夢
私は比較的よく夢をみる。厳密に言うと誰しも毎日夢を見ていてそれを覚えているかいないか、らしくそれに従えば私は夢をよく覚えている。
私は小学1年から中学3年までの約9年間の間、野球をしていた。野球をはじめたきっかけとしては、「ただ単に友達に誘われたから」というもので、特に深い考えは無かった。深い考えも何も小学生なんてものはそんなもんだろう。
毎週土曜日と日曜日には8時半から17時まで練習があった。そして何よりも厳しいクラブチームだった。いま思い返せば小学生に対してよくあそこまで怒れたなと感心する程に。怒鳴られる事は日常だったし、酷い時は頬を殴られ、バットの持ち手で頭を殴られた。
センスもやる気もなかった自分は常にどうサボるかを考えていた。勿論、家で自主練も筋トレもしなかった。常に辞めたかった。
ただ自分からやりたいと言った手前なかなか辞めたいと親に切り出す事はできなかった。それに野球の道具は高価な物が多く、無駄にはしたくなかった。
今思えばよくあそこまで嫌な物に向き合えたと思う。何度涙を流した事か、一生忘れる事はない。
センスもやる気も無く、練習までも手を抜こうとする自分だから勿論試合に出る事もなく、不動のベンチとして活躍した。声は誰よりも出した。
「やってる風」を身に付けたのは間違いなくこの時だろう。裏方を頑張ると大人たちは褒めてくれた。「誰かは見ていてくれる」と気づいたのもこの時だったのかもしれない。
中学生になるとクラブチームには所属せず、学校の野球部に所属する事になる。
部活動はほぼ強制的に入部しなければならない為少しでもアドバンテージのあるものを選んだ結果、野球部になった。
最初は良かった。
紛いなりにも6年間の経験者として2年生になるとレギュラーに選ばれ、3年生になると副キャプテンにも任命された。
が、最後の大会、私がグラウンドに立つ事は無かった。
最後の大会は怪我をした訳でも不調に陥った訳でもなく、途中から入ってきた不良の天才にポジションを奪われただけだった。
その不良は素行が悪かった為、建前上、先生も一桁の背番号、つまりレギュラーの証を渡す事ができず、そのあまった一桁の背番号は惨めにも私が付ける事となった。
つまり私は副キャプテンで一桁の背番号にも関わらず、最後の大会をベンチで、一瞬たりとも試合に出る事もなく終えた。
ここまで長々と私の野球人生について述べてきたが何が言いたいかと言うと私にとって野球は私を構成する大きな要因の一つであり、忘れたい一つの記憶である、という事だ。
しかし、私は初めにも述べた様に夢をよく見る。
そう、野球の夢を。
しかも限って毎回ミスをする夢を。
自分の中にどれだけ深く野球というものが根付いているかが伺えるし、ここまでくると笑えてしまう。
忘れたい一つの記憶である事は間違いない。ただ私は野球をやっていて良かったと、そう思っている。
そうで無ければ今ある自分を否定する事になってしまうから。