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(24)2018年 西教寺

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.24

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 この寺をはじめて訪れたのは結局の年の十二月の初めになってしまった。高速ICの近くで琴平岳の岩体が出張ってきている突端の北側斜面のすぐ下にある。それに黒木の萱瀬ダムを通り佐賀の鹿島に繋がる「しあわせ街道」の起点に当たる信号の角でもありまさに萱瀬の入口と言って良い。この信号にあるバス停は坂口だが寺の住所としては荒瀬町らしい。またこの信号から北に延びる橋を超えたあたりから郡川は北へ方向を変えている。
 この橋から見る限り河原に転がっているのは何処にでも川の中流域で見られる大きめの丸い白っぽい石だ。黒っぽい火成岩がそのまま流れて来た様なものは少ない。おそらくさらに上流部で一度堆積したものが扇状地の始まりで再度荷物を降ろしたのだろう。ならば色の件も理由が付く。浸食された元の岩が安山岩や玄武岩だったとしても削られた段階で黒雲母や鉄の成分は水と一緒にさらに下流まで流れてしまう。中流域には色が白い比較的大きな粒子が堆積することが多いのだ。空港近くや列車から松原方面の海岸部に転がる石も見たがこちらは一転して黒い石が多かった。川に運ばれてきたのか湾内に露出する岩盤が海成で削られた結果なのかは今の私の範疇ではない。
 毎回のように話が飛んでしまう。一つ何か興味を引っ張られるとそっちに行ってしまうのが「私の悪い癖」だ。
 さて寺のことだが外観で見た限り敷地も広く立派な寺である。車も寺の中まで入れる。国道の反対側には地元の直売所もありこれならお参りする人もここへ来てからお供えや花を買える。道路に沿って高い塀もあるがいくつもの背の高い墓碑が外からも見えている。墓地も広そうだし真ん中に見える本堂らしき建物もかなりの規模だ。一度訪れた本経寺とはまた違う趣である。あちらは住宅街に在りながらも林に囲まれた静寂な雰囲気で大村家や家臣の墓所もあったりして重厚な感じもあったがこちらは見るからに「開かれた寺」というイメージである。真宗の寺ならその多くがそうなのだがこの寺はそれにも増して「ご自由にどうぞ」の感覚が強く漂っている。
 失礼ながらメインの門から入らせていただいた。「なんだこのBGMは、オルガンの讃美歌ではないか。やはりキリシタンと何か。」と思った矢先に声をかけられた。
「電話頂い取った来見さんやね、田中です。はじめまして。」
「こちらこそ初めまして、よろしくお願いします。」
 住職だ。なんとも気さくな方の様だ。ほっとした。既に下調べしてお顔は存じ上げていた。広報誌や地元ローカルテレビにもちょくちょく出て居られる。パッと見た目の印象はというとプレバトの水彩画の先生と風体が良く似ている。
「かみさんから聞いて県の観光課の人が来るっつうから、大々的に宣伝してくれるんかと思うたらなんや、趣味でいろいろ調べとんやて。オダギリジョーみたいやね。」
 いきなりのオチかい。ただ私のやっていることを説明するためには役所相手ならまだしも一般の方には趣味としか言いようが無いのだ。本格的に事情を話すとなると折角ここまで読んでいただいた読者の方にもう一度途中からの話を全部聞かせることになってしまう。そして音楽の記号のようにここまできてまた戻る。無限ループにハマってしまう。まるで桂枝雀の「地獄八景亡者の戯れ」ではないか。閻魔様に一芸をやるものは極楽行きと言われ「落語をやります。得意は地獄八景亡者の戯れ」と名乗り出て閻魔様にツッコまれるのだ。「あんた、そのネタ始めたらここまで来たらまた戻らなあかん様になるがな。三十分以上かかるし、永遠に終わらへんで。」と。
 また話がそれたが敷地内をちょっと見せてもらった後、中に案内された。
「まあ、上がって上がって、外からはともかく中はリフォーム仕たてやけん、どうぞどうぞ。」
 本堂の中も拝見した。何とも立派な阿弥陀像だ。内装も仏様も金箔で光っている。「一体いくらかかってるんだ。」と下世話な想像をしてしまった。
「ここでゆっくりせんね。今日はそんな寒うもなかけん。」
 通されたのは庭に面したテラスだ。外から思っていたより崖が近い。
「いい崖やろ。時々大雨が来たら小さい石ころが崩れたりはするけどね。でもここの崖をバックにバーベキューやらジャズライブやらしょっちゅうやっとんのよ。あんたも遊びに来たらよか。」
 ここへ来たら聞こうとしていたもろもろの話がいっぺんに吹っ飛んだ。かなり手入れされた庭である。崖面にもあとから植えたような庭木もある。地元の人だけで楽しんでいるのは勿体無い程の景観なのだ。上の方には一枚岩のようなおそらく玄武岩の塊が縦長に陣取っている。外からは想像もつかなかった圧倒さでもあり少し優しさも感じる庭風景なのだ。研究端一本だったせいもあり一佐ほどではないが人付き合いも苦手な私だ。だがその私がここに座っているだけで妙に心が落ち着く。住職に対してもそうだ。初対面なのに以前からもずっと知り合いだったような親近感を感じる。職業柄だけではない、彼のテンポのある唐突なしゃべり方とその対照的な笑顔がそうさせているのだろう。独特な関西弁交じりの大村弁もその要素の一つだ。
 だがこれだけは尋ねた。
「さっき、讃美歌が流れてましたよね。」
「ああ、あれね。あんたが来るっつうからたまたまラジオで流れとって、長崎らしゅうてええかと思てそのまま流しとっただけたい。あんまり意味はなか。」
 そうなんかい。深読みして損をした。
「名前はとざむ君、やったね。客間やなしにここへ通した以上は年が離れとってももう友達やけん。そのうち俺の性格からしたら呼び捨てにすっと思うけど許してくれんね。」
「逆に恐縮します。有難うございます。大村に住むようになって未だ浅いもので知り合いが出来て嬉しいです。」
「大村の事って言われてもねえ。力になれるかどうか、純忠に焼き討ちされたことは知っとるやろ。そやからそれより前のことは何も判らんったい。教育委員会も苦労しとるみたいや。」
「そや、ちょっと前に奈良の人からいきなり電話があってね。母親が亡くなってどうしたらいいかって相談の電話やったんや。確かに菩提はうちなんや。俺も親父が引退してあと継いだんやけどもこの墓は何処の人やろ、毎年の供養料もほったらかしやし、もともとは西海やったんやけども誰も居らんようになったから墓を移したってとこまでは聞いとったんやけどね。」
「ほいで、金もあまり無いから葬儀屋さんと相談してとりあえず寺は呼ばずに家族葬にしたって言うんや。まあ結果それで良かったんやけどね。寺を呼ぶんなら俺が出張して行かなあかんとこたい。この頃は田舎に菩提があっても誰も住んどらんケースが多くなっとってね。下手な葬儀屋にかかったら結局葬式代が二重にかかったって言うトラブルもあるんや。んでその連絡くれた息子さんにはね、お骨にして四十九日にこだわらんでもいいから来れるときに納骨に来て、そん時に本葬も兼ねりゃよか。って言うてあげたんや。後から判ったんやけどね、もともと萱瀬がお母さんの里でその弟さんがうちの総代を永いことしよった人で俺もよう知っとるんや。その縁でうちに墓を移したらしか。」
 他人事ではなかった。私の家も墓は祖父母の実家の近くだ。縁は繋いでおかねばならない。それだけは実感した。おそらくその息子さんもこの住職には感謝以外の何物もないだろう。そして同じ様に親近感を覚えたに違いない。この話だけでもこの住職の人柄が十分うかがえる。はたして私とこの方の出会いは「偶然」なのか、とにかく会っていて心地よい人物と巡り合えた。
「らいみとざむー。やったね。」
 って、ほんといきなり、それもフルネームかよ。
「どんな感じか一度声に出して呼んでみたんや。やっぱり次のライブであんたの名前も演奏してもらわなあかんね。」
 鋭い、今までそんなこと冗談にも言われたことは無かった。ただ音楽には疎い私でもエヴァでその曲のことは知っていた。カフェでかかったりしても曲だけならいいが歌詞を耳にすると背中からおしりにかけてがムズムズして落ち着かない。空耳アワーかよ。
 この後も季節ごとぐらいのペースで何度も訪れたのだが残念ながらそのジャズライブには一度も顔を出したことがないままだった。



(続く)




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