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学び方を学べ!ドラゴン桜公式マガジン 2018年12月3日(月) 【Vol.067 取材記事・コラム版】

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学び方を学べ!ドラゴン桜公式マガジン
2018年12月3日(月)
【Vol.067 取材記事・コラム版】
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月曜日7時・木曜日0時の週2回配信

◇目次◇

1.【今週の一言】

2.【連載】
桜木建二が教える 大人にも子供にも役立つ
2020年教育改革・キソ学力のひみつ

3.【連載】
伊藤賀一の
「ニュースの“なぜ?”は
日本史に学べ!」

4.【連載】
あのセリフ、英語でなんて言う?
ドラゴン桜で#英語ツイートチャレンジ

5.【連載】
角田陽一郎の
最速で身につく勉強法

★速報
『ドラゴン桜2』4巻、2019年1月4日(金)に発売決定!

コミックス3巻の巻末告知では1月23日発売とお伝えしていましたが、
もう少し早くお届けできることが決まりました。
表紙は、新しく登場した英語教師のあの人です!
気になるデザインは、次週公開!

発売日は2019年1月4日。お近くの書店やインターネット上でお買い求めください!!

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1.今週の一言
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エコノミックアニマル、大いに結構!
(三田紀房『個性を捨てろ! 型にはまれ!』より)
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 きっと日本的商人道を極めていった結果が、80年代に語られていた「エコノミックアニマル」としての日本人像だったのだろう。

 戦後焼け野原となった日本は、驚くべきスピードで高度成長を遂げ、気がつけば世界第2位の経済大国に躍り出ていた。

 この奇跡的な復興の陰にあったのは、まさか武士道精神ではないだろう。

 したたかで逞しい、商人道の精神だ。

 かつて坂口安吾が『日本文化私観』の中で、こんなことを書いていた。

 日本の文化とは法隆寺や平等院にあるのではない。あんなもの焼けてしまってもかまわないし、駐車場にでもしてしまえばいい。そんなことで日本の文化は消えやしない。むしろ累々と並ぶバラックの中にこそ、日本の美しさがある。そして、京都の寺や奈良の仏像が全焼しても困らないが、電車が止まっては困るのだ、と。

 僕が重厚なドイツの街並みよりも、渋谷や新宿のほうが魅力的に感じるのは、おそらくこんな理由からだと思う。

 そもそも、僕にとって漫画家という職業は「仕事」だ。

 ひとつのビジネスとして、ある意味では割り切って描いているし、それが悪いことだとはまったく思っていない。

 よく、仕事について「自分を表現するもの」のように考えている人がいるが、それは大間違いである。

 仕事とは「他人の需要に応えるもの」だ。

 自分を表現するとか、自己実現とか、そんなふわふわしたことを言っているようでは、いつまでたっても仕事にならない。

 他人の需要に応えられなければ、お金にならないのだ。

 だから、僕はスタッフにも「お金がとれる漫画を描け」と言っている。

 うまく描くとか、面白く描くのではなく、お金がとれるものを描く。うまいとか面白いとかいった漠然とした目標ではなく、「はたしてこの漫画でお金がとれるかどうか」で考えるのだ。だって、それがプロなのだから。

 その意味において、日本人がエコノミックアニマルと呼ばれるのは大いに結構なことで、最大級の褒め言葉だと思う。

 日本人のことをエコノミックアニマルと揶揄する外国人は「日本人は働いてばかりで、いったいなにが楽しいんだ?」と言う。

 それなら僕は「お前らはそんなに休んでばっかりいて、いったいなにが楽しいんだ?」と言ってやりたい。

 仕事をしていれば、充実感や達成感を味わうことができる。

 もちろん、お金をもらうこともできる。

 家族のためにもなるし、ひいては社会のためにもなる。

 それがどうして否定されなきゃいけないのか、僕にはさっぱり理解できない。

 働かざる者食うべからず、だ。

 エコノミックアニマルなんて、商人道精神をくすぐられる最高の言葉じゃないか。

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2.【連載】
桜木建二が教える 大人にも子供にも役立つ
2020年教育改革・キソ学力のひみつ

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数学的思考をベースにサッカーの舞台で活躍
 この10月、ひとりの名サッカープレーヤーが、ユニホームを脱ぐ決断をした。
 岩政大樹さん(36歳)だ。
 Jリーグの名門・鹿島アントラーズで長らく守備の要として活躍し、2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、日本代表の一員として決勝トーナメント進出を果たした。
 そんなトップアスリートに、話を聞いてきたぞ。というのも、岩政さんは、東京学芸大学で数学を専攻し、中学、高校の教員免許(数学)まで持っているという、異色の経歴の持ち主だからだ。
 のちに、プロサッカー選手にまで上り詰めるほどスポーツに打ち込みながら、どうやって学業との両立をしていたのか、気になるところだろう? 
 しかも、だ。お話を聞くうちに、ディフェンダーとして超一流になるうえで、数学を学んだ経験が大いに役立ったということもわかってきたのだ。
 今後はサッカーに関する講演活動などを幅広く展開していくだろう岩政さんのお話は、子どもたちにも、親世代にも、きっと役立つはずだぞ。
「サッカー選手としての僕の原点は、自分に才能がないことへの深い自覚です」
 と、のっけから岩政さんは言う。名ディフェンダーとして広く知られた身だというのに、才能がない? そんなはずはないと思うのだが。
 サッカーを始めたころからそうだったという、岩政さんの生い立ちから教えてもらうことにしよう。

子どもの頃、漠然と抱いていた将来像は「先生」
 生まれ育ったのは、周防大島(山口県)だ。自然に囲まれた環境でのびのびと育ったので、体はよく動かしていたし、基礎体力がそこで養われたという面はある。
「両親ともに教師だったので、やることはちゃんとやりなさいという真面目で教育熱心な家庭でした。テレビゲームはやらせてもらえなかった。それで、学校から帰ると山や海で遊んでいましたね。
 小学校でサッカーを始めたんですが、島のチームだと県大会などに出られなかったので、高学年になると島から出てクラブチームでサッカーをするようになりました。
 周りは自分よりうまい子だらけでした。自分はなんとかギリギリ試合に出られるというくらい。サッカーが自分に向いているともあまり思わなかったし、サッカー選手を目指すなんて少しも思いませんでした。もともと現実的な性格で、大それた夢を抱くようなことはあまりしないんです。
 それはかえって幸いでした。『自分はけっこういける!』と早いうちに思ってしまうと、どこかで壁にぶち当たったときに、挫折して立ち止まってしまいがちですから。
 両親の影響と、人に何かを教えることが好きだったので、将来は教師になれたらいいなという感覚でいました。それでふつうに勉強もするし、サッカーもするという生活を送ることに。ただし、僕は極度の負けず嫌い。どんな試合でも勝ちたいし、プレーの一つひとつでも負けるのはイヤで、練習には真面目に打ち込んでいましたよ」

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岩政大樹 1982年1月30日、山口県周防大島町生まれ。東京学芸大学教育学部(B類数学専攻)卒業。小学校2年生からサッカーを始め、大学の蹴球部在籍中に注目を集める。04年、鹿島アントラーズ入団。その後、プロサッカー選手として海外、J1、J2等で活躍する。10年、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では日本代表に選ばれる。18年10月、引退を発表。

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