(序章・完)2022年 病棟談話室
小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章・完
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「もうこの状態で一年です。検査でとくに新たな異常はありませんがいつになるか判りませんよ。」
まる子の担任のような丁寧な口調で医師は話し出した。
「ずっとあなたしかお見掛けしませんが、彼にはそれ以外に付き添うお身内はいらっしゃらないのですか。」
「彼に身内はいません。婚約者というか同居人の私だけです。」
「籍はもちろん入れてらっしゃらないのでしょう。そのことで手続き的なことをとやかく言うつもりはありません。事情は院長含めここのスタッフ全員が理解しています。でもこの状況です。医者が心配することではありませんが、あなたご自身のこれからのことも考えられてはいかがかと思っています。」
「まだまだお若いのですから。彼のことは病院が責任を持って今後も対応を続けます。上司の方からもそう言われておりますし。どっちみち御家族がいらっしゃらないということで心肺装置も外せませんからこのままこの病院でずっと見守ることになります。」
「ありがとうございます。でも私個人の心配には及びません。せめて、あと十五年は待たせてください。」
「ずいぶん先の話ですねえ。そんな筈ないとは思いますが何か根拠か確信でもお有りですか。」
「何もありません。でも最低でも十五年は待ちたいのです。その時になって彼が目覚めるのか、そのまま居なくなってしまうのかは不安のままです。でもとにかく待つことに決めました。」
「そうですか。ならばあまりご無理なさらないように。何かあればこちらから連絡を入れますので。」
彼女には確証はなかったが確信があった。望む結果か、あって欲しくない結果かは別にして。十五年待てば何かあると。
二週間ほど前、住職に呼び出されていた。
「文さん、なんとかやっとるね。よかったよかった元気そうやね。ところでえらいもん見つけてしもた。いつでんよかけんとにかく来て。」
だいたいの話はこうだ。
二か月ほど前、大分からの来客があり父親が亡くなったという。ちゃんと菩提寺も大分にあるのだが何やら先祖の地が大村の萱瀬だったのでこの際きっちりしておきたいので調べてほしいとのこと。
住職が言うには
「残っとる過去帳やら文献やらひっくり返して広げとったったい。ほんでその方の先祖の記録はきっちりあったんやけどね。その先よ問題は。純忠公の終焉のはなしと一緒に変な一行を見つけたんや。まるで一時流行ったダビンチ・コードや。ピンと来て、まさかとは思うたけれどもひょっとしてあり得るかも知れんて考えたら電話せんとおられんやった。そやけど紙の記録てすごいもんやね。パソコンのデータやったら使うとった人が居らんようになったら終わりやもん。まあ今回のこともあん大分の人が来んかったら見つけとらんけどね。でも残っとったんは事実やから。普段から阿弥陀様のお導きっ、て言うとるけど長い人生で初めてよ。こんなことホントにあるんやね。それに大丈夫大丈夫、教育委員会にもどこにも言うとらん。知っとるのはうちのかみさんぐらいや。純忠公が隣で亡くなったことも宝生寺から本経寺に移されたことも周知のことやもん。報告する必要はなか。見せたところで意味が通っとらんもん。あんたたち二人のことを知らんかったらこん言葉の意味は永遠に解読不能たい。」
彼女がその後すぐに資料を調べ始めたことは言うまでもない。もちろんハイツの部屋の壁を埋め尽くしたあの書棚である。彼が事故に遭った現場からして「三城籠り」が絡んでいることはその直観力と直感力から容易に推測できた。
十三六文にて大村は未来永劫なり 南無阿弥陀仏
(序章・完)
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