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建築の価値と向き合う|旧矢﨑商店の建築調査


「旧矢﨑商店」の調査研究の概略

今回の記事では、こちらの記事でもご紹介している「旧矢﨑商店」の建築調査の概要をお届けしたいと思います。
旧矢﨑商店は、少し変わった看板建築であり、手の込んだ意匠や建具の数々が確認できていることから、下諏訪町の中でも大変特異性のある建築だと考えられています。しかしその建築の履歴(いつ建てれ、いつ改修されたのか?)や建築的な価値は、これまで明らかにはなっていませんでした。
今後の活用検討を考えていくためには建物のハード改修が必須となりますが、そうした履歴や価値がわからなければ、「何を残し、何を変えるべきか」といったハードの方針を策定することが難しい…そこで今年度から、下諏訪町では信州大学さん・長野県建築士会 ヘリテージマネージャー協議会さんと連携し、建物調査を開始することとなりました。

今回はその調査の内容や、調査を通してわかってきたことなど、下諏訪町さんからお伺いできた内容を、御田町文化研究会の目線からご紹介したいと思います。

建築的価値を理解するー信州大学さんとの調査研究

旧矢﨑商店では、「信州大学工学部建築学科 梅干野研究室」の皆さんと連携し、建物の価値を明らかにする調査を推進しています。
旧矢﨑商店が少し変わった看板建築(※)であることから、今回の調査研究は「特徴的な看板を含む”外”からの視点」と「和風建築としての”内”からの視点」、2つの視点から行われています。研究室の学生さんも「外から」と「内から」の2つのチームに分かれて調査を進めてくださっています。

※看板建築とは
看板建築とは、木造の建物のファサード部分を銅板やモルタル、タイルなどで覆った造りの建築物のことで、「中は和風建築、外観は洋風」というギャップが魅力の一つとして楽しめる。その定義は様々であり、旧矢﨑商店は看板建築と呼べるのか?という点も調査の一つの観点となります。

「”外”からの視点」チームではこれまで、外観の特異点の確認、地域の建物との比較調査などを行ってきました。下諏訪地域にある他の看板建築との比較や、看板建築が多く立ち並ぶ上諏訪駅周辺の建物との比較など、地域を歩きながら調査を進めています。

外観の様子を確認する学生さんたち。
旧矢﨑商店の外観には通常の看板建築とは異なる点が多々確認できます。

この調査を通して見えてきたのは旧矢﨑商店の「独自性」。旧矢﨑商店の看板部分の外観にはアール(建物にみられる曲面・カーブのこと)がふんだんに取り込まれており、よくある看板建築とは印象が大きく異なる、珍しい形状となっています。周辺を探してもこれと類似するデザインのものはなく、この建物の特異性を見てとることができます。

アールデコ建築で有名な東京都庭園美術館(※)にも通じるデザインを感じ取ることができます。

※東京都庭園美術館とは
東京都庭園美術館は1933年に建設されたアール・デコ様式の旧朝香宮邸の空間を活かした展覧会や、緑豊かな庭園を楽しめる美術館です。
開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
     ※展示替え期間は庭園のみ入場可
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)、年末年始
住所:〒108-0071 東京都港区白金台5-21-9
HP:https://www.teien-art-museum.ne.jp/

一方で「”内”からの視点」チームではこれまで、施工当時の計画を正確に把握していくための計画寸法の確認や、使われている樹種、建築資材の確認などを推進。

内装に使われている樹種の特定などが進められています。

この調査によって、部屋ごとの用途や特徴などが徐々に明らかになってきています。
例えば、1階には2つの和室がありますが、庭に向かって左側の部屋は「客間」であり、使用されている資材を見ても高級な樹種が多く使われていることがわかってきました。
旧矢﨑商店は製糸業の商家。住むだけではなく、ビジネスの場でもあったため、お客様を招き入れる空間は贅を凝らして作られたのだと想像できます。

畳の裏面を確認し掘り炬燵の蓋に書かれた部屋の用途を確認しました。

調査は現在も進行中。年内には調査内容を報告する建築イベントも開催予定ですので、ご興味のある方は是非ご参加いただけたらと思います。

※イベントのお知らせはこちらのinstagramのアカウントから行っています。

建物の価値を残しながら活用を検討するー長野県建築士会さんとの調査

古い建物を活用していく上で避けては通れないのが「耐震」対応です。耐震の対応を考える上で課題となるのがその度合い。その建物が持つ独自の価値を残しつつ、安全を担保するーその2つの視点を持ちながら、どのラインで方針決定するのか?という点がとても難しい問題になります。

旧矢﨑商店では、文化遺産の保全と活用の方針検討を数多く手がけられている「長野県建築士会ヘリテージマネージャー協議会(以下、「ヘリマネ協議会」と記載)」さんと連携し、建物の調査及び活用方針の検討を進めています。文化財としての保存と積極的な活用の調和を目指す旧矢﨑商店にとって、美観や建築的価値を残しながら安全性を担保するというのはとても重要な観点。ヘリマネ協議会のみなさんとの調査を通し、適切なレベルでの耐震改修方針を策定していきたいと考えています。

屋根裏や床下に入って、建物の構造的な特徴を把握します。

これまでヘリマネ協議会のみなさんには建物の基礎や構造に関する現地調査を行っていただいています。
建物の構造を把握するために、現在進行しているのは床下や屋根裏の調査。押入れの天井板をはずし足場を組んで屋根裏に登ったり、畳の下の床板を外して床下に潜ったり…地道な確認作業が進められています。

先日の屋根裏調査では、構造を確認する以外の発見もありました。ずっと見つかっていなかった、建物の「棟札」が発見されたのです。棟札とは、社寺建築や民家などにおいて、その建物の建築・修繕等の記録として、棟木(むねぎ)や梁(はり)など、建物内部の高所に取り付ける木の札のこと。記載される内容は、建築年月日や施主、工事業者(大工・棟梁など)、工事の目的・工事名など多岐に渡ります。

旧矢﨑商店で発見された棟札

先日、旧矢﨑商店で発見された棟札には、
天井側に向けて「奉納祝上棟、(猿田彦ノ命等の)神様の名前、矢崎栄、大工棟梁 立石初三郎、脇棟梁 奥田金之助、基礎 小口恭輔」、
屋根側に向けて「昭和十一年丙子(ヒノエネ)五月十一日上棟」と記載されており、
今まで謎に包まれていた建築年が「昭和11年(1936年)」であることが明らかになりました。また、「文庫蔵上棟」と記載されていたことから庭にある蔵も同時期に建てられていたこともわかりました。

旧矢﨑商店の床下の様子

また、床下の調査では、この時代の建物には珍しい立派なコンクリートの基礎があることも判明。上述の棟札に「基礎」を担当した職人の名前が記載されていたことも考えると、当時としては高度な技術が使われていたのかも?ということが想像できます。

調査を通して感じること

筆者は現在東京と下諏訪町の二拠点で生活をしているのですが、東京の昨今の新たな開発の多くは、「便利である」とか「コストパフォーマンスが良い」といった価値基準により規格化や同質化が進んでしまっているように感じています。
古くから続くお店や建物が壊されて、大好きだったまちの風景が他のまちとどんどん似通っていってしまう。このことには、一抹の寂しさを感じると同時に、危機感や違和感も感じざるを得ません。

利便性や機能性、効率性を重視することで、様々な地域や都市が同質化していくことは、地域における課題の一つではないかと思うのです。

一方で、旧矢﨑商店には個人的なこだわりが詰め込まれているが故の「説明的ではないこと」や「不便なこと」「コストパフォーマンスの悪さ」が溢れています。現代の建物のように「理由がわかる」作りとは全く逆の存在とも言えるのではないかと思います。
調査を通してそうした点を明らかにしながら、適切な活用方針を検討していくことはもちろんですが、「わからないこと」を楽しめることも古いものと向き合うことの一つの魅力なのではないか?と、最近はそんなことを感じています。

というのも、そうした「わからないこと」にはこの家を建てた矢崎栄さんのこだわりや人柄・精神性が反映されているのだと思うからです。古くから残されてきたものを通して、当時生きていた人の想いを想像する。そうすることで、今の時代にはない視点を持つことができる。これも旧矢﨑商店の一つの楽しみ方なのではないかな?と思うのです。

旧矢﨑商店だけではなく、古くから残ってきたもの、歴史を重ねたものの中には、そうした魅力や楽しさが溢れているなと感じます。
新しくて、綺麗で、便利で楽しいーそうした新規開発の建物にはない、独特な魅力がある。そうしたものの連なりや積み重ねの中にこそ、地域の独自性は生まれていくのではないかな、とそんなことを考えています。

旧矢﨑商店には他では見ることができない独特なデザインの建具や装飾を至る所に確認できます。

私たち御田町文化研究会も、下諏訪町さんの推進するこの調査を通して、「古いものをただ残す」でもなく、「綺麗にリノベーションして活用する」だけでもない、「残すデザイン」について、関係者の皆様と連携しながら考えていきたいと思っています。
また、この「残すデザイン」は、ハードだけではなく、地域に根付く文化や慣習、精神など、ソフトの観点についても考えられるべきものではないかと思います。

「何をどう残して、今と未来にどう繋げていくのか」旧矢﨑商店の活用を通して、「地域独自の価値の繋ぎ方」についても考えていくきっかけにしていけたらと、そんなことを考えています。


文・写真:御田町文化研究会 坂本

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