見出し画像

漢委奴国王…とんでもない過ち 『委』は、【倭】ではない!

 志賀ノ島で見つかった国宝『志賀ノ島金印』は、1784年甚兵衛なる農民が田の溝の修理中に石塊の間から発見した。
 この金印には『漢委奴国王』と印されている。 

志賀ノ島金印


 その後の細かな経緯はここでは省略する。福岡藩における調査や偽作論争などはよく知られた通りである。
 ここでは、刻印『漢委奴国王』の読みについての過ちを指摘したい。
 この金印の【読み】については、ほとんどの方達が異口同音に
 ★かん の の な の こくおう
と暗唱されたのではないだろうか?
 この【読み】を提唱したのが、1892年「漢の倭(委)の奴(な)の国王」と訓じる説・三宅米吉などである。三宅は倭の「奴国」を現在の那珂川を中心とする福岡地方に比定した。教科書などでも一般的にはこの説が通説となっている。
 さて、では刻印『委』は、『倭』としなければならないであろうか?
答えはノーである。人偏【亻】を略したものと主張する。
 『委』にも意味がある。
     ★ゆだねる。まかせる。
である。
 実に簡単な論考で、
 ★★漢が、奴国王に委ねた、まかせた
である。すなわち漢が、奴国王に金印を委ねた…これだけであろう。これは、漢と奴国の外交そのものであったであろう。
 例えば、『手紙を委ねる』と言えば、【手紙を渡す】と言う意味なのである。
 わざわざ『委』が『倭』の略字であるなどの詭弁を弄する必要は全く無かった。
 以後、130年間国民はこの意味のない【暗唱】をひたすら繰り返して来たのである。
 誰もこれを見直す者が出て来ない日本の歴史界は、全くの闇そのものである。
 (もし、『倭』と読むとすると、東京都中央区銀座と同じく、漢委奴国王とは、漢の国の一部の倭の奴国王という、漢の支配下にある事にもなる)
 
★★次回は、金印発見場所についての容易な解説をお送りします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?