見出し画像

(18)2021年 点と線

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.18

これまで、これからの各話のマガジンはこちらから



 こないだの「一国二城」の話が気になってもう少し調べていた。この後に起こる「私の事件」を考えれば少し功を奏したとということにはなるのだが、この時はそんなこと予測できた筈も無い。
 一国二城ではなくとも複数拠点を持つ地域、それも港を軸に発展したとみられるエリアに目を向けてみた。それが大村が江戸年間も町を維持してきた理由を探る参考になるとも考えていた。
 水運と言えば当然瀬戸内海が気になる。広島には呉という軍港もある。また伊予は大村家が平安時代国司だったという説もあるし大村家の祖は藤原純友という説もある。となれば村上水軍との関連も連想できる。今は「村上海賊」と呼ぶのが一般的らしいがそもそもの始まりは伊予、瀬戸内の島々の漁民たちが朝廷からこの辺りの産物である塩運搬の水先案内と護衛を命じられたことからである。後々も「海賊」とは言っても瀬戸内を通行する船から複雑な潮の流れのある航路の案内と護衛の目的で通行料を徴収していたというのが正業らしい。時には瀬戸内各地での合戦や本願寺合戦、大坂の陣などに水軍として出陣はしているが平常時はまっとうな商売人集団だったのだ。偉そうに言っているがこれもブラタモリの村上海賊の回での知識だ。そのとおり専門分野は別にして歴史や地質学など大半の畑違いの情報はNHKの教養番組からのものが結構ある。サイエンスゼロやヘウレーカもそうだ。ただ地理に関しては専門と無縁ではないので理解できるし子供のころからの地図好きでマニアと言っても良い。だからこそ飛行機は絶対窓際に陣取るのだ。あと理系番組は時には素粒子など物理学的な難解な話も多いがそれらは多少は勉強してきたおかげで一般の方よりは理解できる。
 瀬戸内海の話だがとにかく範囲も広いし歴史も長い。何から手を着けるべきかも判らない。後回しにした。ということで先ずは北陸、若狭辺りから始めた。若狭は一佐の出身地でもあるし厳密には若狭ではないが呉同様、舞鶴がやはり気になる。これもブラタモリの「一乗谷」からの知識だが朝倉は三国港を使って海外貿易をやっていた。それに江戸期には北前船の航路が出来、それが日本経済を支えたといっても良い。さすれば北陸から山陰にかけては水運の重要拠点になっていた筈なのだ。
 北陸と言えば「加賀百万石」ということにはなってしまうのだが、これまた分家も多く地理的も能登、富山まで広範囲になってしまう。ざっくりと見たところで興味をそそられる話も無かった。故にパスを決めた。舞鶴も探ってはみたが戦国末期に京極の分家が入領、京極が豊岡に移された後は譜代の牧野家が治めたとあるがその後の資料は殆ど無い。ましてや明治以降となると軍港ゆえに開示された情報はまず無い。
 隣の若狭はというと京極高次ということにはなるのだが、京極は室町中期には本来の所領北近江に加え山陰をも支配する守護大名だったが血縁の浅井に下剋上されたのを契機に一旦没落してしまう。京極の血縁で近江に残った佐々木大原が消えるのもこの時期で一致する。復活のキッカケは高次の叔母が秀吉の側室になったことだ。このことで高次は大名に返り咲き大津を居城としていた時期に関ヶ原へ向かう西軍を足止めした功績で若狭一国を得るのだ。京極高次と言えば浅井三姉妹の次女お初の嫁ぎ先でもある。婚姻は秀吉の妻ねね、後の高台院の意向とも言われているがもともと彼らは従兄妹同士の関係だ。長女が淀君、三女が家光の母、その従兄妹筋ということは京極は無視できない存在である。大村とのつながりを考えても近江佐々木の実質的な筆頭家なのだ。それと高台院ねねは関ヶ原で小早川秀秋を裏切らせた張本人でもある。
 京極本家は後に一度は出雲へ増石されるがそれは僅かな間に過ぎず結局播州龍野に、さらにすぐに四国丸亀へ移され江戸幕府の下では冷遇されたとも言えるし、それでも龍野も四国の入り口として鳴門や今治と並ぶ丸亀もいずれも重要拠点だという見方も出来る。畿内を譜代、親藩で固めるという政策もあって周辺に配置されたのだろうがネームバリューを考えれば龍野や丸亀の九万石という数字は微妙だ。
 播州龍野と言えば隣藩のあの事件も気にはなる。京極との関係がどうだったかは短期間過ぎて判らない。だが事件当時の城受け渡しをした脇坂家は譜代格で老中堀田家の血縁である。堀田家と言えば今度は別の女性の名前が浮かんでくる。そう、養子になった春日局の長男が家光に仕えたことから重要な幕臣となるのが堀田家だ。ましてや元夫の稲葉正成は小早川秀秋の家老、当然これ以降の堀田家は稲葉家の血筋ということになる。春日局のことはドラマで多くあるので敢えて話す程のことでもないが彼女は父親も明智光秀の家老で、父も夫も裏切りに加担したという宿命を背負っている。北陸の話からは離れはしたが私の知識からすれば「偶然は必然」なのだ。「宿命」とはそういうことかも知れない。歴史はあまり勉強して来なかった私だがこうやって何らかの事象が繋がると面白い。
 赤穂事件と言えば豊岡は京極の分家、更に分家となり峰山、宮津を分領とするが宮津は改易となり豊岡と丹後峰山二藩で幕末まで生き残る。実はこの豊岡藩筆頭家老の娘である石束(いしづか)理玖が後の大石りくなのだ。討ち入りを前に大石内蔵助と離縁し豊岡に里帰りした話は物語でも有名である。もっと見れば赤穂の本家筋である広島浅野家はねねが養女となった実家。それゆえ秀吉の出世とともに大きくなる。余談だがねねの旧姓も木下、これまた秀吉とは従兄妹に近い関係だったのかも知れない。戦国から江戸初期を生き抜いた二人の女性がかなり深く歴史に関わっているだけではなく様々な情報がハブを介して網の目、いや面のようにすら見えてくる。赤穂事件とて単なる仇討ちや三河吉良領との塩のシェアにまつわる確執だけで片付けて良いものか。
 自分が何を知りたいのだったか、大村のこととは随分離れてしまった。そう、あと肝心の越前福井である。一乗谷の朝倉が滅びた後中心は北の庄、現在の福井市街に移る。柴田勝家などが所領した後、江戸期になって信康亡き後の家康の長子だった結城秀康が入る。長子とは言っても側室の子ゆえ二代将軍には成れなかった。おそらく秀忠との確執もあった筈、史実的にも結城松平藩は親藩でありながら江戸とは距離を置いていたようだ。幕末の戦いでも山陰までの各藩を束ね倒幕に回っている。北陸、山陰で佐幕だったのは京極の後に若狭に入った酒井家ぐらいしか出てこない。それもそうだ焼き物や逸話で有名な出雲松平も越前結城松平の分家なのだ。戦国期に中国、山陰を支配し毛利と覇権を争った尼子氏も近江佐々木の傍系である。こう見ると古代日本からの出雲の地の重要性も見えてくる。邪馬台国にまで発展して来る話だ。まあ場所は大和の巻向で決まりだとは思うが興味があるのはどんな合議形態だったかということだ。古代にしてはかなり進んだネットワーク組織だったに違いない。そう考えれば大村のこととも無関係ではないのだ。実際のところ大村領で起こった数々の合戦の記録でも常套句の様に「援軍により」が散見される。家の分裂や家臣の裏切りが絶えない中、敢えて本城近くの身近な場所には主力部隊を置かず分散配置することで何度もの危機を乗り切ったとも言える。
 越前の話に戻るがここもまた城下とは別に三国の港を拠点として貿易、水運で発展したエリアである。当然城下と三国は川で繋がってもいる。水運には条件が整っているのだ。一乗谷時代からの遺産と言っても良い。仙台以上に鎖国を無視して海外と通じていたか可能性は高いかも知れない。それも親藩筆頭格である。無理も隠せたかも知れない、そう感じた。
 越前の支藩には隣の丸岡もある。松平家は初期に途絶えるがその後には有馬が入って来る。これも平たく言えば何かの縁である。「縁」と言ってしまえばそれまでだがそれぞれの歴史的事象は私の専門分野の用語的にはノード(ポイント)であり、それらを繋ぐ「縁」とはエッジ(リンク)に他ならない。言い換えれば歴史とは点と線とで構成されたネットワークそのものなのだ。


(続く)



🔺
🔻


全話のマガジンはこちら


いいなと思ったら応援しよう!