『学問のすすめ』は正しかったのか?…近代西洋教育が産み出した①富・財の奪い合い②戦争のコジツケ論理③大量殺戮兵器の開発競争
テレビを観ていると、アフリカの子供たちが日常、水汲みと運搬に明け暮れて、学校へ行くことも無く教育を受ける機会が無い…と寄付を募っている。
ここで立ち止ってみよう。
例えば日本。明治維新西洋型の教育が開始されて150年ほどである。
現在、我々が見る日常とは如何なるものなのか?
★世界の各地で起きている富・財を求めての浅ましいほどの競争
★戦争が終わることなく続き、当事者双方が自らの正当性を主張
★際限なき軍拡競争と兵器開発誇るデモンストレーション
もちろんこれらが、フィンテック(FINTECH)や多様性の論理、現代科学・技術の応用としての大量殺りく兵器の開発競争であることはすぐに理解される。
では、西洋型教育の目指したものは何だったのか?
・富の偏在
・人権を越えた戦争論理の正当化と自律性の排除
・科学技術の成果としての大量殺傷兵器の希求
でしかない。
簡単に言えば、
『金を儲けて、競争相手を排除して、屈服させる』
ための、ソフト的技術、ハード的技術の開発競争を熾烈に展開させるために『教育』が利用されて来ただけに過ぎない。
小学生から『お金と蓄財』の教育を実施し、市場経済がゼロサムゲームなら、
★如何にして他人の金を吸い上げて自らの財に転換するか
を求める授業が行われている。
この近代教育を受けられずにいるアフリカの子供たちが不幸なのだろうか?
私にはそうは思えない。
やはり、ここで
『学問とは何なのか』
を問い直さなければ、世界の二極化は留まることは無いだろう。
精神を蝕まれ、難病奇病や飢えに苦しみ、他人を恨んで死に至るような社会は、本当に我々が求めて来た理想社会なのだろうか?
むしろ無縁でいられる子供達こそが幸せでは無いのか?
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