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大切な友だちを見るように自分を見る
手相セラピー®️と出会って、「大切な友だちを見る」ように、私は自分のことを見ることができて、子どもの頃から「べき」「ねば」で縛ってきましたが、やっと自分のことをそのまま受け止める目線を持つことができました。
その感覚について書いてみようと思います。
「大切な友だちを見るように」とはどんな感覚なのか
何かを頑張っているのなら、応援する
もし、何か悩んでいたり、課題にぶつかっていたらいつでも相談にのりたい
相談にのれないまでも、いつでも話を聴くつもり
そして、彼女(彼)なら、あっちにぶつかり、こっちでつまずいても、きっと歩み続けていけるって、思える
これまでだってずっとそうだったから
ここにいて、彼女(彼)を見守る
そんな感覚だと思うのです。
手相セラピー®️との出会い
私が手相セラピー®️に出会ったのは2012年の秋でした。
手相セラピー®️を生み出した笹田修司さん(ささやん、現在は日本手相セラピスト協会の顧問)のインタビュー記事を、偶然読んだのです。
笹田修司さんのブログは
手相セラピスト®️ささやんの日記 (最近は更新されていませんが…)
Facebookページは
掌紋心理プロファイラーささやん
その記事の中で、心理カウンセリングと手相は相性がよく、組み合わせることで、敷居の低いカウンセリングを提供できると、ささやんがお話しされていました。
その頃、私は心理学を学び始めていて、その記事を読んで「これだ!」とワクワクしたのです。
当時、心理カウンセリングはまだ一般には敷居の高いものでした。
歯医者に行くような感覚で心療内科を受診できなかったし、受診したことを友だちとのランチの話題にするなんてこともあり得ませんでした。
私が勤めていた会社では、福利厚生の一環として無料で心理カウンセリングが受けられるようになっていましたが、利用することはできないと思っていました。
このところ凹んでいるけれど、別に鬱じゃないよ…
会社の人たちに、バレたらどうしよ…
と、それぐらい心理カウンセリングに敷居の高さを感じていました。
その一方で心理学を学び始めて、たくさんの人がもっと気楽に心理カウンセリングを受けられるようになれば、みんなもっと活きいきと自分らしく毎日を送れるのではないかと思っていました。
ささやんが言う心理カウンセリングと手相との相性のよさ、と言うのは、
まず、日本人は手相に感心や興味がある人が多いので、「手相を見ますよ」と促すと、目の前の人は両手を差し出して、その時感じている悩みを(重い・軽いはあっても)構えることなく話し始めることができるということ。
次に、相談者さんが両手を差し出し、手相セラピスト®️がそのてのひらを受け止めるという姿勢が、お互いを招き入れるようなスタイルになること、つまり胸襟を開くカタチになること。
さらにてのひらを見せるということは、手の内を見せる、というカタチになること。
このように手相への気軽な関心と身体のカタチで、スルスルとお互いの間に信頼感ができるからです。
だから手相を見るというスタイルに、心理カウンセリングと心理セラピーを組み合わせることで、手相を見てもらうという気軽さで、心理セラピーを取り込んだカウンセリングを手相セラピー®️は提供できるのです。
手相セラピスト®️になって感じたこと
こうして、ワクワクと期待をいっぱい抱えて手相セラピスト®️講座を受講し始めました。
基礎手相セラピスト®️講座(旧名称)を2013年1月に修了して 、翌月2月にレポート合格して基礎手相セラピスト®️の認定を受けました。
引き続き手相セラピスト®️講座(旧名称)を5月に修了し、実技認定試験を受けて公認手相セラピスト®️(旧名称)の認定を受けたのが2013年の12月でした。(現在は実技認定試験は行っていません。)
手相セラピスト®️になって、自分のことを「大切な友だちを見るように」見られるようになったのです。
自分の手相を見るとき、私の場合、てのひらを手鏡のように顔の前にかざします。
自分の心の内を見る、感じる、内観・内省するワークはいろいろありますが、紙に書き出すというやり方ですと、目線は下向きになります。
下向きになるからなのか、私の場合は、たくさん書き出して内容を見直すと、どうしても反省しすぎて自分を責めてしまう傾向がありました。
でもてのひらを顔の前にかざして見ると、目線はほぼまっすぐです。
そのせいなのか、自分をあまり責めることはなく、「そうか、そんなところがあったんだ」「だからそう思うのか」と、少し距離感を持って受け止めることができました。
最初に受け止め方が変わったことは、標準的ということについて。
その頃の私は両手とも、生命線・感情線・知能線は、長さや位置や濃さが全てが標準的に分類できるカタチでした。(今は手相が変わってき、違うカタチですが)
それを知ったときの受け取り方は
「やっぱりね、私は取り立てて才能も特技もないし、どこにでもいる平凡で可もなく不可もなくということよね。」
でした。
でも、ささやんから、生命線・感情線・知能線の長さや位置や濃さの組み合わせのバリエーションは、片手だけで約2万通りあると教えてもらいました。
全て標準になるのは、片手だけで約2万分1。
両手ともとなるとその組み合わせは億を超えます。
カタチの分類は標準というけれど、それは「どこにでもある」という意味ではない。
標準を保つことができる、バランスをとることができる、ということだと思えるようになりました。
次に努力開運線を見つけたとき。
努力開運線というのは、努力で思いを叶える、という意味があります。
これを見つけたときも、やはり才能も特技もない私は、努力をしないと何ひとつ手にすることができないんだ、だから努力し続けねばならないんだ、と感じたのです。
でも、それは、努力することができるということ。
いえ、好きで努力をするタイプ、ということと気づいたのです。
好きでやっていることですから、実は私には「やらない」という選択肢も持っていたことに気づきました。
でも、私は努力することを選んでいたのです。
これまでそうやって頑張ってきたんだ、ということを初めて受け止めることができました。
頑張っていることをありのままに受け止める感覚は、大切な友だちと見るのと同じような感覚でした。
そして、大切な友だちのことを、どこにでもいる人とは決して思わないように、私は私なのだ、と思えました。
自分のことを認める
人に頼まれたことを優先して、つい自分のことは後回しにする。
手助けを求めるのが下手で、自分でなんとかやり切ろうとする。
頼むより自分でやる方が明らかに速いし確実だからということもあるかもしれませんが、職場でも家庭でも次々と片付けないといけないことがあって、そんな慌ただしい毎日の中で、自分のことに気をはらうことができなくなってしまう。
でも、疲れが溜まったときや、ふと気持ちが沈んだときに、どうしようもなくやるせない気持ちになることがあります。
私たちは、ドラマチックではないけれど大切な毎日の中で、ずっと頑張っています。自分のことだと、「いやいやそんなの当たり前だから」と流してしまいがちですが、大切な友だちの姿だと思って、そんな自分自身の姿を受け止めてみましょう。
私は、手相セラピー®️を通じてそんな目線を持つことができました。
いろいろなことを経験しながら、もちろん周りの人の助けもあったけれど、その中で、いつもその時できるベストを尽くしてきなぁ、とやっと自分のことを認めることができました。