「適当」が分からない、の理由
今日親に愚痴とともに説明をしたので、覚書的にここへ落としておきます。
ADHDの特徴の中に、「適当が分からない」というのがあります。
これ、昔から当てはまっていて、理由がわからなかったのだけど、自分がADHDと診断され、特徴の1つにこれが含まれていたことを知って、やっとハラオチ。
先日もこの「適当」について親と大喧嘩をしたばかりでして。
私の「適当」の解釈について説明します。
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「適当が分からないんだって」と話した際
親は「ざっくばらんてことだよ」「辞書に載ってる通りだよ」と返してきたのだけど
いやいやいやいやいやいや何言ってんの。
適当って言葉の「意味」が分からないなんてことは言ってないっつうの。
適当の「具合」や「加減」が分からないんだっつうのって話です。
(こちとら言語理解が凸ってる故のADHD診断なんだぞなめんな)
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「適当」って
適当と言われた対象の物事における責任の所在がどこかによって
その適当の数値・具合って変わるじゃないですか。
イコール、その対象物・事象における「適当」の正解は
適当を命じた人の数値や具合って解釈なんです。
命じた人間=責任の所在が私である場合、私は人へ「適当に」って堂々と言えるんです。
例えば、私が友人にケーキ1ホールを出して、「適当に食べて~」と言う。
これはイコール「適当」を相手の具合にゆだねていることになります。
まるっとあげるのではなく好きなだけどうぞと相手に判断を委ねただけなので、委ねた結果の責任は私にあるわけなので、堂々と「適当」を命じることができるんです。
仮に、私の考える適当がケーキ3分の1で
友人の考える適当がケーキ4分の3だった場合
自分の適当の具合以上にケーキが食べられてしまったわけだけど
「適当に食べて」と相手の適当具合に委ねたのは自分なので、文句はもちろん言いません。自己責任だから。
でも逆の立場だった場合。
相手の適当具合が3分の1程度だろうと思っていたら、私の適当具合は4分の3だった場合
私と同じように、「適当に食べてって言ったからなぁ」っておさめられる人ばかりじゃないですよね。
「適当って言ってもさ、だいたい3分の1とかじゃない?」
とか
「普通考えたら適当って3分の1くらいって思わない?」
とかいう人いるじゃないですか。
私は言われた通り私の考える適当で判断したのに、
不快に思われたり嫌味や皮肉を言われたり、普通じゃない扱いされる。
「適当=4分の3って思ったから食べたわけなので、3分の1くらいとは思わなかったんでしょうよね」としか言えん。
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そう
適当って、人によってゴールポストの場所や大きさが変わる。
正解が変わる。
じゃあ、適当と言わずに最初から「3分の1くらい」って正解を言ってくれ
っていうのが私の主張です。
適当にやっておいてって言っておきながら、私の思う適当でやっておくと文句言う。
「普通はさ~」っていう。
あのー、あなたの適当、私の適当、それぞれ違うんですわ。
なので、適当にって委ねたら、文句言わないでいただきたい。
それ、自分の発言に責任持ってないことだと思いますわー。
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何度も申し上げておりますが。
残念ながら、自分、普通じゃないんで。
世の中の普通が分かりません。そういやこれも昔からそうだったなぁ。
適当にって委ねておいて、いざ想定外のことやられると文句言う
ご自身の適当=グローバルスタンダード適当と思ってらっしゃる方
意外と多いような気が。
すごいですね、あなた様は世界の標準なんですねー(棒)
そういう人がいるもんだから、適当が分からないわけなのです。
※ちなみに
私にとっては「適当」と類似ケースに「臨機応変」があります。
んー、推敲しきれない。
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