
【X】「情報強者」の泣き言は犬も食わぬ
現代は、産業発達論の立場からは、情報化社会と呼ばれているらしい。
狩猟採取社会 → 農業革命 → 産業革命 → 情報革命
情報化社会とは、物よりも、情報に価値があるとされている社会である。その結果、現代社会は情報の発信者とそのプラットフォーマーに、とてつもない権力が与えられる社会になりつあるように思う。
プラットフォーマーとは、例えば、スマートフォンの世界で言えばAppleとGoogleのことである。もし、この瞬間に、この2社がこの世から消滅したら、世の中の大抵のことが動かなくなる。代替不可能な存在なのだ。
少し規模が小さいが、イーロン・マスクが様々な物議を醸しだしているX社やマーク・ザッカーバーグのFacebookも似たような存在だろう。こちらは代替え可能性が若干残ってはいるが、彼らの気まぐれで少しルールが変わっただけで、食べていけないくなる産業がごまんとある。
情報プラットフォーマーは、情報化社会において電気や水道の如く、生活に欠かせないインフラであり、社会に対する影響度合いから考えても、立派な権力の一部と化している。
日本社会は、長らく、立法・行政・司法の三権分立の社会とされてきたが、情報プラットフォーマーとマスコミを含めた情報の発信者を、情報化社会における第4の権力と位置付けてもあながち間違ってないのではないだろうか。
一方で、情報化社会では、誰もが情報を発信する手段を有するようになり(このNoteもそう!)、かつてのマスコミに代表されるような一部の勢力による情報独占が崩れつつあるとも言われているが、本当にそうだろうか?
現に、自分もこうしてNoteやXで情報発信しているが、自分のメッセージが届くのはごく限られた範囲でしかない。何なら100人の人にしか見てもらえていないかもしれない。
それに対して、インフルエンサーと呼ばれる人々は、100万人単位のフォロワーを集めている。自分と比べるのはおこがましいが、1万倍もの影響力の差があるのだ。
このことからもわかるように、情報化社会において、情報の発信者は2種類に分類される。
情報強者:フォロワーが多数。発言の影響力が大
情報弱者:フォロワーは少数。発言の影響力が小
むろん、前述のインフルエンサーや芸能人、政治家、実業家などの要するに著名人が情報強者であり、自分を含めた大多数の名もなき庶民が情報弱者である。
情報強者は、ちょっと喋っただけで世間が注目してくれるが、名もなき情報弱者の声は世間という名の大きな器の劇場に響くことは、まずない。
情報化社会においても、情報の流れには厳然たる格差が存在しているのだ。
別に、このことを自体を悪いと言っているわけではない。社会に対する影響力を高めたくて、ユーチューバーを目指す若者が一定数いることに対しても、動機はすごく理解できる。
ただ、情報強者には、自分が情報強者であることにもっと自覚をもって欲しいと思っている。
そう思ったのは、今日のXに以下のようなツイートが流れてきたからだ。

自分は文芸春秋の報道内容が真実かどうかを判断する材料を持ち合わせていない為、現状で、どちらか一方の肩を持つつもりは全くない。
もし、どちらかの主張が間違っていたとするならば、間違っていた方が謝罪し、償いをすればいいだけだと思っている。
ただ、情報強者の松本氏から被害を受けたと主張する情報弱者の女性が、情報強者の文芸春秋を使って社会に訴えたわけであるから、情報強者の松本氏は、堂々と反論するべきだと思うのだ。
Xのツイートが、執筆時点で6,000万回以上閲覧され、70万回以上のいいねを集める情報強者の松本氏なら、「説明しまーす」と、いとも簡単に自分の主張をすることができるはずだ。
そんな面倒くさいことをしなくても、記者会見を開けば、同じく情報強者のマスコミが殺到して報道してくれるだろう。
これが情報弱者だったら、そのような対応は実質的に不可能だ。それこそ、泣き寝入りをするしかない。
情報強者は、自分たちが恵まれた立場にいることをもっと自覚した方がいい。ましてや芸能人であれば、今まで情報強者の立場を利用して、散々稼いできたのではあるまいか?
Xで泣き言をツイートしている場合ではない。情報強者の泣き言は犬も食わぬというではないか?
ノブレス・オブリージュの精神ではないが、情報化社会における貴族とも目される身分の情報強者の矜持を見せて欲しいと願うのは、情報弱者の単なる我儘なのだろうか?
※この記事は、個人の見解を述べたものであり、法律的なアドバイスではありません。関連する制度等は変わる可能性があります。法的な解釈や制度の詳細に関しては、必ずご自身で所管官庁、役所、関係機関もしくは弁護士、税理士などをはじめとする専門職にご確認ください。
また本記事は、特定の商品、サービス、手法を推奨しているわけではありません。特定の個人、団体を誹謗中傷する意図もありません。
本記事を参考にして損害が生じても、一切の責任は負いかねます。すべて自己責任でお願い致します。
※本記事で採用している情報強者、情報弱者の用語の定義は、一般に使われている定義とは異なるかもしれません。
お知らせ
資産運用に興味のある方は、拙著『資産運用の新常識』をご覧ください。