水木 飯 食う 私 狂う
このnoteは「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の初見の感想で1番言いたいことだけ言った記事です。ほぼタイトル通りです。上記映画のネタバレを含みます。
私のTwitterタイムラインに12月上旬ごろから、顔に傷のある赤ネクタイ黒スーツ姿のサラリーマンと白髪目隠れ和装男が見られるようになった。そして、気づいたら何人かのフォロワーが「ゲ謎」にハマっていた。どうやらゲゲゲの鬼太郎の映画らしい。鬼太郎が生まれるまでの経緯を描いた映画のようだ。そして、かなり良いバディものらしい。
何がそんなにフォロワーを惹きつけたのか。興味を持った私は年末にひとり映画館へと足を運び、「ゲゲゲの謎」を観た。
ゲ謎はとても楽しめた映画だったしメッセージ性を感じたのも面白かった。でも、初見で1番頭に焼きついて離れなかったのは、美しすぎる村の描写でも爽快なアクションでもグロテスクな惨殺場面でもバディの絆が見える瞬間でもなかった。
主人公、水木が飯をかきこむシーンが好きすぎた。
場面としては、不穏すぎる村での滞在2日目夜のことで、水木が用意された夕食を個室で食べている場面である。不穏すぎるというのは、怪死事件が起きていたり、かと思えば偶然いたよそ者を容疑者だと決め打ちして秒で斬首しようとしたりしているのだ。そして水木というのは前述した顔に傷のあるサラリーマンのことである。
この水木が一汁三菜の夕食を食べるのだが、その食べ方がすごい。とんでもなくがつがつ食べる。とにかく食べるのが早い。それも異常に急いでいるように見える速さなのだ。茶碗に十分に盛られた白米をカッカッカッカッと一息にかき込んで、もう茶碗が空になっている。次の瞬間には鮎の塩焼きに手を伸ばし、串のままかぶりつく。そう、早いだけでなく粗雑でもある。お世辞にも行儀が良いとは言えない食べ方だ。
これがめちゃくちゃやばい。狂う。水木は美味しそうに食べているわけではない。表情も集中して食べている様子で、嬉しそうな様子ではない。その様子からは水木に「食べないと」という執着があるんじゃないかと感じる。
人間が一心不乱にものを食べる時の心理は空腹から来る強烈な「食べたい」か、死への恐怖と共にある「食べないと」の2つだと思っているのだが、この「食べないと」を感じさせた食事シーンなのだ。すごい。
私は元々食事シーンが好きなので、普段からちょっとしたご飯の場面でも「わ〜!」ってなっているのだが、今回のこのシーンは「わ〜!」どころでは無かった。全く言葉にならないまま頭に映像が焼き付けられたし、なんだか興奮してしまって除夜の鐘で殴ってくれって思ったし、この食事シーンのためだけでもお金を払って何度も見たいと思った。すごい。
さらにこのシーンの良い点は、この単なる食事シーンが水木のキャラクター性の説明となっている点だ。
このシーン以前に回想で水木は戦場の兵士あがりであることが明かされている。それも特攻をやっていたような過酷な環境だ。
また、ここまでの序盤で水木は「なんとしてでものし上がってやる」といったような社会への姿勢を見せている。
水木という人物にこれらの背景がある時、一心不乱な食事の描写は水木の思想の具体化になる。過酷な戦場では食糧のある食べられる時に食べておかなければ死に至るだろう。さらに、多種多様な死因で次々に仲間が死んでいく
のをすぐ近くで見ていれば、死はぐっと実感を伴うものになって死への恐怖は増しているはずだ。実際、回想にて特攻後に運よく生き残った水木は「死にたくない」とこぼしていた。生への執着と死への恐怖、戦場で根付いたものが水木に強く残っていることがあの食事シーンから想像される。さらに、水木は強い上昇志向を持っているが、それはハングリー精神とも言い換えられる。まさに字の如く、飢えや貧しい環境を脱して豊かになりたいという強い意志が水木の食べっぷりから感じられる。
ここまでが映画鑑賞後に統合されると、あの食事シーンは
「不穏すぎる村で安心もできないから、戦場で染みついたとにかく急いで食べるスタイルで食べられる時に食べておくことで、少しでも昇進できるようなきっかけを掴まなければ」
が水木の思考にあるかもしれなう“っ!!!!!!!!!