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【FIRE】長いようで短く、短いようで長い人生を悔いなく生きる
死ぬ間際に後悔したくない
一昨年の春、FIRA60をした。
人生を四季に例えると、秋の季節の訪れだ。
FIRA60(ファイラ60)とは、Financial Independence, Retire Around 60の頭文字を取った略語で、経済的自立と60歳前後での退職を意味する新しい用語である。FIREの一形態。
65歳まで働くことがデフォルトとになり、70歳まで働くことも珍しくなくなってきた社会の風潮に抗うかのように、あえて60歳前後でリタイアする、そんな生き方がFIRA60だ。
時代に抗った生き方と大きく出てしまったが、実際のところはそんなにカッコいいものでもない。
近頃はアオハルとも称される青春は、まぶしく輝く季節である。人生の本番である朱夏を迎える前の準備期間とも位置付けられる青春は、時に苦しく迷うこともあるが同時に前を目指して歩いていく季節でもある。
それに対してリタイア後の季節を意味する白秋は、いくらシロハルと気取ったところでその物哀しさは隠しおおせるものではない。人生の本番である朱夏は終わり、その先には終焉の季節である玄冬が控えているのだ。
白秋を過ごす身の実感としても、今の季節は人生のピークを越えてゆっくりと下り坂を下っているような感覚でいる。
青春:30才未満 独身
朱夏:30~60才未満 子育て・現役
白秋:60~80才未満 リタイア
玄冬:80才以上 晩年
若いころは人生の終着点について想像すらできなかったが、この歳になれば朧気ながらそのときを想像できるようになる。それは年々老いていく親の姿を間近で見ているせいかもしれない。
親とは、老いても背中で人生を教えてくれるありがたい存在なのだ。
今後の人生において想像もできないようなできごとがまだまだ起きる可能性もゼロではないが、そうであったとしても心に決めていることがある。
それは「死ぬ間際に後悔したくない」という願いだ。
そのために「好きなことだけして生きていく」と決めている。
それについては別記事でも書いている。
自分は、「好きなことだけして生きていく」と決めている。そうすることだけが、死ぬ間際の後悔を消し去ることができる唯一の手段であると信じているからだ。
この記事の中で、ブロニー・ウェア著『死ぬ瞬間の5つの後悔』について紹介している。本の中で書かれている死ぬ間際の後悔とは、以下の5つだった。
1. 自分に正直な人生を生きればよかった
2. 働きすぎなければよかった
3. 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
4. 友人と連絡を取り続ければよかった
5. 幸せをあきらめなければよかった
果たして自分は今、死ぬ間際の後悔を消し去る生き方ができているのだろうか?
FIRA60後の生活を振り返って、その答え合わせをしてみたい。
FIRA60後の振り返り
1. 自分に正直な人生を生きる
これは一番大事なポイントだと思う。
そのために「好きなことだけして生きていく」という人生の方針を決めたのであった。
しかし本来的な意味で「好きなことだけして生きていく」のは実際には不可能だ。
自分は生来怠惰な人間なので、もし一人暮らしをしていたら、昼過ぎまで寝て食事はコンビニ食で済ませ一日中ゲームに没頭し風呂にも入らず歯磨きもせずにゴミ屋敷で一生を終える生活をしていたかもしれない(笑)。
そこまで酷くはなかったが、暇な大学生のころを思い出したらそんな未来も容易に想像できる。
しかし、家族と暮らしていれば家族の手前そんな生活は送れない。自分にも夫や親としての矜持があるからだ。
現実の自分は、毎朝7時に起きるし健康に配慮した食事を摂り買い物も妻と二人揃って出かけている。健康のためウォーキングもするし風呂も入るし歯磨きも入念にしてから寝る。何なら家中のゴミを率先して集めてマンションの集積所に捨てに行くのが日課になっているくらいだ。
しかし、そんな生活がとりたてて苦痛というわけではない。むしろ規則正しい生活は精神状態を正常に保つ上でも重要だと感じている。
それでは普段の生活で何が楽しみになっているかと言えば、noteを書いたり読んだりすること、映画やコンサートに行くこと、それからたまに旅行に行くことが今の生活のアクセントになっている気がする。
このうち、noteとコンサートはともにFIRA60後に始めた生活習慣である。
noteは自分の精神安定剤のような役割を担っている。記事を書くことは自分の思考の整理のために始めたが、誰かに読んでもらうことで書く意味が生まれた。noteは記事発表の場であると同時にコミュニケーションの場でもあり、コメント欄での交流や他のクリエイターさんが書いた記事を読むことで大いなる刺激を貰っている。
まだ認知症を心配するような年齢ではないが、年齢や性別、生活環境の異なる様々なクリエイターさんの考えや活動に触れることで脳が活性化しているのは確かだ。こんな自分と交流していただいているクリエイターの皆さんには感謝の言葉しかない。
コンサートは忙しさを言い訳に数十年間参加することはなかったが、本当は自分がやりたかったことの一つなのだと今さらながらに気がついた。昨年は10回ほどいろんなアーティストのステージに参加したが、とてもアメージングな体験であった。
旅行は、体を動かせるうちに全47都道府県を制覇しておきたいと思っている。残すは2県のみだ。
そういえば、Kindle出版もやりたかったことの一つかもしれない。自分の若かりし頃は本を出版するなんて夢物語でしかなかったが、今の時代は誰でも無料で本を出せるようになった。本を出版することでとりたてて人生が変わったわけではないが、作家という肩書を手にしたときは本当に嬉しかった。
FIRA60したばかりの頃はアカデミックな動画サイトで様々な分野のお勉強をしていたこともあるが、最近は少し飽き気味だ。大学の公開講座にもどんどん参加したいとかリタイア前は思っていたが、熱が冷めてしまったようだ。
元々熱しやすく冷めやすい性格なのだ。
書いていて思い出したが、古代史の研究もやりたいことの一つであった。少し時間はかかるかもしれないが自説をまとめておきたいと思っている。
「自分にとって本当にやりたいことは何か?」
この先も自分の心に問いかけながら、自分に正直に生きたいと思う。
2. 働きすぎない
これはFIRA60で実現できた。
仕事は単にお金を得る手段ではなく自己実現の場でもあるが、会社員として働いている限り全てを自分の思い通りに動かせるわけではない。
時に自分の意に反することをやらされたり、転勤により生活の場が変わったり、嫌な人間関係を経験したり、大げさに言えば自分の時間、健康、感情、人生そのものと引き換えに仕事を進めなければならない場面も出てくる。
人にはそれぞれ異なる価値観があるから他人に自分の考えを押しつけるつもりは全くないが、自分は「このままうっかり働きつづけたら負け」と思ってしまったのだ。
「仕事を辞める年齢くらい自分で決めなければ、主体的に自分の人生を歩んでいるとは言えない」
カッコよく言えば、「自分の人生を自分の手に取り戻す」
それが自分に取ってのFIRA60だったのだ。現代は、定年の年齢を自分で決められる時代なのかもしれない。
お陰様で今はストレスの少ない生活を送れている。
もちろん社会の中で生活している限り人間関係はあるわけでストレスがゼロになったわけではないが、そのような場合は離れればいいだけだ。
会社員時代のストレスは逃げ場がないだけに余計に苦しいのかもしれない。幸い自分はメンタルを壊すことなく過ごせたので職場には恵まれたのかもしれないが、うつ病等で休職に至る人の話は自分の周りでもよく聞いた。
自分の仕事人生はそれなりに充実したものだったと思う。思い返せばいろいろなことがあったが、そのときどきで自分なりにベストは尽くせたと思っている。職場には感謝している。
そして今、自分の意思でリタイアを決めたので、自分の人生を主体的に生きている実感がある。
これがもし年齢を理由に強制的に定年や再雇用契約の終了を言い渡されてリタイアしたなら、また違った感覚であったかもしれない。
リタイアしてもやることがなくて困るという話をよく聞くが、FIRA60の場合は年齢的なこともあるのか、自分はそのような悩みは一切感じたことがない。
根が単純な人間なので、「働かなくて済むなんて、ラッキー」って思っている。
3. 思い切って自分の気持ちを伝える
これについてはどうだろうか?きちんと自分の気持ちを伝えられているだろうか?
とくに家族には気持ちを伝えておきたい。
しかし、言葉にするのは現実問題照れ臭いから、せめて態度で示せればと思っている。
「言葉で言ってくれないとわからない」というのが大方の女性の意見であろうが、言葉にしなくてもいつも一緒に居れば伝わると期待するのは男の我がままなのだろうか?
むしろ言葉にしなければ伝わらないのは、他人に対してかもしれない。
ほんの小さな心掛けであるが、何かしてもらったら「ありがとう」、ご飯屋さんで美味しかったら「ごちそう様、美味しかったです」と言える人間でありたい。
そのことが居心地のいい世界に繋がる気がする。
4. 友人と連絡を取り続ける
別の記事にも書いたが、昨年末に大学時代の友人と4人で実に四半世紀ぶりに会って飲んだ。
大学時代はもちろんのこと就職してからもよく旅行に行ったりして遊んでいた。しかし、最後に会ったのは誰かの結婚式だったように記憶している。
現在は全員県外に住んでいて年賀状だけの繋がりになっていた。携帯もない時代からの友達なので、LINEはおろか携帯番号も知らなかった。
昨今の年賀状じまいの流れで、このまま行くと二度と会えないままに関係が終わってしまいかねない状況であった。
死ぬ間際の言葉が「友人と連絡を取り続ければよかった」という後悔にしたくなかったので、ちょうど1年前に思い切って連絡を取ってみることにしたのだった。
手がかりは数年前に途絶えていた年賀はがきに書かれた住所のみだったので、その住所宛てに自分のLINE ID、メールアドレス、携帯番号を記して年賀はがきを送った。
その結果、細い糸が何とか切れずに繋がって再開を果たすことができたのだ。
顔を突き合わせて話していたら、大学時代プログラミングの授業で友達の作ったプログラムを丸写しで提出して単位をもらった話とか(当時は大型コンピューターの時代であった)、友達の安アパートでストーブに火を点けたまま酔っ払って寝てしまい火事で危うく死にかけた話とか、記憶の奥底に仕舞われて思い出すことのなかったエピソードが次から次へと湧き出てきた。
ある時期濃密な時間を一緒に過ごした友達は、何十年か振りに会っても昨日会ったばかりであるかのように普通に話ができることに驚いた。
お互いに外見は歳を取ったことに違いないが、気持ちだけはずっと昔のままであった。
来年の再開を約して別れたが、正直あと何回会えるのかはわからない。全員がいつまでも元気でいられるとは限らないからだ。それでも体力の許す限り会いに行こうと思う。
今回思い切って連絡を取って会うことにして本当によかったと感じている。
年賀状に毎年「今年こそ会いたいね」と書き続けてきた友達がいる人は、思い切って連絡を取って会ってみることをお勧めする。
自分からアクションを起こさなければ人生は何も変わらないのだから。
5. 幸せをあきらめない
これはどういうシチュエーションだろうか?目の前の手に届く所に幸せがあったのに、何かの事情でその幸せを諦めてしまったなどの状況であろうか?
確かに世の中には置かれた環境によって、仕方なく自分を犠牲にして人生を過ごしてきた人もいる事だろう。
あるいは、ちょっとした勇気が出せずに幸せを掴み損なった人もいるかもしれない。
自分はそのような状況に直面したことはないが、そのこと自体が幸せなことなのかもしれない。
最後に
ここまで「死ぬ間際の後悔を消し去る生き方ができているのか」について振り返ってみた。
それは「死ぬ間際」を意識することで、今をよりよく生きることができると信じているからだ。
「人生は長いようで短く、短いようで長い」
たった一度の人生を悔いなく生きていこうと思う。
◇
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