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「ブラタモリ」とnoteと私

山根あきらさんのこちらの募集要項をを見てタモリストのはしくれとしては何か書こうと思ってはみたのですがエッセイも小説も論文も無理でした。(笑)したがって応募ではありません。

かわりに以前から溜め込んでいた「ブラタモリ」を見て造った短歌をいくつか紹介させてください。
ヘッダーはタモさんが好きな「中央構造線」が判る四国と紀伊半島の写真です。


ちょうどnoteにやってきたころ時を同じくして短歌や俳句も始めてました。
でもなかなかオリジナリティのあるものは作れず曲からフレーズをパクったりしてただの字数合わせに近い事だけをやっていたように思います。
今は「曲から一句」などでも少しはまともなものが作れている気はするのですが果たしてどうなんでしょうね?
今回記事にしているのも同様で「ブラタモリ」を見て感動したこと、知ったことを感想を書く代わりに短歌にしたというところです。
いくつかは以前に記事にしたものと重複しますが「あらためてのまとめ」ということでお許しください。
ちなみにブラタモリは東京周辺のみの時代から全話見ていると思います。
ではどうぞ。


南洋の珊瑚が旅して2億年君のいのちは街へと変わる

秩父・長瀞の回で放送された内容です。
サンゴ礁が数億年かかって変化した石灰岩(セメント)が無ければ近代都市はあり得ないということです。
私たちは珊瑚の命の中で生きているのです。

この人のありて日本の音楽は世界に誇る「山葉寅楠」

明治になってアメリカから輸入した一台のオルガンが故障、それを修理しのちに国産ピアノ開発した元医療機器技術者のこの人がいなければ今の日本の音楽は違ったものになっていたと思います。
名前を見ればどの企業だかは判りますよね?

少年の運命を知りて花捨つる南蛮柿に羅馬ローマの記憶

南蛮柿とは「イチジク(無花果)」のことです。
遣欧少年使節がローマから持ち帰ったとされています。のちにキリシタンは弾圧されとくにその一人私の故郷大村から派遣された中浦ジュリアンは壮絶な最期を遂げます。

トンネルが海を越えたるその日までレール繋し連絡船よ

青函連絡船の話です。青函連絡船には鉄道貨物を積むためのレールが中にあり海底トンネルが出来て北海道と鉄道が繋がったその日まで実際に北海道と本州の間の物資を運んでいました。
トンネルが出来るずっと前から鉄道は繋がっていたということです。

下北の極楽浄土にたたずみて湖面に浮かぶバカボンのパパ

青森恐山の回でタモリさんは「もう一度会いたい人は?」と尋ねられしばらく考え込んでおられました。
あくまでも想像でしかありませんがわたしはひょっとして赤塚不二夫先生かな?と思いました。

同行二人ここぞ中央構造線第九生まれし巡礼の道

徳島県の鳴門は淡路島を渡る二つの橋が出来るはるか以前から四国の入り口の街でした。
そして中央構造線沿いの水はけのよい一直線の街道は四国巡礼の始まりの道でもあります。
お遍路さんを見守る文化が第一次大戦下、捕虜としてやってきたドイツ兵たちを温かく迎えました。そのお礼に兵たちが日本で最初に演奏したのがベートーベンの「第九」です。

銀座じゃん!お江戸のメインストリートそこは越後屋今もにぎわう

コロナでなかなかロケが出来なかった浅野里香さんが江戸城関連の場所をめぐる2階建てバスでのロケで思わず発した一言「銀座じゃん!」。時代劇によく出てくる越後屋は今の三井三越グループです。

関門に働き挑んだシールドは今なお旅を守りて眠る

戦時中に工事が開始された関門海底トンネル。あの硬い花崗岩が「真砂化まさか」した軟らかい地盤という難関のなか日本で初めて採用されたシールド工法。(トンネルを掘りながら丸い鉄板の筒状のシールドも同時に進める工法)
トンネル工事を守り続けたシールドはそのまま残され今もトンネルの真ん中で埋まったまま旅や物資輸送を守り続けています。


キリがないのでこれぐらいにしておきます。

そのほかの作品はこちらに格納しています。

そういえば曲もこちらを書いています。

🎵 女神(ブラタモリオープニングバージョン)

作詞・作曲  井上陽水
コーラス編曲 みすてぃ
歌      Sagittaria Torifolia Choir



ただいま「ポラリス歌おう」企画としてこちらの曲も歌を募集中です。
記事をご参考に唄ってみて下さい。年末に第九を歌ってみませんか?

こちらの楽曲化もお願いしていましたが昨日TwIさんが作曲いただきました。この曲の仕上げも含めて他の方の作曲もお待ちしています。



ではまた。

みなさんにいいことがありますように。



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