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自分の感覚に遠慮しない

自分の中にぱっと出てくる
なんか嫌だな。
この感覚、大事にしてあげたいな。

自分の感覚を感じることを閉じてきた私。

気づかない間に我慢していたことが
たくさんたくさんあったんだって
最近になってわかるようになってきた。

半年くらい前から段々と、
「嫌だ」と感じられることが増えてきた。

自分が嫌だと思ったことに
気づかないふりをしたり、
説得をして
相手の要望に応えることばかりしてきた私にとって、

断ることって、すごく違和感があるし、
自分の主張をすることって、
すごく難しいことだった。

知らず知らずのうちにがまんしちゃうこと、
たくさんあると思うんだ。

自分が我慢すればうまく回るからって
本当は嫌なのに我慢したり。

今でも充分恵まれてるじゃんって言い聞かせて
本当は欲しいけど我慢するもあるし。

なんかもやもやはしてるけど、
「こうありたい自分」に向かっていけるよう
思考で自分の感じたことを制限するもある。

もう平気だって思っても、
また出てきたりして。

我慢しても、状況落ち着いた風になっても、
自分の中で起こった感覚は
しっかりしっかり残るんだ。

感じたことに
いい悪いはないのにね。

素直にこれは私にとっては違うからって
断ればいいことなのに、

相手が傷つかないようにというか、
自分が傷つかないように
しっかり理由を固めて
断り方を一生懸命考えたりする。

そうじゃなくてさ、

しっかり自分の気持ちや感覚に
気づいてあげたいな。


これも今までの単なる癖。

ずっと遠慮してきたよね。

私だけいい気分していいのかとか、

私だけおいしいもの食べてもいいのかなとか、

私だけこんなに楽しい思いしていいのかなとか、

そんな気持ち、よく感じてたもん。

せっかくプレゼント贈られても
私に申し訳ないとか、時間とらせちゃったなとか、

ほめられても、「いいや、そうでもないって」って言って

素直に喜べないもたくさんあった。


もう遠慮しなくていいんだよ。

自分の感覚に、
遠慮しなくていいの。

嫌なら嫌でいいんだし、

悲しいなら悲しいでいいんだし、

嬉しいなら嬉しいで素直に喜べばいいんだよ。



自分の感覚に従うって、

本当にいいのかな

大丈夫かな、

ってすごく怖かったりもする。


自分にも他人にも
遠慮してきたから、

その遠慮感を感じたときに

さっと気づける自分でいたいな。

そして少しずつ、何回も

「もう遠慮しなくていいよ」って声かけてあげよ。


映画の始まりに出てくる
NO MORE 映画泥棒みたいに

NO MORE 遠慮人生。


罰金とかまでいかなくてもいいけどさ、

遠慮してた自分は
しっかり見つけてあげて

他人の人生、他人の価値観、
カメラに写してない?って聴いてあげよう。

映画泥棒の映像出てきたら、

お、映画本編始まるなって思うじゃん。

自分に遠慮してる自分捕まえたら、
気づいてあげて

怖いけど、自分の感覚に素直に従うことをしてあげたら

自分の本能は、
「ありがとう」って返してくれる気がする。

なんか、喜ぶ。ほっとする。


NO MORE 遠慮人生。

ほら、自分の映画が始まるよ✨

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