典学
ここまでは、皆さんが納得するものが多いでしょう。「まあ文学といえばこの辺だよね」という課程が並んでいます。
しかし、まだ10個しかありません。残りはこのようになっています。
・哲学
・中国思想文化学
・インド哲学仏教学
・倫理学
・宗教学宗教史学
・イスラム学
・美学芸術学
・言語学
・日本史学
・東洋史学
・西洋史学
・考古学
・美術史学
・心理学
・社会心理学
・社会学
これを見て、「え、本当にこれ全部文学部なの?」と驚いた方も少なくないでしょう。初めて見たときの僕もその1人です。
いわゆる文学の研究だけでなく、哲学も、宗教も、歴史も、社会学も、そして心理も担当しているのが文学部なのです。
これだけ専修課程があることを考えると、「文学部」と言われても専修課程まで聞かなければ何をしているか分からないということになります。
これだけ広い守備範囲を、文学部はカバーしているのです!
②「文学=小説」とは限らない
これだけの幅広い学問の中から、「英語英米文学」を選んだ青戸さん。
文学部に入る前は「小説」のイメージが強かったようですが、実際にこの課程で学んでみると、「文学=小説」ではないということが分かったようです。
実は、今多くの人に親しまれている「小説」という文化が生まれたのは、近年に入ってからなのです。
実は小説は歴史としては浅いジャンルで、古いものでも1600年ごろだと言われています。
では、それ以前の文学とはどのようなものなのか?
どんなジャンルがあるのか、ぜひ皆さんも考えてみてください。
実は、文学部が研究対象としている「文学」は、「詩歌」「日記」「評論」「演劇」なども含まれるのです。
昔の人たちの暮らしや考えを伝えるような文書を、文学部の人たちが解析しているのですね。
ちなみに、ここで「演劇」を挙げていますが、演劇と文学の結びつきに疑問を感じる人も少なくないでしょう。
なぜ、文化を伝えるものとして小説よりも先に「演劇」が生まれたのか?
それは、当時の民衆の「識字率」の低さが理由として挙げられるのです。
今では自国の言語を読んだり書いたりできる人がほとんどですが、昔は限られた人しか教育を受ける機会がなかったため、字が読めるのは上流階級の証と言われるほど識字率が低かったのです。
そのため、当時の娯楽として字が読めなくても楽しめる「演劇」が広く普及しており、その脚本が研究の対象として扱われるというわけですね。
あのシェイクスピアが書いた『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』などの多くの有名な作品も小説ではなく、「戯曲」と呼ばれる演劇の脚本です。
それだけでなく、たとえばキリスト教の布教は聖書が読めない一般大衆のために寸劇の形を通じて行われることもあるなど、「演劇」は今よりもはるかに身近なものとして社会に浸透していました。
③文学部が果たす役割
これだけ多くのジャンルがあり、一つ一つの課程にも研究することが多く存在する文学部ですが、結局「何のためにあるんだ?」という疑問が残る人もいるでしょう。
確かに、工学部、理学部で研究するような科学技術、テクノロジーは直接人間の役に立つものが多いです。
電気の仕組みを解析したり、プログラミングを研究したり、人間の行動をサポートしてくれるロボットを開発したりなど、分かりやすく人間の生活に貢献しています。
それに比べて、文学部は直接的な人間へのメリットがないように見えます。だからこそ、「文学部不要論」のような批判もあるのでしょう。
しかし青戸さんはこのように語ります。
「文学とは、『人間はどういう存在か』『人はどう生きるべきか』『幸せとはなにか』を問うものである。」
例えば、夏目漱石の『こころ』は「愛と友情はどちらが重いか」ということを私たちの胸に深く問いかけますし、森鴎外の『高瀬舟』は「尊厳死」を題材として扱った作品です。
このような問いは永遠のテーマでありながら、日常の生活ではそこまで深く考える機会はないかもしれません。
ですが、文学作品によってその問いがリアリティを増し、考えるきっかけを我々に与えてくれるのです。
そして、これは科学が担当していない範囲のことでもあります。
科学技術そのものが発達しても、それをどう使うかは人間次第です。
「テクノロジーをどう使えば人の幸せにつながり、社会がより豊かになるのか?」というすぐに答えが出るような問いではないからこそ、我々一人ひとりが向き合い、それを共有し続ける意味があるのです。
そして、それを教えてくれる役割を文学部が担当している、と言えるのではないでしょうか。
・おわりに
今回は「大学講義体感シリーズ:文学部編」ということで、青戸さんに東京大学文学部の魅力について紹介してもらいました。
僕が塾長を務めるYouTubeチャンネル「ドラゴン桜塾」では、青戸さんが授業の具体例なども合わせてより詳しく文学部について解説しているので、ぜひご覧ください!
また、うちには文学部の他の専修課程にいるメンバーも存在するので、次回はまた一風変わった文学部紹介をしてもらおうと思っています。皆さんお楽しみに!
それでは、今回の記事はここまでとなります。
また次回の記事でお会いしましょう!
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