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自己紹介|いつかは社長になりたくて
こんにちは。
広島県の福山市で社会保険労務士(社労士や労務士とか言われます。)をやっている、みたにのりおです。
このnoteを書いている時は、ギリ30代(社労士の中で30代以下は7%)と、開業から10年目ですが、社労士業界では未だに”若手”として扱ってもらえます( ̄▽ ̄;)
若手の定義って何なんでしょう。
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略歴
昭和の最後ぐらいに生まれ、小さなころの夢は建築士になることでした。
大学は建築学科に進みましたが、入学後は周囲との実力差を目のあたりにして挫折。中退・・・
大学中退後は、フリーターとしてアルバイトに明け暮れるが、大学時代の友人たちが内定し始めると焦り始める。
何も能力がない自分に焦り、資格を取得しようと安易に考え、資格の学校TACの門をたたく。
訪れたタイミングですぐに受講できる講座が、日商簿記しかなく、とりあえず「簿記」なるものが何なのかもよくわからず申し込みをして帰る。
勉強し始めると、意外と面白く日商簿記3級、日商簿記2級を取得でき、自信がつき就職活動を始める。
簿記の資格取得するも、不採用の連続。
拾ってくれたのは地元大手造船・海運グループのグループ会社。
経理職で就職活動をするが、実務経験も学歴もない若者を簡単に採用してくれるわけもなく、不採用の連続の中、地元の大手造船・海運会社のグループ会社に”若い”と言うだけで採用。入社してからは、自分の唯一ともいえる強みである”若さ”を十分に発揮し、経理職で入社しながら週末は他部署のイベント出店の的屋でたこ焼きを販売したり、クリスマスイブの夜には社長の自宅で巨大なスター・ウォーズのプラモデルを組み立てたり、今となってはブラックと言われる環境の中でのびのびと育つ。
その後、グループの再編の中で、大学中退者ではストレートに入社出来ないグループの中核会社に総合職として転籍が2度あり、退職前はグループ持株会社の財務部に所属させてもらった。
本当に運が良かったと思う。合計9年間在籍する中で、多くの方々に助けていただき、目をかけていただきました。
退職後も、グループ会社のいくつかは未経験開業の社労士と顧問契約もしていただき、今でも関係は続いています。
社会保険労務士資格を取る
自信が無かった自分に、自信をつけたかった。
その造船・海運グループに在籍中に資格取得。
合格時の年齢は25歳と早い方だと思う。
社会保険労務士には受験資格があり、学歴や行政書士資格が要件になっています。受験時の学歴は大学中退ですが、学歴の要件の中で習得単位数の要件があり、中退でも62単位以上の取得があれば受験資格をクリアしています。(曖昧な記憶ですが、確か大学で66単位取得していました。)
就職できたとは言え、大学中退であることは変わらず、自分に自信が無かったので、大卒に代わる何かを考えた時に社会保険労務士の資格取得が浮かびました。
その当時は経理職だったので、普通に考えれば税理士の方がしっくりくるが、数年に及ぶ5,000時間の勉強は続く自信が無く、仕事をしながら1年の勉強で取れるギリギリのライン、しかも独立可能な国家資格として社会保険労務士を目指しました。
実際には2度目の受験で合格。合格発表の日は、会社で受験番号の表示されるWEBサイトをずっと更新して発表を待っていました。
社労士の勉強については、別の機会で書いてみようと思います。
いつかは社長になりたくて
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グローバル企業の仕事は楽しかったなか、妻の妊娠中に退職。
妻の両親からは猛反対。
前職では、100億単位の資金調達で銀行との交渉や資産管理など、重厚長大産業のグローバル企業ならではのインパクトの大きな業務をさせてもらい、また、上司にも恵まれ自分の実力より少し上の業務を任せてもらえる采配により、日々新鮮で、楽しく刺激を受けており、本当に仕事が楽しかった。
小さなころ建築士になりたかったのも、いつか自分が社長になってみたいと憧れがあったから。
自分の裁量で、自分の実力を試してみたかった。そんなことを小さなころから考えていた。
退職を考えたときは29歳。27歳で結婚し、妻のお腹には子がいる状況でした。
多分、この状況では多くの方は退職を選択肢の中には入れないと思いますが、30歳目前、何となくこのお腹の子が生まれてきたら、もう退職する判断は出来ないなと思っていた。
一度きりの人生、後悔する人生は歩みたくない、だからこそ今しかないと思ったのを覚えています。
当然、妻の両親からは反対されました(^~^;)
最終的には応援してくれていた妻の両親ですが、自分も子を持ち、自分の子がそんな奴と結婚したら、気が気でないですね。
あのとき背中を押してくれた妻に感謝です。
別に社労士になりたかったわけではない。
実務経験ゼロで、30歳で社会保険労務士として開業。
社長になろう、起業しようと思ったとき、自分の過去の経歴や資格を考えたとき、前職の造船・海運グループで担当していたシェアードサービス業務の知識と経験、社会保険労務士の資格を活かせる、一番勝ち筋のある仕事が社会保険労務士としての開業でした。
社会保険労務士になりたかったというよりは、社長になる手段として社会保険労務士の開業を選んだような形です。
開業後は、顧客ゼロからのスタートだったので大変で、数多くの失敗をしましたが、一応開業から10年目に至り、最新の社労士会の調査では全国の中でも売上と従業員規模は全国上位5%以内に入っているようです。
今後、社労士事務所を開業される方に向けて、「成功の法則はなくても、失敗の法則はある」と言われているので、同じ失敗をしないように失敗談をnoteに書いていこうと思います。
これからやりたいこと・やるべきこと
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これからは「労務の灯台」に注力、これが自分のやるベきことだと思っています。
採用のミスマッチのように、企業と社労士のミスマッチもある。
よく言われる企業に必要な「人」「もの」「金」「情報」の中の一つ。その「人」に関する業務の専門家である社労士選びを誤ると、企業の成長だけでなく、幸福度にも影響すると考えています。
企業にも「社風」と言われるように、会社の雰囲気や文化、価値観、働き方など、その会社特有の特徴や性格があります。その社風を活かす制度や働き方が理解できないと、会社の良さが活かされず停滞したり、統率が取れない会社になってしまうと思っています。
終わりに
もともと、社労士になりたかったわけではない社労士ですが、社労士として携わった仕事にはプライドがありますし、少し俯瞰して社労士を見ていたせいか、経営者として社労士の重要性を非常に感じています。
noteでは、開業からの10年で自分自身が社労士、経営者として感じたことやうまくいったこと、失敗したことなどを「たま~に」書いていこうと思います。
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