プロ無職と学ぶ自由になるための教養(第2回)
こんにちは!プロ無職るってぃ(@rutty07z)です。
本当の自由とは何かを探求し続ける僕が行き着いたのは教養の重要性です。
なぜこんなにも成功者の成功法則が書かれた本やノウハウが溢れかえってるのに、同じように成功する人は少ないのでしょうか?僕はそこに、人としての教養の高さが影響を及ぼしてると思います。
では教養とは一体なんなのでしょうか?
教養とは「良質な問いを立てる力」
リベラルアーツに関して語られている文献は山のようにありますが、僕が個人的に感じる教養の定義は「問いに対して良質な問いを立てる力」です。
では、「問いに対して問いを立てる」とはどういうことでしょうか?
例えば学校の試験では常に回答が用意されています。受験というものは言わば、「問題に対する回答を見つけ出す行為」でもあります。そして、その回答を見つけ出すための方程式といった知識を学校で学んでいきます。
学校教育の中ではそれでいいかもしれません。しかし社会に出ると違います。人生はむしろ、答えのないことだらけです。
そんな中で「頑張ればいつか必ず結果が出る」「待っていれば答えがもらえる」という受け身の姿勢でいることが、貧困や様々な社会問題に繋がっていくと考えます。
世の中を広く客観的に洞察し、常識とされているものに「ちょっと待った!これはこういう考えもできない?」といった問いを提示できる柔軟な思考こそ、教養と呼べるものだと思うのです。
常識をどれだけ疑えるか?
常識とは、偉い人たちが自分たちの都合のいいように作ったルールとも置き換えることができます。
また、僕らが学んできた古代の歴史も、その時代の勝者が作ってきたものです。すなわち、敗者側の歴史は残されませんし、改ざんされている可能性もあります。
そんな常識や歴史を疑わず盲信してしまうことが、ある種の不自由さに繋がってしまうと思うのです。
「A案かB案、どちらかひとつを選べ」と問われた時に、その選択肢にはない良質なC案を展示できるか。表面上ではなく、多角的に歴史や物事を洞察できるか。教養の基礎はここで活きるわけです。
時代は常に移ろい、常識と呼ばれるものも毎日変わっていきます。そうした変動を素早くキャッチアップできよう、自分の中の教養を磨いていきましょう。
(続く)
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