柳生(陰)はどうして生まれたか
柳生一刀斎や柳生宗矩で知られる柳生家。
この柳生家はどうのようにして生まれたのか?
柳生家については、これまで
『柳生氏の事項が明らかになるのは、南北朝の播磨守永珍(別名:宗珍、大膳家の子とされる)の頃からで、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によると、元弘3年(1331年)に南朝方として、六波羅探題の北条仲時・時益の軍勢と戦った永珍は戦功によって、後醍醐天皇から賜った大和国小楊生庄(大楊生庄とも)の領主となり、柳生氏と名乗ったことから始まるとされる』
のように鎌倉時代からとされて来ました。
しかし、この時代に『忽然』と現れた訳では無いはずです。
★★次回から、柳生家の古代について、鎌倉時代以前にどのようにして柳生
家が生まれて来たか?
を得られる史料をもとに明らかにして行きます。
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