ハイキューとの出会いで変わった私の価値観
ハイキューとの出会いは私にとって結構な衝撃で、こんなに心に動かされる漫画は後にも先にもハイキューだけのような気がしています。
小中と部活でバレーをやっていたが背が低い私はネットから指の先数センチを出すのがやっとだった。レシーブも大して上手くなく小中共にレギュラーに入ることは出来なかった。私にとって部活は辛く苦しい思い出が多くて、楽しいことも喜びもあったはずなのに何一つ出てきやしない。その思い出達のせいでバレーボールというスポーツそのものが嫌いになっていた。
バレーは中学までで辞め、高校は自由気ままにまるで野良猫のようにダラダラと日々を過ごしていた。そんな時にハイキューと出会った。あれは確か高2の夏休み。ANIMAXをつけたらたまたま1期の1話目が始まる時だった。
あの時の部活の思い出が蘇った。
「お前は3年間なにをやっていたんだ」
心に刺さる強烈な一言。もっと出来ることは沢山あったはず、そう思うと物凄く悔しく猛烈に後悔し、涙が止まらなかった。
その後ハイキューにハマり、アニメを全部見た。
その中で特に心にグサッときたシーンの1つ目、
「"その瞬間"が有るか無いかだ」
ハイキュー好きな人ならお分かりだろう、木兎さんの名シーン。ハッとした。私には"その瞬間"が無かったのだと気付かされた。
2つ目は星海光来のセリフ
「小さい事はバレーボールに不利な要因であっても不能の要因ではない」
背が小さいからとはなから諦めていたのは自分自身だった。この言葉は何よりも衝撃だった。
背が高ければと何度も思った。羨ましく強烈に憧れ、同時に妬ましくもあった。いつかの鷲匠先生と同じ思いを持っていた私の心が溶けていく、解けていく。
ハイキューに出会って色んな事を思って、あの時を後悔した時もあったけど、その終着点は"やっぱりバレーボールは面白い"という想いだった。
ハイキューのおかげで後悔の塊でしかなかった過去が変わった。バレーボールやっててよかったと思った。バレーボールやっぱり好きだと思えた。そう思わせてくれたハイキューには本当に感謝しかない。本当にありがとうございます。
ハイキューはバレーボールが好きな人も嫌いな人も戦った人も逃げた人も勝った人も負けた人もバレーボールというスポーツに関わった全てを肯定してくれていてそれが救いだった。
「私達もバレーボールやってたよ」
バレーボールはこんなにも面白い、その確かな証明がそこにあった。
8年半に及ぶ連載は完結してしまったけどバレーバカたちの物語は続いていて青春は終わらない、私はそう思っています。今日もどこかでバレーボールの事しか考えてない日向たちが練習に励んでいるはず。この先の彼らの健康と飛躍を祈っています。
この先はどうでもいいハイキューオタの話なんですが、私、音駒クロと梟谷木兎さん推しだったんです。今でももちろん推しなんですが、急に稲荷崎宮兄弟が推しにくい込んできて、それはもう毎日のように宮兄弟がぁぁぁぁ!!と騒いでいます笑 だってさ!顔良すぎじゃん?!なにあの双子!!!!幼馴染のマネになりたい人生だったと日々思っています。もしくは北さんの育てた米になって出荷されておにぎり宮に行って治くんに握られて侑くんの栄養になって体内循環したいです(は)もうとにかくハイキュー沼が深すぎてやばいんです。3ヶ月に1回この深すぎるハイキュー沼にハマっては騒いでいます。本当にハマるとうるさいと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
くっそ長いどうでもいい駄文を読んで頂きありがとうございました。今後もどうぞご贔屓に。。
みーた
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