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ファッションセンスがない

大学生の頃から言われ続けてきた。私のファッションセンスは無いらしい。

私がダサい烙印を押された生活を送るのは洋服屋さんに通うようになってから始まる。
根っからの貧乏性だったので質より数で選んでいた。
私はブックオフで服を買っていた。
ブランド品には目もくれず、一着300円で売ってるような、ほぼ布のままの状態みたいな服のコーナーばかりを物色していたのが私。
「だいたい変な服ばっかりなんだけどぉ、100着分の1の確率くらいでお宝みたいな可愛いのがあんの。あの宝探しが楽しいんだよなぁ」とか意味不明に威張ってた私は100着分の1の確率で極めてしょうもない服を着ていたに違いない。ブックオフは悪くない。私のセンスが全ての元凶だ。
最近、友人の「ブックオフで服買ってた友達がいる」というのが「私の変な友達トーク」の鉄板ネタになっていることを知った。

でも私だって唯一、褒められたことはある。大学の頃に付き合ってた人に「お洋服いっぱい持っててすごいね」と言われたのだ。量を褒めてもらえただけなんだけど当時の私はこの時、ファッションリーダーとしての自覚を芽生えさせたものである。
ただこの時の彼はもちろん、付き合いたて特有の、相手の全てが素敵に見えて、例え泥棒しても「泥棒してすごいね」と褒めちゃうような、手に負えない病気にかかっていたのだ。
数ヶ月後にはしっかり「その大量の服全部だせえな」に変化していた。

しかし私は服に対する自己肯定感の凄まじさだけはあった。
というか、オシャレというものを斜めに見ていた。Tシャツの上からブラジャーみたいなやつつけるの冷静に考えて変態だし、サンダルは裸足で履きなよ。みんなぁ、トレンドが必ずしもオシャレとは限らないんじゃあないんですかぁ〜?とイキリ散らかしていた。

そうしてファッションを見つめ直すことなく、社会人になってからも退屈極まる服を纏っていた。そしてよりファッションを指摘されることが増えた。「お疲れ様です」の次が「服変じゃない?」の日常を送った。
ある日、赤茶色のロングコートを着た時も苦い顔をされたので「今日のファッションテーマはチャバネゴキブリです」と自虐するほどまでに私の心は折れかかっていた。

多様性の時代に、なぜファッションには優劣がつけられないといけないのか…?そんな虚しい抵抗をしていたが誰も取り合ってくれない。
それに私の職業はタレントだ。私が出演したグルメロケを見た人の感想がおおむね「服が変だった」になればお店の人に申し訳ない。
26くらいの頃だろうか。私は自分を変えることにした。

私は洋服のサブスクを始めた。
いろんなサブスク会社があったけど、そこが取り扱ってるブランドはあーすみゅーじっくあんどえころじーとか私でも聞いたことある名前があったので安心できた。
トップス、ボトムス、ワンピースを写真を参考にしながら選べる。
服の組み合わせが悪いとよく言われたけど、モデルさんが着てる服をセットで借りられるという、マネキン買いならぬマネキン借りができるのも魅力的だった。

自分で服を選べるからこそ、人気の服はすぐに売り切れてしまう。早い者勝ちシステムなので可愛いアイテムほど早めにレンタルしたい。
私の場合、これは可愛過ぎるなぁ!と大急ぎで借りたアイテムほど在庫が残ったままシーズンを終えていく。こんなところでもセンスの無さを確立される私の気持ちを君は20文字以内で書けるか?

こうして私は毎月7000円を支払い、オシャレな服を着ることができた。
もうこれでお疲れ様ですの後に何も言われないぞぉ。
トップスとスカートをマネキン借りした私は堂々と、誰ふり構わず見せつける露出狂のように大股で街を闊歩し、そして関係者に会った。
相手は私を見るなり驚いた様子を見せ、挨拶する前に、開口一番、言った。
「わあ〜!オシャレな服を靴が台無しにしてる〜!」
靴が台無しにしていた。
どうすればいいんですか。

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