3.11
また今年もこの日がやってきた。
今でも鮮明に思い出す。11年前の今日を。
当時はまだ中学3年生だった。
ちょうど県立高校の入試を昨日終えて
みんな解放感に満ち溢れていた。
高校入試。
大学入試よりも一番勉強した時期だった。
担任に1つランクを下げた方がいいと言われたが
その学校にはどうしても行きたくなく、
浪人覚悟で志望校を目指した。
そのために今では考えられないが朝4時に起きて勉強した。
全国の過去問集を全部解いた。
とにかく必死だった。
だから試験が終わったときは
やり切ったという充実感と
やるだけのことはやったという満足感でいっぱいだった。
思えば、最近地震が起きていたが
全く気に留めなかった。
気に留める余裕もなかった。
入試から一夜明け登校すると
先生たちがこれまでのご褒美にクラスマッチを用意してくれていた。
体育館でバスケとフットサルをする一日だった。
わたしはバスケに出場していた。
何回かの試合に勝って決勝進出が決まった。
先に3位決定戦をしてから
最後に決勝戦が行われる予定だった。
3位決定戦の間は
体育館の2階のロビーに座って他のクラスを応援していた。
そのときだった。
グラグラグラ。
え、なに?地震?大きいね。
最初はそのくらいだった。
ガシャガシャン。
体育館にぶら下がってる大きなライトが揺れた。
そしていつもなら収まるはずの揺れもまだ続く。
なんだか段々強くなっている気がした。
全然やまず、怖くなってきた。
友達と顔を見合わせた。
声すら出なかったけど、お互い怖いね、いつ終わるかな
と言ってるように感じた。
そして先生たちが叫んだ。
今すぐ下に降りてこい。全員集合だ。と
試合の行く末なんて誰も気にしなかった。
当たり前のようにゲームは終わった。
それくらい異様な雰囲気に包まれた。
しばらく体育館で待つように言われた。
停電でテレビもつかず、先生たちも何がなんだかわからない様子だった。
3月なのに珍しく、雪が降った。
雪国育ちなため、いつもは雪がふってもそんなに騒いだりしないのに
この日は違った。
体育館のドアを開けて
雪降る様子に歓声をあげていた。
そうするしかなかったのだ。
雪だ!わー!やったー!
雪合戦したいね!
みんな自分の心をなだめるのに必死だった。
いつもとは違う地震だって認めたくなかった。
なんとか気をそらそうとしていた。
でも雪に騒ぐのも飽き
寒さを感じるようになってきた。
冬の体育館はとにかく寒かった。
今度はみんなでくっついて団子みたいになって
暖をとった。
しばらくして迎えが来れる人から帰ることになった。
みんなが段々と帰っていく中
わたしの親はなかなか来なかった。
こういう緊急事態のときに忙しい仕事なのは知っていた。
だからひたすら待った。
親が迎えにきたときはもう外も真っ暗だった。
いつもよりも真っ暗だった。
なんでだろ?そう思ったら
信号が消えていた。
街頭もついてなかった。
ただただ真っ暗な夜だった。
そこからしばらく学校は休みになった。
自分たちの卒業式も1週間以内に迫っていたが
そんなことを口にしてはいけない感じだった。
友達にも会えず、テレビも見れず、
長い長い1日を過ごした。
津波が到来したこと
仙台の被害が甚大なこと
福島の原発が大変なこと
それらは数日経ってようやく見ることのできたテレビで知った。
卒業式の日に久しぶりに学校に行った。
なんとか予定通り式を開催してもらった。
合唱ではレミオロメンさんの3月9日を歌うことになっていた。
でも練習時間はなかったから
ハモリとかはなくみんな思い思いに歌った。
きれいな合唱じゃなくて、なんだかおかしくて
みんな泣き笑いながら歌った。
3.11とセットで思い出すのは卒業式のこのシーンである。
当時はまだ中学生で
こんなに近くにいるのに
仙台のために何もできない。
どうしようもなく無力な自分が嫌だった。
だから大人になったらもっと大きくなって
自分のやりたいことは全部やれる人間になろうと誓った。
あれから11年。
自分にできることはまだたかが知れている。
でも少しは大きくなった。
あのとき思い描いた「大人」にはなれていないけど
確実に近づいている。
きっと遠回りばかりしているけれど
一歩ずつ進んでいきたい。
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