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奈良見知る4 奈良県に多い地名ーアスカ…奈良町高畑の飛鳥(アスカ)

奈良県には『アスカ』とついた地名が10か所以上あります。『アスカ』を表す漢字表記は【明日香】と【飛鳥】の二通りありますが、【明日香】と書いた場合の方が多いようです。これは当時、音に漢字を当てることから特段漢字で使い分ける理由があった訳ではなさそうです。
【アスカ】の意味についても諸説ありますが、『スカ』に【ア】という接頭語が付いたのではないかとも考える向きもあるようです。
『スカ』というのは、【砂地】を意味するらしく、横須賀・蜂須賀・飛鳥にも現れています。『アスカ』に好字をあてた『明日香』がよく用いられたのではないかとされています「地名の話」(谷川健一編)。
 奈良市内の平城京の東、奈良町・高畑町にも『飛鳥』のつく場所や施設が結構多くあります。東から、飛鳥中学・喩伽神社(飛鳥神奈備)・飛鳥小学校・飛鳥神社などがあります。元興寺地区にある元興寺も飛鳥寺(法興寺)を移築したものです。往時は伽藍も非常に大きく、現在でも礎石跡など残っています。下の写真は高畑町奈良ホテルの近くにある喩伽神社です。

喩伽神社略記に見る奈良(平城)の飛鳥

 平城京遷都前後には、この飛鳥地区に人々が集落を造っていましたが、平城京遷都後には、藤原氏の勢力が強くなるに伴い飛鳥人は押される形で小さくなっていったようです。
 南都焼討(なんとやきうち)が、治承4年(1181年1月15日)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした事件があった。これは治承・寿永の乱と呼ばれるものです。
 この時に興福寺の塔頭の一つであった大乗院(門跡寺院)も焼き討ちにあい、元々現在の県庁付近にあったものが元興寺地区に移転し、その後、大乗院による元興寺地区を支配するようになったと言われています。


移転後の大乗院跡


飛鳥人との関係が、『不審が辻町』などと言った当時の面影を残す格子戸の通りが残っています。
 元興寺地区へは集落を巡る環濠で隔たれていますので、小橋を渡って喩伽神社への参道を通ったようです。

飛鳥小橋

このように現代でも平城京遷都前後の飛鳥地区住む人達の跡が遺されています。

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