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【音楽】「さだまさしコンサート」で円熟味を増した歌声と漫談を満喫した夜
『2024 さだまさしコンサートツアー ”51”』に参加した。
※ネタバレにご注意ください! #ネタバレ
コンサート感想
デビューから51周年にちなんだD51の汽笛からコンサートはスタートした。
D51は、長年シャカリキに走り続けてきた爆走機関車であるさだまさしの象徴でもあるのだろう。実際にMCでもそのように語っていた。
ステージには懐かしき風情の駅舎とさだまさしの名前と活動年をもじった車体ナンバーのついた客車が鎮座している。
銀色に輝くコートを羽織って白いバイオリンケースを片手に登場したさだまさしは健在であった。
今宵で4669回公演!
たくさんのコンサートをやっているアーティストだとは認識していたが、まさかこんなにやっていたとは知らなかった。
単純に51年で割ると年間92回、ざっくり週2回のペースで50年間続けてきたことになる。
その間、レコーディングや曲作り、ラジオ番組、テレビ出演もこなしているのだから怪物としか形容しようがない。
震災応援などのチャリティにも力を入れていて頭の下がる思いである。単なる有名人気取りのアーティストとは違うのだ。
ほとんど家にいない生活を長年送っていると言っていたが、「さもありなん」である。
自分でも小さい頃から落ち着きのない性格と語っていたが、落ち着きのないレベルを遥かに超えていて、若干多動症気味のところがあるのかもしれない。それがこのようなアグレッシブな活動に繋がっているのだとしたら、それは既に才能の一部と言えるだろう。
こんなに数多くのコンサートを開いてきたのだから観客はリピーターばかりかと言えばそうでもなく、アリーナ席はファンクラブの方たちが多いと思われるが、バルコニー席の2階、3階は初回参加者がメインであった。
我々夫婦も初参戦である。
客層は活動歴の長さからか、自分より少し年上の世代が中心でそれも女性客が7割ほどと多かった。男性客は夫婦で来ないと少し肩身が狭い思いをするかもしれない。
さだまさしの曲と言えば、初期の頃の『精霊流し』、『無縁坂』、『線香花火』、『案山子』あたりの繊細な世界観が好きだ。当時は年長の兄弟の影響で、多少背伸びして聴いていたように記憶している。レコードの音だったのかカセットテープのラジカセから流れる音だったかは定かではないが…
テレビ画面では、間奏でバイオリンを弾く長髪で痩せ気味の顔が印象深かった。その頃のさだまさしは少々神経質で繊細な心を持った青年に見えた。
少しコミカルタッチの『雨やどり』もいいし、山口百恵に提供した『秋桜』もよかった。嫁入り前の娘の心情を切々と歌った曲であるが、この曲をきっかけに秋桜がコスモスと読まれるようになったのだ。
それを考えると、歌の影響力は凄いなと思う。否、さだまさしが凄いのか…
大ヒットした『関白宣言』や『防人のうた』あたりから少し路線が変わったようにも感じた。
『関白宣言』は当時から賛否両論あったのは確かであるが、自分より少し上の世代の結婚適齢期の女性陣には意外に受け入れられていたようだ。
その頃の自分には大人の恋愛とか結婚とか知る由もなかったが、テレビの街頭インタビューに答える若い女性の意見の半分は受容派であった。
残りの半分は「トンデモナイ」と言葉では反発していたが、同時にコミカルな歌詞から洒落として受け入れられていたように思う。
この歌詞でマジ切れする女性はいなかったのだ。
自分の知っているさだまさしはここまでである。
だから後の時代に、『関白宣言』をはじめとするさだまさしの歌詞が前時代的だと世間(特に女性)からマジ切れされ、右寄りだと指弾されたと聞いたときには少しショックを受けた。
確かに次の一番の歌詞を字義のとおり読んだら、女性陣の反発は凄いだろう。「何言ってんだ、コイツ!」って…
俺より先に寝てはいけない
俺より後に起きてもいけない
めしは上手く作れ いつもきれいでいろ
できる範囲で かまわないから
しかし、二番で次のように歌っているし、
幸福は二人で 育てるもので
どちらかが苦労して
つくろうものではないはず
三番ではここまで言っている。
お前のお陰で いい人生だったと
俺が言うから 必ず言うから
忘れてくれるな 俺の愛する女は
愛する女は 生涯お前ひとり
忘れてくれるな 俺の愛する女は
愛する女は 生涯お前ただ一人
これは紛れもなく深い愛の告白ではないのか?
「幸福は二人で育てるもの」だから、「俺」が「お前」に厳しいことを言っている以上のことを「俺」は「お前」にするつもりだという決意表明なのだ。「お前」だけに苦労はさせないぞ!と言っているのだ。
昭和の男は照れ臭いのである。愛の言葉だけをストレートに言うことはできない。『関白宣言』の盾の下でしか愛を囁けない不器用な男なのだ。
それでも、その前の世代の男と比べたらまだマシな方だ。前の世代なら思っていても口にすること絶対にない。「黙って俺の背中を見て察してくれ」の世界だ。
そんな時代背景があったからこそ、同時代の女性は『関白宣言』を受け入れたのだと思う。
もちろん、さだまさしより下の世代の自分は、間違っても一番の歌詞を口にすることは無かったが…。いきなり三番を歌うのが正しい処世術というものだ。
言葉とその表現は時代と伴に変わっていくものなのだろう。
自分はよく知らないが、自分よりさらに下の世代の愛の表現も、自分たちとは更に違っているのだろう。
言葉とその表現は時代と伴に変わっていくが、そこにある人間の心は昔から何も変わっていない。そういう気持ちでもう一度『関白宣言』を聴いたら、マジ切れしていた人々も、もしかしたら違う印象を持てるかもしれない。
話をコンサートに戻すが、今回のコンサートでは上記の自分の好きなメジャーな曲は一切歌われなかった。歌ったのはコアなファンのみが知るマイナーな曲ばかりだった。
さだまさし曰く、「去年が50周年で散々歌ったから飽きてしまった」そうだ。「新人歌手のコンサートに来たつもりで聴いてください」と冗談交じりにMCで語っていた。
だからと言って、楽しめなかったわけではけっしてない。
『北の国から』を皆と一緒に「ルールール、ルルル…」と手をゆっくり振りながら歌えたのはうれしかったし、何より語りが凄い。
コンサートで歌うよりも喋る人という噂はかねがね聞いてはいたが、ここまでとは思わなかった。
冒頭の『驛舎』、『それぞれの旅』を歌い終えた後に、いきなり古舘伊知郎ばりの喋りが炸裂したのだ。
あのお喋りお化けと形容された古舘伊知郎である。まさにその形容がぴったりの喋りだ。
自分の生い立ちの話、チャリティーコンサートの話、ハワイでのレコーディングの話、都知事選の赤いきつねと緑のたぬきの戦いの話など何でもござれだった。
昔のバンドメンバーの山形コンサートでの件は鉄板ネタなんだろうな。妙に完成度が高かった。
御年72才であるが、まったく衰えを知らない男だ。あれだけの喋りができるのは頭の回転が速い人だと思う。
伴に齢を重ねたファンの方が先にくたばってしまいそうだが、そのあたりをネタにした話では綾小路きみまろが降臨していた。爆笑の連続である。
どんなに喋りのうまい人でも舞台では緊張するものだと思うが、4669回もコンサートをこなしていたらそんな心情はとっくにどこかに飛んでいってしまったようだ。
かくして笑い転げているうちにコンサートは無事に終幕したのだった。
ほとんど知らない曲ばかりのセットリストではあったが、円熟味を増した歌声で心に響いてくるものがあった。
正直、「少しは知ってる曲歌ってくれよ」という思いはあったが、「こういうコンサートもたまにはいいな」と思えた夜であった。
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