新選組を訪ねて京都2022③ - 華のおんなソロ旅
このたび、NHKオンデマンドの視聴をしばらくお休みすることにした。今、世間を騒がせている歌舞伎役者の事件への対応で、彼の出演作品の配信が止まったことへのささやかな抗議である。彼が武田信玄公を演じた大河ドラマ「風林火山」は出ずっぱりだからまだしも、「龍馬伝」「鎌倉殿の13人」までとばっちりとは。いずれも評価の高い作品ばかりで、特に「鎌倉殿」は、放映時から大河人気の復調を感じさせる盛り上がりだったのに、残念である。また、ブツ切りの総集編だけの配信にされてしまうのかな。 私の「ソロ旅」でも、聖地巡礼編では必ず大河で予習をしているのに、全く不便になってしまった。そもそも「皆様の受信料」で制作しているのだから、成果を公開するのは義務ではなかろうか。配信し続ければクレームもあるだろうが、そこは、このような役者を起用した不明についてひたすらお詫びすることに甘んじていただきたい。それでなければ視聴者も、これらの作品の制作に関わった多くの方々も浮かばれないであろう。
さて、前置きが長くなってしまったが、新選組を訪ねた京都旅の最終日は、地下鉄で京都市役所前に向かうところから始まる。このあたりから、今後の「坂本龍馬を訪ねる旅」と重なってくることになるが、まあ、当然のことだ。
ホテルオークラの裏通りに入ると、おお、これがあの高瀬川。細い川である。佐久間象山、大村益次郎が賊に襲われた場所の石碑が立っている。幕末にあって極めつけの自由人の佐久間と、これまた堅物の極みの大村の碑が、同じところにあるとは興味深い。藩屋敷の先の端に位置し、ちょうど死角にあたるところだったんですね。道路向かいに目を転じれば「京料理旅館幾松」の跡。あの桂小五郎(木戸孝允)が、妻になる幾松と過ごした屋敷跡を料亭にしたところで有名だが、コロナ禍の影響で2020年に閉店したとか。料亭内には桂をかくまうための仕掛けがいろいろあったそうで、もう少し早く訪ねてみたかった。高瀬川の端まで来たので鴨川までそぞろ歩き、二条大橋を眺める。
同じ道を引き返してきて、次に向かったのが市役所付近の「本能寺」。幕末とどう関係するのかと言われると困るけど(笑)、歴史好きだったらそそられませんか ? 織田信長とともに焼け落ちたことはみんな知っているので、再興だろうけれどどんな寺になっているのか気になった。ところがスマホを片手に歩くのだけど、行けども行けども着かない。ナビを利用するときのスマホの持ち方には気を付けないと、ときどきとんでもないところに連れていかれたりするので要注意である。好天で暑いくらいの中、そろそろ疲れが出てきたのか足も重く。先の予定もあるのでもういいか、とあきらめかけてアーケード街を歩いていたら、端の方にさりげなくありました。信長の供養塔には、刀が収められているという。墓こそないが、宝物もいろいろあるというので、戦国時代をテーマにした旅のときに再訪するかも。
その後、三条大橋の付近にある「池田屋跡」へ。当時がわかるものは何もなく、ただ記念碑のみ。新選組が一躍名をあげた池田屋事件の跡地。ここにこそ、何か残っていてほしかったのだが。
いったん、JR京都駅に戻ってきて、改めてバスで今日のメインの訪問場所、「霊山(りょうぜん)歴史館」へ。幕末好きの聖地、楽しみにしてきました。維新の志士たちが眠る「旧霊山官修墳墓」や霊山歴史館に向かう「維新の道」はちょっとした坂道で登ると少し汗をかく。左手には、豊臣秀吉の妻、北政所ねねが眠る高台寺がある。左手には桂小五郎や久坂玄瑞らが会合をした屋敷の跡「翠紅館跡」が見える。 坂を登り切ってまず先にお墓参り。拝観料300円を払って拝観口から入っていくと、長い長い階段がある。登り切ったところで、木戸孝允の墓に向かう道と坂本龍馬の墓に向かう道に分かれる。この広い敷地の一番上に位置するのが木戸の墓であるが、時間もあるので登ってみることにした。 ここには実に1356人もの志士たちが眠っているというだけあって、広大さは随一である。池田屋事件の際に新選組に討たれた志士、宮部鼎蔵、望月亀弥太、吉田稔麿、古高俊太郎の名も並ぶ。それぞれの出身地別なのであろうか、「山口招魂社」では禁門の変で命を落とした久坂玄瑞、来島又兵衛、入江九一、寺島忠三郎の墓が並び、その横にはあの高杉晋作の墓もあった。 木戸の墓には、登れど登れど着かない。だんだん道が悪くなり手すりもなくなって、少々かかとの高い靴を履いてきたので止めておこうかと思ったが、せっかくここまで来たので頑張ることにした。というのはまず、再訪はないだろうと考えたからである。西郷隆盛、大久保利通と並んで木戸孝允は「維新三傑」と言われているようだが、私はこの男が好きではない。司馬遼太郎には「逃げの小五郎」と短編で揶揄されたが、名前を変えて逃げまくり、強運だと言えばそれまでだが、結核とはいえ畳の上で死ねている。剣客と言われながらも一度も人を斬ったことがない(もちろん現代では悪いことではないけど)。岩倉使節団で外遊しても、気に入らないことがあると一人だけプイっと帰国したりする。近くにいるといささか面倒な人かも。先日、大河ドラマ「翔ぶが如く」を観ていたらちょうど木戸(田中健)の最期の場面で「私が死んだら志士たちの眠る東山の上に葬ってくれ」などと言っていて、こんな遺言をされたら言う通りにするしかないわよね、と冷めた目で観ていた。墳墓の一番高台にある立派な墓はたしかに京の街を見下ろすところにあり、なぜか隣には妻の幾松のこれも立派な墓が寄り添うように立っている。志士たちを支えた女性たちは大勢いるのに、これもなんだか釈然としない。ちなみに大河ドラマで木戸を演じた役者はたくさんおり、「翔ぶが如く」の田中健はぴったりだと思うが、「新選組!」では石黒賢、「八重の桜」では及川光博、「西郷どん」では玉山鉄二。だんだん小粒になってきているものの、残っている木戸の写真通りのイケメン路線である。ただ、同じイケメンでも土方歳三の生き方とはすいぶんと違うと思う。
足元に気を付けながら降りてきて、今度は坂本龍馬、中岡慎太郎の墓参りである。ここかな、と迷っていたら、社務所の方だろうか、初老の女性が花束を置いていって「坂本さんです。拝んであげてください」と言う。私はいつもは著名人の墓の前でも特別なことはしないのだが、そう言われたらと一礼。あなたが望んだ「新しい日本の世」は今こんな具合です。「今一度、せんたくが必要」でしょうかね。すぐ近くには、共に倒れた盟友、中岡慎太郎とともに京の街を望む銅像が立っている。よく、京都の歴史旅などで紹介されるものだが、意外と小ぶりであった。
さて、墳墓を出るとすぐにあるのが幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」である。ここでは、坂本龍馬を斬ったという刀の陰に、さりげなく土方歳三、近藤勇の所用刀なども展示されている。圧巻なのが、近江屋で坂本龍馬が殺された場面や池田屋事件を再現した模型。龍馬の等身大の模型は生々しい質感で迫ってくる。身長172センチと言えば、当時はかなり長身だったのだろう。また、機会があれば何度か訪れたいところである。
これで今回の京都旅の目的をすべて終えた。京都駅に帰ってきて、今夜の夕食の算段。「食への飽くなき情熱」の持ち主の私だがあまり京料理には関心がなく、この旅の食はいささか貧弱だった。最後の夜は「全国旅行支援」の地域クーポンの使用に困ったので、デパ地下で高級弁当を買うことにした。さすがは大都市、デパ地下も充実である。私と同じ状況の人も多いのか、高級料亭の弁当がバンバン売れていた。
翌日、心地よい疲労感とともに、京都を後にする。ちょっと敷居の高い地域と思い行く機会があっても敬遠してきたが、幕末に目覚めたおかげで、この古都に親しみを持つことができた。伏見エリアがまだ残っているので、また近いうちに訪れたい。
新選組を訪ねる旅、次は東京都日野市に土方さんを訪ねます。