「君たちはどう生きるか」を見て感想を書き散らす(見た人用)
面白かったんです。
「どう生きるか」を痛烈に突きつけられる作品かなと予想していたんです。
でもなんというか、いろんな要素があって消化できなくて。
断片的に、見ている映像を楽しむことをできているんです。
大きなストーリーを追うことはできる。
ただこう理屈で理解できない展開が次々起こって、ただ支離滅裂というにはあまりに映像が美しく、その時々の言葉が心に残り、映像を眺め、さっきの言葉はこういうこと?と考えている間に次の展開になっており、あまりに美しく細部にわたる美術に目を取られ、なんだか流れるプールに乗っているような自分でどうしようもないような感覚でした。
あの飴色の艶のある家具高そう、美しいな、空がきれいだな、あの丸い子たちすごい一人ひとり動いてるかわいい、魚気持ち悪い…インコ怖い…
映像の密度が高くてそれだけで自分の感覚を超えた芸術を浴びている快感といいますか、非常に自由な心になりましたね。
ストーリーの私の解釈は、塔の中は眞人の心象世界であり、また内にこもる人たちの心の在り方を表しているのかなと思いました。
大叔父さんは頭のいい人で本を読みすぎておかしくなって、ある日突然消えてしまったということですが、塔の中の世界の主として描かれていますね。
積み木を美しく積み上げることで塔の中の世界が保たれるようで、自分にはもう時間がなく、眞人にこの世界の後継者になってほしいと言っています。
なんだか悪意のない理想的な世界のような言い方をしています。
眞人は「自分には悪意がある。この傷がその証だ」と言います。大叔父さんは悪意のない世界を次いでほしかったけど、眞人は悪意がある世界で、「友達を作ります」と言います。
この場面が主題を表すようで印象的でした。
この世はクソみたいなことばっかりで、生きるのがいやになるじゃないですか。特にすぐ内にこもりたくなる人間にとっては。眞人のお父さんだって、子供思いなんだろうけど、ひどく無神経なんですよね。東京からの転校生が車で乗りつけて田舎の学校に来たら、好機の目にさらされるし嫌味なわけじゃないですか。でもそれがわかんないんですよね。眞人が特別扱いされて有利な立場に立てると思って、ある意味親心なんでしょう。でもそれが傷つけているし、人の心のすくい方が歪んでいる感じがするんですね。
眞人の「この傷が悪意の証」という言葉、見終わった後の夫との感想で、誰かにやられたと見せかける子供っぽい悪意だったんじゃないかと言われ、ああそうだったのかと思ったんです。私は自傷することで自分の傷ついた心を救おうとしたのかなと思ったんです。たしかに、誰かにやられた被害者になりたかったのもあるかもしれないと思いました。それは罪をなすりつける悪意だなと。
お父さんも「学校なんか行かなくていい」と言って、眞人の心を大事には思っているようなんです。でも強い立場にいて、人の心に鈍感で、なんか軍事工場を経営しているのかな、言ってみると誰かの命の上に立って豊かさを享受している立場なんでしょう。それは見るからに裕福な眞人もそうで。それが罪かと言われたら罪なわけじゃないですか。
生きているだけで誰かを傷つけるし、傷つく。そのことへの救済が、「キリコさんやヒミやアオサギみたいな友達を作る」って、シンプルにいいなと思いました。クソみたいな世界で、自分をわかってくれる人を見つけること、それが一つの生きる意義なのかな。そしてどこかにそんな人がいるのだと信じて日々生きること自体が希望なのかな。そんな風に感じました。
アオサギを「友達」と自分が思えば友達なんだというところがよかったです。アオサギは途中で「お前は友達でも仲間でもない」と言ってたじゃないですか。その言葉に従うこともできたと思うんです、自分の気持ちを他人任せにしていれば。
「僕たちって友達?」って聞かず、自分の意志で友達だと言い切ったところに、強さとか希望みたいなものを感じました。
私はというと、相手の反応で自分の評価を決めがちなところがあって。「なんか挨拶してくれなかったけど私はどうでもいい人間なのかな」とかすぐ気にして。その割には万人に好かれたくて、結局誰とも仲良くなれないんですけど。そのことについて、自分の「わかってほしい」「わかってくれるわけない」という気持ちがよく渦巻いているんです。わかってもらえることを諦めたら楽になれるだろうなと思うんです。でもその気持ちが捨てきれないから苦しい。小さいころから、あんまり多くの人と打ち解けたりできなくて、何かと変な対応をしては「変わってる」と言われたりしているんですが。
でも最近「誰かには少しわかってもらえるかもしれない、一緒の気持ちを共有できるかもしれない」と思えることがあったんです。それで、傷つくかもしれないけど、腹をくくって傷つく人生に踏み出して自分の世界を出していけるといいなと思っていたんです。
その自分の心の動きが「友達をつくる」という眞人の答えと重なって、私は心が動くシーンでしたね。
その、例えば傷つけてくる学校のほかの生徒たちと仲良くする、とかいう学校的な答えじゃないところがよかったですね。自分が大切にしたい人たちはもう自分でわかっているし、みんなじゃなくていい。そんなことに希望めいたものを感じたのでした。
ナツコさんが塔へ向かったのは、傷つかない世界に行きたいために、心に導かれたのかなと私は思ったんです。ナツコさんって、この人も無神経だなと最初私は思ったんです。会っていきなり腹を触らせて、あなたの弟(妹?)ができるのよって、ちょっと距離の詰め方急じゃないですかね。それは新しいお母さんなんて受け入れがたいじゃないですか。眞人は賢そうな子ですから、この人はお父さんの好きな人で、丁寧に接しないといけないとは思っているんですよね。でもお母さん、大切なお母さんの代わりなんてとんでもない、そんな感じで淡々と接するんですよね。
ナツコさんが塔の中の世界で、「あなたなんて大嫌い」と涙を流して眞人に言うじゃないですか。やっぱり、自分を好きじゃなさそうな眞人の態度に傷ついていたんだという感じがして、印象的でした。
彼女は大らかで明るくて、優しい人だったのかもしれない。眞人のことを気にかけていたし、本当に心を砕いて心配していたんだろう。家族になるのを楽しみにしていたし、受け入れてもらえるか不安もあっただろう。そんな態度を見せなかっただけに、抑えられていた気持ちがあふれた感じに胸を打たれるものがありました。私自身表面的にナツコさんを見ていたのかも、と思いました。
そこで「ナツコお母さん」と呼びかけるのは急な気もしましたが、眞人は眞人でナツコさんを受け入れる、心を開く用意はあったのかもしれません。
そんなこんなで、かなりまとまりがないですが、いろいろと「?」が頭に浮かんできながらも目が離せなく、心に残る良い映画体験になりました。
私なりに、話の中で心の動きや哲学も感じ、いろいろ解釈もしたくなるのですが、考えず画面を見て美術とかを体感するだけでも楽しめるような映画でした。最初の火事のシーンからもう常人じゃない演出の力を感じ、一気に画面に持っていかれた気がします。随所に天才的な、なんだろうな、構図であったり演出であったり、そういうのを感じて、ちょっと現代アート?インスタレーション?そんな感じの確かな技術に裏打ちされた説得力と、わけのわからなさを同時に体感でき、それがなんかもうよかったです(?)
前回「深夜特急」の感想もそうですが、誰かの感想を読んで自分の感想を上書きしてしまう前にどこかにアウトプットしたい欲望が沸き、書き散らした次第です。多少満足できました。ここまで読んでいただきありがとうございました。