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【note】その優しい世界に「スキ」が止まらない
noteが好きだ。
それは、自分にとって、noteが居心地のよい場所であるからに他ならない。
なぜ、noteは居心地のよい場所なのだろうか?
この記事では、そのことについて掘り下げてみる。
noteの居心地のよさの理由
noteの居心地のよさの理由は、何だろうか?
デザインがシンプルで見やすい
広告の邪魔がなくて見やすい
見出し画像が選べてわかりやすい
機能がシンプルで簡単に投稿できる
などなど、noteの良さはいくらでもあげることができる。確かにそれらは、自分がnoteを好きな理由の一部分ではある。
しかし、自分にとって、noteが居心地よく感じる一番の理由は、下記に尽きる。
優しい人たちが集まっているから
そして、noteというメディアプラットフォームには、運営側が意図しているかどうかは別として(たぶん意図しているのだろうが)、優しい人たちが集まりやすい仕組みがあらかじめビルトインされているように思うのだ。
そのことは、代表的なSNSであるX(旧Twitter)と対比してみるとわかりやすいかもしれない。
優しい人たちが集まる仕組み
noteに、優しい人たちが集まる仕組みとしては、主に以下の4点が考えられる。
短文ではなく長文であること
フロー型ではなくストック型であること
ランキングの見せ方に工夫があること
リプライの見せ方に工夫があること
短文ではなく長文であること
X(旧Twitter)は無料プランの場合、140文字の文字数制限があるのに対して、noteの記事には制限がない。そのことに起因して、両メディアではさまざまな違いが生じている。
noteでは、まだ自分が知らないだけかもしれないが、場が荒れるところを見たことがない。それに対して、X(旧Twitter)は、言わずもがなの世界だ。
その違いは、短文と長文という投稿文章の長さの違いによるところが大きいように思える。
X(旧Twitter)は、短文であるが故に、短時間で投稿でき、直情的な投稿になりやすい。
短文であるが故に、投稿頻度が多くなりがちで、意見の応酬がエスカレートしやすい。
短文であるが故に、時間コストが低く、自分の投稿に愛着が湧かない。当然、相手の投稿や相手自身にもリスペクトを抱くことはない。
その結果、X(旧Twitter)では、場が荒れやすいのだ。
それに対して、noteでは、長文であるが故に、投稿に時間がかかり、投稿前に冷静になれる。
長文であるが故に、投稿頻度が少なく、議論がエスカレートしにくい。
長文であるが故に、時間コストが高く、自分の投稿に愛着が湧く。相手の投稿や相手自身にもリスペクトを抱きやすい。
その結果、noteでは、場が荒れにくく、優しい人たちだけが住んでいる世界のように思えるのだ。
X(旧Twitter):
短文が多い
短時間で投稿できる →直情的な投稿になりがち
投稿頻度が多い →議論がエスカレートしやすい
時間コストが低い →自分の投稿に愛着が湧かない →相手の投稿や相手自身にもリスペクトを抱かない
場が荒れやすい
note:
長文が多い
投稿に時間がかかる →投稿前に冷静になれる
投稿頻度が少ない →議論がエスカレートしにくい
時間コストが高い →自分の投稿に愛着が湧く →相手の投稿や相手自身にもリスペクトを抱く
場が荒れにくい
フロー型ではなくストック型であること
X(旧Twitter)がフロー型なのに対して、noteはストック型のメディアである。その違いも、両メディアの居心地の差となって表れているように思える。
フロー型とストック型の違いとは、要するに、タイムラインがあるかないかの違いを意味している。
X(旧Twitter)のタイムラインでは、大量の投稿が川の流れのように流れては消えてゆくから、どうしても刹那的な投稿が多くなる。
吐き出された投稿が、その瞬間にしか読まれないのだとすれば、万人に声を届けようと思ったら、必然的にコメントは尖ってこざるを得ない。
それは、生半可なコメントでは、すぐにタイムラインの流れに飲み込まれて、投稿したこと自体が無かったことのようにされてしまうからだ。
尖ったコメントは誰かの心を刺し、他人を攻撃するコメントは場を荒らしていく。
かくして、X(旧Twitter)は、荒れやすいのだ。
それに対して、noteには、タイムライン的な機能が存在しない。フォローしているクリエイターが新規投稿した場合には、一覧のリストが更新されていくが、これは、X(旧Twitter)のタイムラインとは違い、ゆっくりした動きである。
そのため、大量の情報の流れにかき消されてしまう恐怖感も感じる事はない。
そのため、noteの記事は、投稿から時間が経ってから読まれるケースも多く、内容も人の心を刺すような過激さは求められていない。むしろ、落ち着いて読める深い内容の投稿が好まれている。
noteでは、タイムラインがないため場が荒れにくく、居心地のよい世界が実現しているのだ。
X(旧Twitter):
フロー型である
TLが流れる →その瞬間にしか読まれない
尖ったコメントでなければ読まれない
人を攻撃するコメントが多い
場が荒れやすい
note:
ストック型である
TLが流れない →時間が経ってから読まれるケースも多い
必ずしも尖った内容でなくても読まれる
人を攻撃する記事が少ない
場が荒れにくい
ランキングの見せ方に工夫があること
前の2つの要因は、運営側の狙いというよりも、noteがブログ型のメディアプラットフォームを選択したことにより、必然的に備わった仕組みであろう。
それに対して、ランキングの見せ方には、運営側の工夫が感じられる。
X(旧Twitter)では、他人の投稿の『表示数』が見える仕様となっている。『表示数』とは、どれだけ自分の意見が世界の人々に届いたかを示す数値であり、他人に対する影響度の尺度ともなっている。
X(旧Twitter)の世界では、『表示数』が多い=価値のあるコメントであり、そこには、必然のように競争が生まれる。
人々は、『表示数』を増やすために、尖った投稿を繰り返し、場が荒れていくのだ。
また、X(旧Twitter)では、自分の投稿の『表示数』や『いいね数』のランキングが見れる仕様になっていないため、自分の投稿の質をあげるモチベーションが湧かず、投稿は書き捨てとなりがちだ。
それに対して、noteは、他人の投稿の『ビュー数』が見えない仕様となっている。ハッシュタグで検索した場合には、人気ある記事が上位に表示されているものと思われるが、その『ビュー数』は不明で、表示順を決めるアルゴリズムも開示されていない。
noteには、『ビュー数』に基づいたランキングが存在せず、これが、他のブログメディアとは大きく異なる点である。
そのため、noteでは、『ビュー数』を上げることを目的とした尖った投稿は少ない。
なお、noteでは、他人の投稿の『スキ数』は見えるが、こちらもランキング形式では見れるようにはなっていない。そのため、『スキ数』は、競争を煽る数値としてではなく、良質な記事を探すときの指標として扱われているように感じる。
他方、noteでは、X(旧Twitter)とは違い、自分の投稿の『ビュー数』と『スキ数』のランキングが見える仕様となっている。
このことが、自分の投稿の質を上げるモチベーションに繋がり、note全体の記事の質向上に貢献しているのは間違いない。
このように、noteでは、『ビュー数』と『スキ数』のランキングの見せ方を戦略的に選択しているものと考えられる。
その戦略が、noteの居心地のよさに繋がっているとしたら、なかなか巧妙な仕組みではある。
X(旧Twitter):
他人の投稿の『表示数』が見える →『表示数』を上げることを目的とした尖った投稿が増える
自分の投稿の『表示数』、『いいね数』のランキングが見れない →自分の投稿の質を上げるモチベーションに繋がらない
場が荒れやすい
note:
他人の投稿の『ビュー数』が見えない →『ビュー数』を上げることを目的とした尖った投稿が少ない
自分の投稿の『ビュー数』、『スキ数』のランキングが見える →自分の投稿の質を上げるモチベーションに繋がる
場が荒れにくい
リプライの見せ方に工夫があること
投稿に対するリプライ(反応、返信)の表示方法にも、X(旧Twitter)とnoteで違いが見られる。
X(旧Twitter)では、『返信ポスト』は、元投稿を表示すると自動的に表示される仕組みである。そのため、気になった元投稿を開くと、必ず、それに付随する『返信ポスト』を目にすることになる。
ユーザーが、賛成意見も反対意見も含まれる多数の『返信ポスト』を目にすることで、さらに、その『返信ポスト』に対する『返信ポスト』が投稿され、議論の渦が無限に拡散しがちだ。
それが、X(旧Twitter)の長所でもあり、短所にもなっている。
それに対して、noteでは投稿に対して『コメント』を残すことは可能であるが、その『コメント』は投稿を表示しただけでは自動的には表示されず、『コメント』を見るためには、もう1クリックする手間がかかる仕様となっている。
そのため、『コメント』が多数のユーザーの目に触れることはなく、自分が気づいていないだけかもしれないが、noteの『コメント』が荒れることは少ない印象である。
X(旧Twitter)の『返信ポスト』が元投稿と同等の投稿として扱われるのに対して、noteの『コメント』は元投稿とは全く別物として扱われている。
そのことも、議論の応酬が無限にエスカレートしていくのを防いでいると思われる。
X(旧Twitter)の場合の方が、むしろ特殊なのかもしれないが、よく考えられた仕組みである。
X(旧Twitter):
『返信ポスト』が投稿を見ただけで自動で表示される →『返信ポスト』が『返信ポスト』を呼び議論がエスカレートしやすい
場が荒れやすい
note:
『コメント』は投稿を見ただけでは自動表示されない →議論がエスカレートしない
場が荒れにくい
最後に
ここまで、X(旧Twitter)と比較することで、noteに、優しい人たちが集まる仕組みについて語ってきた。
少し、X(旧Twitter)の悪い所ばかり強調し過ぎてしまったようなので、最後に少しだけ、X(旧Twitter)のいいところにも触れておきたい。
Xはインフルエンサーと直接会話できる
X(旧Twitter)には、さまざまなインフルエンサーと呼ばれる人がアカウントを持っていて、情報を発信している。インフルエンサーとは、例えば、政治家や実業家、芸能人、スポーツ選手、学者など多くのフォロワーを抱えた有名人のことだ。
彼らを情報強者と言い換えることもできる。
TVでしか見たことのないようなインフルエンサーたちと、直接会話をすることができるのは、X(旧Twitter)の素晴らしい体験だ。
無論、芯を食ったような質問を投げたときにしかリプライは期待できないが、直接会話できたときは素直に嬉しいものだ。
Xの情報拡散力は半端ない
X(旧Twitter)のもう1つの利点としてあげたいのは、情報の拡散力の凄さだ。
『フォロワー数』に対する『ビュー数』の比率をレバレッジと定義してみる。
レバレッジ = 1投稿のビュー数/フォロワー数
自分の場合のデータでは、MAX値は、以下のような数値になる。
X(旧Twitter):4300倍
note:12倍
レバレッジが2桁以上も違う。X(旧Twitter)の拡散の爆発力は凄まじいのだ。
自分の『ビュー数』などまだまだかわいいものだが、7万人のユーザーのスマホ画面に自分の投稿が表示されたと考えたら、ちょっと熱いものを感じる。
X(旧Twitter)でバズることに快感を覚える人の気持ちも、少しはわかるような気もする。
やっぱりnoteが『スキ』
それでも、やっぱり自分はnoteが好きだ。
noteの居心地のよさは、何にも代えがたい。
noteの投稿は、時間をかけて作り上げた物だから、クリエイターたちに取っては宝物なのだ。
自分の宝物を「大事に扱いたい」と思うからこそ、他人の宝物も「大事に扱ってあげたい」と思うのだ。
だから、自分は、ちょっとでも「いいな」って思ったり、共感を覚えた時には、躊躇なく『スキ』の『ハート』を押している。
『スキ』は、noteで記事を投稿する同志に対する贈り物なのかもしれない。
だから、『スキ』をもらうと、とても嬉しい。励みになる。その気持ちが嬉しいから、『スキ』を贈りかえす。
かくして、noteの世界では『スキ』の嵐が止まず、やがて世界は『スキ』の輪でつながっていくのだ。
『スキ』が止まらない優しい世界、そんなnoteがやっぱり『スキ』だ。
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