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西條奈加『雨上がり月霞む夜』 雨月物語を生んだ怪異と友情

 怪談文学、いや江戸文学史上に重要な位置を占める上田秋成の『雨月物語』。本作『雨上がり月霞む夜』は、秋成とその親友・雨月、そして兎の妖という、おかしな二人と一匹によって語られる雨月物語誕生秘話とも言うべき物語です。


 おそらくは怪異怪談を愛する方であれば、一度は読んでいるであろう『雨月物語』――「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」の全9話からなるこの怪談集は、描かれる怪異の真に迫った恐ろしさや奇怪さもさることながら、怪異のための怪異を描くのではなく、それが人間の心理に深く根ざしたものである点で、豊かな味わいを持つ文学であったと言えるでしょう。

 その作者・上田秋成は、もともとは大坂堂島の紙問屋・嶋屋を営んでいた歴とした商人。しかし元々あまり商売が得意でなかったところに、大火で焼け出されて店を失い、その結果、医師として、そして国文学者、作家としての道を歩き始めたというのは、これは歴とした史実であります。そして本作は、その秋成が焼け出されて避難していた頃を舞台とした物語です。

 家を失い、幼なじみの雨月が暮らす香具波志庵に転がり込んだ秋成。人嫌いの風流人ながら、秋成には優しい顔を見せる雨月は、しかし妖を見る力を持つ人物でもありました。そしてその雨月が、ある晩出会った兎の妖を連れ帰った時から、秋成は様々な怪異に巻き込まれることになるのです。

 「紅蓮白峯」「菊女の約」「浅時が宿」「夢応の金鯉」「修羅の時」「磯良の来訪」「邪性の隠」「紺頭巾」「幸福論」――本作を構成する9つの怪異譚。これらが、そのタイトルや内容において、雨月物語のパロディとなっているのは一目瞭然でしょう。
 いや、パロディというのは正確ではないかもしれません。本作は、作中で秋成が経験した出来事こそが真実であり、雨月物語の原型となった――そのような趣向なのですから。

 歴史上の文学者を主人公とした物語において、その物語の内容が――すなわち、主人公自身が経験した出来事が――その代表作誕生のきっかけとなるという作品は、決して珍しくはありません。もちろん本作も、そうした作品の一つであります。
 本作は、雨月物語を知らずとも、十分独立した物語として楽しむことはできますが、しかし原典を読んでいれば、あの人物を、あのシチュエーションを、あの怪異を――と、見事な本歌取りとして描かれているのを、存分に楽しむことができるでしょう。

 そのような一種のエピソードゼロとしても、実に楽しい作品なのですが――しかし本作を決定的にユニークな作品としているのは、雨月の存在です。秋成の幼い頃からの親友であり、今でも彼の頼もしくも優しい友人として、彼の近くに在る雨月。妖の世界に通じるというその力も含めて、彼こそが本作のもう一人の主人公であると言って間違いありません。

 しかし、ここで秋成の事績を知る方であれば、首を傾げるのではないでしょうか。いや、そうでなくとも、作中でほとんど冒頭から幾度となく描かれる雨月の言動から、そして作中のある描写から、これはもしかして○○ものでは――と感じる方も多いのではないでしょうか。
 私もかなり早い段階からそう感じていたのですが――しかし終盤で描かれる真実は、その予想を遙かに超えて、意外な方向に展開していくことになるのです。

 本作で、本作の終盤で描かれるのは、上田秋成という人物が抱いてきたある想いの真実であります。今でこそ、雨月物語の作者として千歳に名を残す秋成ですが、しかし彼は決して作家として順風満帆な人生を歩んだわけではありません。いやむしろそれとは正反対に、そこに至るまでかなりの遠回りをした人物といえます。
 本作で怪異と平行して幾度も描かれてきたのは、そうした秋成の自意識であります。作家となることを、作家であることを望みながらも、そんな自分の姿を否定してきた、否定せざるを得なかった秋成の姿に、共感を覚える方も少なくないかもしれません。

 こうした秋成の背中を押したのは何であったか。本作の経験を、雨月物語として昇華させた原動力はなんであったのか? 本作はそれを時に恐ろしく、時に可笑しく、そして時に美しく描き出すのです。秋成と雨月の友情を通じて。

 本作を読んだ後、『雨月物語』の題名を見たとき、これまでと違う感慨と、嬉しさとも哀しみともつかぬ不思議な感情を味わう――本作はそんな物語です。


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