僕が麻雀プロになった経緯

最初に

みなさん初めまして。

日本プロ麻雀連盟36期関西本部所属黒羽翔(くろば かける)です。僕は、2019年8月に行われたプロテストを受験し、2020年4月からプロ活動をしています。

http://www.ma-jan.or.jp

普段はマーチャオ京都駅前店というマージャン店でアルバイトという形で勤務をしながら、プロとしてリーグ戦やタイトル戦に出たり、アーティストとしてライブに出演したりしています。(ここらへんの話はまた別の機会に詳しくします)

麻雀を知ったきっかけ

僕の家では、僕以外に麻雀というゲームをする人がいませんでした。当時は母子家庭で、そのようなゲームに触れる機会のある人が居なかったというのが一番大きかったのかなと思ったりはしています。

僕が初めて麻雀というゲームを知ったのは、小学校6年生の時でした。たまたまその時見ていたアニメでほんの十数秒ですが麻雀をしているシーンが流れ、「あのゲームは何だ!?」と気になったのが始まりです。当時好奇心旺盛で気になったことは調べないと気が済まない性格で、即座に家のパソコンで検索しました。そして、その時に出てきたのが女流モンド21杯でした。華やかな女性たちが麻雀卓という1つのテーブルを囲み、真剣勝負をしているその姿勢に釘付けになり、「自分もこの人たちのようなことをしてみたい」と思い、これが麻雀を始めるきっかけとなりました。

麻雀を覚える・打つ

麻雀を始めてみようと思い、僕が1番最初にしたことはネットで麻雀のルールや役を調べながら、フラッシュの麻雀ゲームで実践するというものでした。フラッシュのゲームであれば、現在のオンライン麻雀とは違い対人ではないですし、思考時間の制限もありません。そのため、調べながらじっくり打てるという利点があり、初心者の僕には最適でした。

ですが、いつまでもコンピューター相手に打っていては、麻雀というゲームの楽しさには気付けませんし、無機質な相手に段々と飽きてきます。実際、僕もその1人でした。そこで当時中学1年生だった僕は、実際に麻雀牌を使って麻雀が打てる場所を探すことにしました。その結果、当時住んでいた滋賀県近江八幡市から電車で20分ぐらいの南草津という駅の前にある、わくわく健康まーじゃん教室を発見しました。そこでは、老若男女問わず、脳の体操健康コミュニケーションを目的として多くの人が集まっていました。フリー雀荘とは違い、賭けない・飲まない・吸わないをモットーとしているため、未成年でも入れるノーレートフリーのお店という感覚ですね。

僕はすぐその教室に連絡を入れ、週末の初心者向け教室に遊びに行ってみることにしました。今考えたら中学生で知らない大人たちを相手に打つのですから、相当な自信や気持ちがないと無理なことかもしれませんね…。

そして、実際に週末に教室に行ってみると、初心者ばっかりだから自分と同じ程度のレベルの人と打てるということがすごく嬉しかったのを覚えています。打牌に困ったら後ろから先生が教えてくれたり、点数計算がわからなかったら先生が言ってくれたりと、結構親切にしていただいた記憶があります。今思えば、あの教室があったから僕はここまで麻雀に没頭できたのかもしれませんね…そう思うと感謝でしかないです。

ちなみにですが、この南草津教室は5年ほど前に閉校してしまったそうです。現在は、隣の草津駅から徒歩10分ぐらいの草津市役所の裏手にある自動卓配置の教室と、京都府山科駅前にあるラクト山科の会議室を借りて手積みの麻雀卓を使用した教室をしているそうです。気になった方は是非行ってみてください。講師は僕の先輩にあたる元日本プロ麻雀連盟の方がされています。

打つ場所を広げる

高校卒業までその健康麻雀教室に通っていましたが、大学生になり自由に使える時間の減少とともに、教室からは足が遠のきます。その代わり、僕は所属してた京都文教大学にある麻雀サークル(健康麻雀愛好会「縁」)に頻繁に通うようになりました。このサークル、過去には青雀旗という学生麻雀大会での優勝者が在籍していたというサークルだそうです…実は連盟関西本部同期の森光平プロだったりします。

僕はそのサークルで、卒業するまでの4年間、学業や他のサークルと並行しながら麻雀を続けていきます。学生の間にしか出れない青雀旗杯関西麻雀学生連盟(学雀連)主催新進気鋭という近畿大学対抗の配信戦に出場させてもらったりします。結果は聞かないでください。辛いです。そのほかにも、関西学雀連主催の麻雀合宿や、高校まで通っていた麻雀教室からの推薦で中国麻雀の全国大会健康麻雀教室対抗戦にも出たりします。いっぱい大会に出ました。結果は聞かないでください。胸が痛いです。

卒業と挫折

ここまでずっと麻雀のことを熱く語ってきましたが、実は大学在学時代は麻雀プロになるなんて思ってもいませんでした。というのも、在学時代は臨床心理学科に所属してたこともあり、心理カウンセラーを目指していました。自分が同性愛者ということもあり、人の心に寄り添える仕事に就きたいと思っていたからです。ですが、カウンセラーになるには道のりが厳しく、大学を卒業後に大学院に入り、大学院を卒業した後も臨床心理士の認定試験を受けないといけないという試験地獄のような道のりでした。

僕は、9月(前期受験)と3月(後期受験)に行われた大学院受験に両方とも落選します。しっかり勉強してきたはずなんだけどなぁ…倍率9倍の壁は高かったですね。大学院だけしかみていなかった僕は、1年間ずっと勉強をしてたためもちろん就活なんかしているはずもなく、卒業と同時にフリーターという立場に強制的になります。もうこの時点でカウンセラーは挫折し、他の道を探し始めます。当時は周囲から「大学まで出たのに勿体ない」という意見をたくさんもらいましたが、自分としては挫折してもう諦めているわけですから聞く耳持たずです。

そして、在学中に色彩検定を取得していたことと趣味でネイルをしていたことから、ネイリストになろうという目標を持ちます。ユーキャンの資格講座を受講したりしますが、7月に行われたネイリスト検定は不合格でした。しっかり麻雀しながら勉強していたはずなんだけどなぁ…。余談ですが、この時の検定のモデルは彼氏の志優さんにしてもらいました。ありがとうございます。

プロテストを受ける

さっきのネイリスト検定と並行にはなりますが、6月の序盤にマーチャオ京都駅前店のアルバイト面接に応募し、働くことになります。そろそろバイトでもなんでもいいから仕事をしないといけないと焦っていた時期なので、とりあえずバイトをしてネイリスト検定が受かったらネイリストを本職にしよう程度に考えていました、結局は麻雀が本職になります。人生思惑通りには行かない。

そして、マーチャオでバイトをしながら、8月の日本プロ麻雀連盟のプロテストに応募します。募集が開始されてすぐに書類を送ったような記憶があります。どの受験よりも一番行動が早かった…なんで?とにかく、書類選考が通り、筆記試験実技試験が来ます。支部にもよりますが、関西本部では筆記と実技を1日で行う日程でした。朝が早かったため前日の夜に前乗りして近くのホテルで1泊しました。これも余談ですが、前日に自宅に友人を招いてホームパーティをしたのですが、片付けを彼氏の志優さんに押し付けて出てきました。しゆくんありがとう。

筆記試験と実技試験が終わり、結果を待つだけとなりました。受験人数や地方リーグの人数調整によりますが、僕が受けた時は当日発表ではなく、後日郵送での発表という形になりました。1番ドキドキするやつやん…。連盟ではすぐにプロ活動ができる正規合格と、半年間の研修の後に再テストを受けて合格するとプロ活動ができる研修合格の2種類があります。僕は後者でした。ちなみに正規合格でも半年間の研修には参加しないといけません。絶対条件です。

そして、半年間の研修を終え、再テストにも合格し、ついに正式にプロとして登録されました。最終日に写真も撮ったよ。1月に再テストがあり、その場で合格発表がありました。すっごく緊張して合格がわかった時は泣きそうなぐらい嬉しかったなぁ…。泣いてないけど。

まとめ

こんな感じで僕はプロになりました。本当に紆余曲折あったけど、今では全ての出来事に感謝をしています。対人で麻雀を打つようになってから約10年、まだテレビ対局には出れてはないけど、あの時憧れていた人たちと同じ職業になれたんだと思うと感慨深いものがありますね。

ここに来るまで色々な人に支えてもらいました。健康麻雀教室の先生や生徒さん、麻雀サークルの先輩や同期や後輩たち、麻雀をすることに反対しなかった家族や友人たち、そして僕が受験で落ちた時や麻雀で辛いことがあった時にいつもそばで支えてくれた彼氏、本当に感謝の一言で言い表せません。みんなのためにも、僕はこれからも麻雀プロとして頑張っていきたいと思います。危なっかしいかもしれませんが、応援していただけると幸いです。

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黒羽翔
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