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インパクト満点のタイトルが全てを表す!? 大柿ロクロウ『徳川埋蔵金はアメリカにござる』第1巻
古今東西、現実と虚構を問わず宝探しは人の心を大いに動かすものですが、その中でも徳川埋蔵金は、現実に人々を大いに振り回してきたといえます。本作はフィクションですが、その徳川埋蔵金がなんとアメリカにあった!? というとんでもない物語。アメリカに渡った忍者が、先住民の少女とともに埋蔵金を求めて冒険を繰り広げます。
時は享保年間、危機的な幕府の財政を立て直さんとする徳川吉宗が打ち出した対策――それは、徳川家康が残したという埋蔵金を探し出すというものでした。吉宗が手に入れた地図に記された埋蔵金を探し出すよう(くじ引きの結果)、命じられた御庭番・虎次郎ですが、しかし埋蔵金の在りかとは海の向こう、アメリカだったのです。
かくして嫌々ながらアメリカに渡り、埋蔵金を探し求める虎次郎。その彼がある日目撃しいは、大英帝国の兵士たちに包囲された、白髪の先住民の少女の姿。その少女の衣服の背に三つ葉葵の紋が描かれていたことから、手掛かりと見て助太刀に入った虎次郎ですが、しかし兵士たちを一人で皆殺しにするほどの戦闘力を持つ少女と、誤解によって対峙する羽目に……
設定の全てを物語るインパクト満点のタイトルに目を奪われ、さらに三つ葉葵の紋を背負った先住民の少女という物語冒頭のビジュアルで、またも度肝を抜かれる本作。こういう表現は大変失礼ではありますが、一見ほとんど出落ちのような内容(おまけページによれば当初は読切を想定していたとか)にも見えますが、しかし本作では、舞台を江戸中期に設定するという独自色が強く目を惹きます。
言うまでもなく、時代劇+西部劇という趣向の作品は、これまで決して皆無ではありません。しかしそれらの作品のほとんどに共通するのは、アメリカの西部開拓時代、日本でいえば幕末から明治の頃を舞台としていることです。
これはもちろん、西部劇が基本的にその時代を舞台としたジャンルであるからにほかなりません。しかし当たり前のことながら、それ以前から北米大陸は存在していたのであり、そしてそれ以前から先住民と欧州人の争いが存在していたことを思えば、この時代のアメリカを舞台にするというのは確かにアリだといえます。
(もちろん、西部劇の魅力の一つである、ピストルによるガンファイトは描けないわけですが……)
この辺りは、もしかすると作者の以前の作品『シノビノ』で幕末を舞台とした忍者ものを描いたから(第一部ではアメリカ軍と戦っていますし)かもしれませんが、しかし西部劇というジャンルの、ある種の予定調和を崩すものとして、期待をしたくなります。
また、主人公の虎次郎が人殺しを嫌う性格で、それ故に独特の技を使うという設定も、銃撃戦が主体となるアメリカという舞台では大きく映えるのが、痛快ですらあります。
さて、物語の方は、そんな虎次郎のキャラクターが、一族でただ一人生き残った少女・ナノヒの心を開き、この第一巻の後半でようやく二人がバディとして動き始めることになります。
そして新たな目的地に辿り着いたところで、新たな敵が――という展開となりますが、これが名乗っている通りであれば、既にこの時亡くなっているはずの人物というのも、興味深いところです。
(作中ではニセモノ呼ばわりされていますが……)
意外とここまで順調に進んできた虎次郎とナノヒの旅が、この人物をはじめとして、この先いかなる障害とぶつかるのか――おそらくはここからが物語の本番、その内容に期待したいところです。