気鋭の歴史家から【歴史家へのメッセージ】…法隆寺『百済観音』(2)出自
百済観音 出自
まず、造像記から判明した出自(百済観音像のプライベート情報)を紹介しましょう。
「634年 鵤大寺の徳聡法師が父母のために【観音菩薩】を作った。
発願した三僧は、大原博士の一族で、百済にあっては王族で、日本で王
の姓を名乗った」
以上が内容である。
これで、何時、誰が、何のために作ったかが明らかになった。
百済観音について
謎と言われ続けた法隆寺『百済観音』は、多くの人達により、
『この仏像がどこから来たのか、詳細は謎に包まれたままである』
として『謎の百済観音』と言われて来た。
前稿で、百済観音と思われる造像記の存在を明らかにした。
では、それから判明する『百済観音』の出自(プライベート情報)について、具体的に紹介しましょう。
造像記は、表が下記の記述です。
そして、裏面が下記になっています。