7月7日の日記
積み重ねていくことって、本当に大切だし、大変なことだと思う。
小さな一歩は、例えほんの少ししか進まないとしても、重ねていかなければ何も始まらない。
それと同じで、積み重なって限界を迎えることもある。
もうダメかも、って思いつつも誤魔化していくうちに、色々と無理が出る。
4年前のあの日、無理が限界に来て関係が終わった時。
私はそこから何かを学んだのだろうか。学べたのだろうか。
ずっと考えているけど、答えは出ない。
元々、私はストレスに対して鈍感なところがある。
気がついたらおかしくなってて、病院連れて行かれてってのも経験した。
それでもその時も、自分はまだ大丈夫って思ってた。その記憶はある。
改善案はあるのか。改善策を講じたのか。
社会人として、会社の歯車で働いてきた経験から、これを問われることは多かった。
答えられなかったら、不要な人間という扱いも受けた。
元々、何かのせいにしてできなかったことの言い訳をするのが嫌いだった。
例えば、急な仕様変更があったり、他所で大きな障害が発生してそちらに時間を取られて、自分のタスクが終わらなかったりした場合、仕様変更を受けたのも自分、障害対応に時間を割いたのも自分の判断、だったから。
それでも社会は、そういう理由があってタスクが終わらなかったらそれを告げてタスクの納期延長を申し出よと言ってきた。
多分、会社員としては正解なのだろう。
1日に作業できる時間数の制約のなかで働いているから。
説明能力もきっと問われていると思う。
けれど、お客さんはそんなこと関係あるのか?
そっちに気を取られて仕事してないで、こっちやってよ。
そう思ってはいないのか。
結果として、タスクが終わってなかったら迷惑かけるくらいなら、同情買って心情よくした方がいいんじゃない?
同情だけで世の中回ってたら、お金なんてもらえなくても生きていけるはずだと思うんだけど、貨幣経済の中で生きていく以上、そんな都合の良いことあるわけがない。
あの日のことは、誰が悪者、という認識はなく。
お互いに無理を重ねてしまって結果、状況が関係の終わりを許してしまったから、終わりになった。
多分、そこからの無理な延命は、あり得なかった。
私ももう、ボロボロだった。
同じことを繰り返さないためにも、もやっとしたことは何故モヤッとしたのか、考える癖がついた。
考えてもしんどいことも多いけど、一晩逃げたとしても、友達に愚痴ったとしても、結論は出そうと思ってた。
結論を出した後の、どういう行動を取るのか、自己保身も少しは考えつつ、相手をいかに傷つけずに行動できるのか。
いつ伝えるのか、私のタイミングもあるが、相手が限界に来てしまうこともある。その時どうすれば良いのか。
こういうあたりの対処が慣れてないから、人付き合いうまくないんだよな自分って思う。
そしてストレス溜まってきてることに、自分で気がつけないから、気がついた時にはもう、結構やばい、みたいな。
なんとかしなきゃだよなーーーー。
ちょっとずつでも変えて行かなきゃ。
前に進もう。
多分、前に進もうと行動を起こした日だから。
あの写真があれば、きっとうまくいくっていうお守りをもらえたと思うから。